第76話 黒瀬のやり方
二十七日目、午前八時十九分。
PANDEMONIUMを出て十七分。
由佳が先頭を歩いていた。
直人は半歩後ろ。
黒瀬はさらに後ろを歩く。
「次、右です」
由佳が言った。
直人は地図を見る。
スマートフォンは圏外。
店を離れたので、Wi-Fiもない。
保存しておいた地図だけが現在地を示している。
「右で合ってる」
「分かってます」
由佳は振り返らなかった。
直人はスマートフォンをしまった。
◇
午前八時二十六分。
細い住宅街へ入った。
前方に三体。
一体は道路の中央。
二体は倒れた自転車の近くにいる。
由佳が止まる。
直人も止まった。
「戻って一本向こうへ回る」
直人が言った。
地図では迂回できる。
百五十メートルほど増えるだけだ。
「そうだな」
黒瀬が言った。
三人は来た道を戻った。
◇
午前八時三十四分。
一本向こうの道にもいた。
五体。
直人は舌打ちしかけてやめる。
「さらに回る」
「どこまで?」
由佳が聞く。
直人は地図を開く。
「次の大通りまで出て、南から」
「大通りの方が多くないですか」
「ここを抜けるよりは」
「待て」
黒瀬が言った。
二人が見る。
黒瀬は五体ではなく、右側の家を見ていた。
塀。
駐車場。
軽自動車。
その奥に細い通路がある。
「ここ抜ける」
直人が眉を寄せる。
「私有地だろ」
「入らない」
黒瀬は道路の端を指した。
家の塀と電柱の間。
人一人が横向きで通れるくらいの隙間。
その先は五体の横を抜け、次の角へ出る。
「近すぎる」
直人が言った。
「だから一人ずつ行く」
「気づかれたら」
「戻らない」
「何?」
「前に抜ける」
黒瀬はもうリュックの肩紐を締め直していた。
◇
午前八時三十七分。
「俺が先に行く」
直人が言った。
「いや」
黒瀬が答える。
「俺が見つけた」
「それは理由にならない」
「なる」
黒瀬は五体を見る。
「お前、気づかれたら由佳さん連れて戻るだろ」
直人は黙った。
「俺は前に抜ける」
「危ないだろ」
「危ないよ」
黒瀬はあっさり言った。
「だから決めてる」
直人には、その順番が理解できなかった。
危ない。
だから避ける。
自分ならそう考える。
黒瀬は違った。
危ない。
だから、危なくなった後にどちらへ動くかを先に決めていた。
◇
午前八時三十九分。
黒瀬が隙間へ入る。
身体を横にする。
一歩。
二歩。
靴底が砂利を踏んだ。
じゃり。
道路の一体が顔を上げる。
直人の喉が固くなる。
黒瀬は止まらなかった。
走りもしない。
三歩。
四歩。
一体が向きを変える。
黒瀬との距離、六メートル。
五メートル。
黒瀬が隙間を抜けた。
そのまま前へ歩く。
ゾンビが追う。
「黒瀬!」
直人が小声で呼ぶ。
黒瀬は振り返らない。
角まで進む。
曲がる。
姿が消えた。
ゾンビも角へ向かう。
残り四体は動かなかった。
◇
午前八時四十二分。
三分。
黒瀬は戻らない。
直人は隙間を見た。
「俺が行く」
由佳が袖を掴んだ。
「待って」
「でも」
「黒瀬さん、戻るって言いました?」
直人が止まる。
言っていない。
前に抜ける、と言った。
「私たちも行くんですよね」
由佳が隙間を見る。
「……行く」
「じゃあ、行きましょう」
由佳が先に身体を横へ向けた。
◇
午前八時四十五分。
由佳が抜ける。
直人が続く。
四体はまだ自転車の近くにいる。
一体だけいない。
角を曲がる。
黒瀬がいた。
電柱にもたれている。
「遅い」
「お前が勝手に先行したんだろ」
「通れただろ」
「結果論だ」
「うん」
黒瀬は否定しなかった。
直人は言葉に詰まる。
黒瀬が道の先を見る。
「次、左だろ」
由佳が答えた。
「はい」
「じゃあ行こう」
◇
午前八時五十二分。
歩きながら、直人はまだ考えていた。
「さっきの、正しかったと思ってる?」
黒瀬に聞く。
「分からん」
「分からない?」
「通れたから正解ってことにしたら、次も同じことするだろ」
黒瀬は前を見たまま言う。
「次は五体じゃなくて十体かもしれない。隙間がもっと狭いかもしれない。俺の足が遅いかもしれない」
直人は黙る。
「じゃあ何でやった」
「今日は、あれなら行けると思ったから」
「それだけ?」
「それだけ」
黒瀬が直人を見る。
「お前のやり方じゃないだけだろ」
その通りだった。
直人は、安全な道を探す。
黒瀬は、危険を残したまま通れる形を探した。
どちらかが教える側ではなかった。
◇
午前九時十一分。
親戚宅まで、あと二つ角を曲がれば着く。
由佳が立ち止まった。
前方の道路に車が一台、斜めに止まっている。
その向こうは見えない。
直人が言う。
「俺は左から確認する」
黒瀬が言う。
「俺は右」
由佳は二人を見る。
「私はここで待つ、じゃ駄目です」
直人が答える前に、黒瀬が言った。
「じゃあ、由佳さんは車の後ろまで。そこから見える範囲だけ見る」
「分かりました」
直人は二人を見る。
自分なら、由佳を後ろへ残した。
それも間違いではない。
黒瀬の判断も、直人の判断を否定してはいない。
三人は同じ場所へ向かっている。
同じ方法で行く必要はなかった。
直人が左へ出る。
黒瀬が右へ出る。
由佳は自分で決めた位置まで進む。
親戚宅の屋根が、その先に見えた。
三人は、三人分のやり方でそこへ近づいた。




