第87話 三百円の箱
三十三日目、午前九時十八分。
《百円 使い道未定》
紙の上に、百円玉が一枚あった。
昨日から同じ場所にある。
その横へ、五十円玉が置かれた。
「これもいい?」
由佳が聞く。
「何が?」
高校生が顔を上げる。
「財布に五十円あっても使いにくいから。昨日の人と同じ」
「じゃあ、置く?」
「うん」
由佳は五十円玉を置いた。
紙の文字を見て、ペンを取る。
《百五十円 使い道未定》
◇
午前十時二分。
今度は黒瀬が十円玉を五枚置いた。
「俺も」
「何でみんな急に小銭捨て始めるんですか」
高校生が言う。
「捨ててない。置いてる」
「同じじゃないですか」
「違うだろ。使うかもしれない」
「誰が?」
黒瀬が止まった。
「……誰か」
二百円になった。
◇
午前十一時三十六分。
直人が百円玉を一枚置いた。
「昨日、森田から返ってきたやつ」
森田が見る。
「それ、お前の金だろ」
「だから俺が置く」
「返した意味なくないか」
「返してもらったから、俺が決められる」
森田は少し考えてから頷いた。
「それならそうだな」
三百円。
高校生が紙を書き直す。
《三百円 使い道未定》
◇
正午。
昼食の注文が始まった。
高校生が財布を開く。
「あ」
「何?」
「十円足りない」
バーガーとドリンク。
持っている金との差は十円だった。
高校生が三百円を見る。
「これ、使っていい?」
昨日なら、そこで何人かに聞いていた。
今日は三人がほぼ同時に答えた。
「いいんじゃない」
高校生が十円玉を一枚取る。
二百九十円。
レジへ行く。
◇
午後零時七分。
高校生が戻ってきた。
「これ、便利ですね」
「十円だけだけどな」
黒瀬が言う。
「でも、いちいち誰かに借りなくていい」
直人が二百九十円を見る。
確かに便利だった。
誰かの財布を開かせなくていい。
誰に返すか覚えなくていい。
十円のために貸し借りを作らなくていい。
昨日までなかったものが、三百円あるだけで一つ消えた。
◇
午後零時十五分。
森田が紙を見た。
《三百円 使い道未定》
「もう未定じゃないだろ」
「じゃあ何て書く?」
高校生がペンを持つ。
「共通?」
由佳が言う。
「誰の共通?」
昨日と同じところで止まる。
直人が言った。
「ここに置いた人が、足りないときに使っていいって出した金」
「長い」
「じゃあ箱でいいんじゃない?」
美咲が、空になったラッキーセットの小さな紙箱を持ってきた。
「これ」
子どもが見る。
「ぼくのはこ」
美咲が止まる。
「使っていい?」
子どもは少し考えた。
「いいよ」
◇
午後零時十九分。
二百九十円を箱へ入れる。
硬貨が底で鳴った。
高校生が側面に書く。
《みんなのお金》
森田がすぐ言った。
「それは違う」
「また?」
「置いてない人の金まで、みんなの金になる」
高校生は線を引いて消した。
「じゃあ何」
少し考える。
《足りないときの箱》
今度は誰も止めなかった。
◇
午後一時四十分。
箱は、レシートの紙コップの隣に置かれた。
便利だった。
だから問題もすぐに出た。
「これ、誰が数える?」
由佳が聞く。
「使った人じゃない?」
「入れた人も?」
「誰がいくら入れたかも書く?」
「十円使ったの、記録する?」
高校生がペンを持ったまま止まる。
三百円しかない。
正確には、もう二百九十円しかない。
それでも、誰も見ていなければ一枚なくなっても分からない。
森田が箱を手に取った。
「とりあえず、使ったら書く」
紙を一枚置く。
《高校生 10円 昼》
「入れた方は?」
「それも書いた方がいい」
「誰がまとめる?」
森田は答えず、箱を元へ戻した。
◇
午後二時十二分。
箱の中には二百九十円。
横には一枚の記録。
昨日まで、余った百円はただ置かれていた。
今日は、足りない十円を埋めた。
紙箱の横で、森田がもう一度、残高を数えていた。




