第71話 夜のガラス
二十五日目、午後七時十二分。
最初に気づいたのは高校生だった。
「増えてない?」
窓際にいた直人が顔を上げる。
ガラスの向こう。
駐車場に、ゾンビがいた。
一体。
二体。
その奥にも。
街灯の下を、ゆっくり横切っている。
「昼より多いな」
黒瀬が言った。
「多いどころじゃないだろ」
高校生は窓へ近づく。
直人が腕を掴んだ。
「そこまで」
「ガラスあるじゃん」
「あるけど」
ガラスがある。
その事実を、今夜どこまで信用していいのかは分からなかった。
◇
午後七時二十六分。
由佳の体温は三七・七。
美咲が紙へ書く。
由佳は奥の布団から窓を見る。
「何人いるんですか」
「数えてない」
「数えないんですか」
直人は外を見る。
「数えて意味があるか分からない」
さっきより増えている。
入口近くに三体。
駐車場の端に五、六体。
道路にも影がある。
動いているから、正確には数えられない。
そのとき。
「番号札、四十二番でお待ちのお客様ー!」
渾沌の声が響いた。
全員が振り返った。
「チーズバーガーセット、お待たせしましたー!」
午後七時二十六分だった。
◇
午後七時四十一分。
ガラスへ手が当たった。
べた、と音がした。
由佳が身体を起こす。
一体が窓に顔を寄せている。
皮膚が汚れている。
口が動く。
歯がガラスに触れる。
高校生が後ずさった。
「これ、大丈夫なの」
誰も答えない。
もう一体が寄ってくる。
肩がぶつかる。
ガラスが小さく鳴った。
直人は非常口を見る。
次に自動ドア。
次に店内の人数。
黒瀬が言った。
「逃げ道、決めとくか」
「バックヤードは?」
高校生が言う。
「入れない」
「こんなときも?」
「入ろうとしたら止められる」
「ゾンビより店員に止められるの?」
「たぶん」
誰も笑わなかった。
◇
午後八時三分。
外はさらに暗くなった。
そのぶん、ガラスが鏡になる。
店内の白い照明。
テーブル。
冷蔵庫。
積まれた生活用品。
布団。
その全部が窓へ映る。
映った店内の向こう側に、ゾンビがいる。
近いのか遠いのか、一瞬分からなくなる。
「カーテンないの」
由佳が聞く。
「店だからな」
黒瀬が答えた。
バーガーショップの大きなガラスは、昼には外を見渡せる。
夜には、外から中もよく見える。
「番号札、四十三番でお待ちのお客様」
今度は秩序だった。
声の調子は昼と変わらない。
◇
午後八時十九分。
ゾンビが十体を超えたあたりで、数えるのをやめた。
道路の向こうにもいる。
駐車場にもいる。
ガラスの前にもいる。
店の明かりに寄っているのか。
人間の気配なのか。
音なのか。
分からない。
「照明、消してもらえないかな」
高校生が言った。
美咲がカウンターを見る。
「営業中だから、消さないんじゃない?」
「聞くだけ聞こうよ」
高校生が秩序のところへ行く。
しばらくして戻ってきた。
「駄目だった?」
「『通常通り営業しております』って」
黒瀬が鼻で笑った。
「だろうな」
◇
午後八時三十四分。
自動ドアが開いた。
全員が立った。
外側にゾンビがいる。
渾沌が出た。
「危ない!」
由佳が叫ぶ。
渾沌は振り返らない。
何かがぶつかる音。
一体が消える。
次も。
三体目。
渾沌の動きは速すぎて、由佳には何をしたのか分からなかった。
「……昨日も見たけど」
由佳が呟く。
黒瀬が言う。
「慣れないだろ」
「はい」
「俺も」
◇
午後九時二分。
ガラスの前から数体減った。
その奥には、まだいる。
渾沌が全部を倒しに行くわけではない。
店へ直接危険を及ぼすものだけ。
遠くのゾンビは、そのままだった。
直人はそれを見ていた。
安全になったわけではない。
店のすぐ前だけが、営業できる形に戻されている。
「番号札、四十四番でお待ちのお客様ー!」
渾沌が戻ってきた。
「ご注文の品、できあがりましたー!」
さっきまでゾンビを排除していた声と、同じだった。
◇
午後九時三十八分。
由佳はまた眠った。
美咲が布団を直す。
黒瀬は窓から少し離れた椅子にいる。
高校生はスマートフォンで外を撮ろうとして、やめた。
「なんか、写真だと違う」
「何が」
「怖さ」
直人は分かった。
外が暗い。
ガラスの向こうに何体いるか分からない。
時々、顔が近づく。
それだけでも怖い。
けれど、もっと気持ちが悪いものがある。
厨房から油の音がする。
ポテトが揚がる。
レジが鳴る。
番号が呼ばれる。
誰も叫ばない。
クルーだけは。
◇
午後十時十一分。
直人は窓際の椅子を一つ下げた。
誰かが近づきすぎないためだった。
テーブルは動かさない。
通路を塞ぐから。
生活のルールは、こんな夜にも残っている。
外ではゾンビがガラスを叩いた。
一度。
二度。
由佳が目を開ける。
直人も見る。
黒瀬も見る。
厨房から声がした。
「番号札、四十五番でお待ちのお客様」
秩序だった。
ガラスの外は、死んだ人間で埋まりつつある。
ガラスの内側では、四十五番の客が立ち上がった。




