第85話 一人分ずつ
三十一日目、午前十一時五十六分。
紙コップには、昨日のレシートが四枚入っていた。
《今日のレシート》と書いてある。
今日になったので、高校生がその下へ小さく書き足した。
《昨日》
「これ、今日もやる?」
由佳が聞く。
「やった方が楽じゃない?」
美咲が答える。
直人はカウンターを見る。
昼前で、まだ列はない。
「じゃあ、一人分ずつ払えばいいんじゃないか」
昨日みたいに最後で止まるより、その方が簡単に思えた。
◇
正午。
最初はうまくいった。
直人がバーガーとコーヒーを買う。
払う。
レシートの裏へ名前を書く。
美咲がポテトとドリンクを買う。
払う。
由佳も自分の分を払う。
黒瀬も払う。
レシートが紙コップへ増えていく。
「これなら誰が払ったか分かる」
高校生が言った。
「昨日より全然いい」
◇
午後零時八分。
森田が最後に並んだ。
「チーズバーガーを一つ」
秩序が注文を打つ。
「三百八十円でございます」
森田は財布を開いた。
中を見る。
もう一度見る。
小銭入れを指で探る。
百円玉が二枚。
十円玉が五枚。
それだけだった。
「……二百五十円しかない」
誰も喋らなかった。
◇
森田は財布を閉じた。
「やめます」
秩序が答える。
「かしこまりました」
注文は取り消された。
それだけだった。
森田はカウンターを離れる。
直人が呼び止める。
「待って。俺が出すよ」
「いい」
「百三十円だろ」
「そういう話じゃない」
「じゃあどういう話?」
森田は紙コップを見る。
「一人分ずつ払うって決めたんだろ」
「決めたっていうか、今日やってみようって」
「だったら、俺だけ払ってもらったら一人分ずつじゃない」
◇
午後零時十三分。
高校生が言った。
「でも食べないのも変じゃないですか」
森田が肩をすくめる。
「金がないんだから仕方ない」
「昨日まで食べてたじゃん」
「昨日まで誰かがまとめて払ってたからな」
直人はそこで気づいた。
森田が昨日まで何回、自分で払っていたのか覚えていない。
一緒に注文したとき。
誰かが先に財布を出したとき。
後で返すと言ったとき。
返したかどうか。
紙コップを作ったのは昨日だ。
その前の一か月は残っていない。
◇
午後零時十七分。
「金、もうないの?」
美咲が聞いた。
「ほぼ」
「家には?」
「あるかもしれない」
「取りに行く?」
森田は窓を見る。
外を一体のゾンビが横切った。
「三百八十円のバーガーのために?」
美咲は答えなかった。
店ではバーガーが売られている。
値段も変わっていない。
金を払えば買える。
問題は何も変わっていない。
変わったのは、金を補充する場所の方だった。
◇
午後零時二十二分。
直人は百円玉を一枚、テーブルへ置いた。
「貸す」
森田が見る。
「あと三十円」
高校生が十円玉を三枚置いた。
「俺も貸す」
森田は二人を見る。
「返せる保証ないぞ」
「じゃあ返せるとき」
「その『とき』が来なかったら?」
直人は少し考えた。
「そのときは百円なくなる」
高校生が笑う。
「俺は三十円」
森田は笑わなかった。
しばらくして、百三十円を取った。
「借りる」
◇
午後零時二十六分。
森田は自分の二百五十円と、借りた百三十円をレジへ出した。
チーズバーガーを受け取る。
レシートの裏に、自分で名前を書いた。
その下へ小さく書く。
《直人100 高校生30 借》
紙コップへ入れた。
「これ、一人分ずつって言うのかな」
高校生が言う。
「一人分は一人分だろ」
森田が答えた。
「払った金が一人分じゃないだけで」
◇
午後一時十一分。
昼の列はなくなっていた。
紙コップには今日のレシートが六枚。
五枚には名前だけ。
一枚には、名前のほかに三人分の金額が書いてある。
紙コップの中に、百三十円の借りだけが残った。




