第7話 決める人
朝六時。
会社の駐車場に、昨日戻ってきた荷物が残っていた。
水。
衛生用品。
手袋。
病院へ入れず、持ち帰った分だ。
直人はそれを別の車へ積み替えなかった。
「今日は行かないの?」
柴崎が聞く。
「行きます」
「昨日と同じ病院だろ」
「病院には行きません」
直人は地図の一点を指した。
規制区域の外。
小学校の駐車場。
昨夜、病院の職員から会社へ連絡が入っていた。
病院へ直接入れないなら、外で受け取る。
職員が一台だけ出す。
「ここで渡します」
柴崎が地図を覗き込む。
「そこまで取りに来てもらうのか」
「来られるそうです」
「病院に届ける仕事なのに?」
「必要なのは、病院の玄関に置くことじゃないので」
柴崎が少し笑った。
「昨日のお前なら、迂回路探してたな」
直人は否定しなかった。
七時二十分。
一台目が出る。
次はスーパー三店舗分。
三店舗とも同じ倉庫からの荷物だった。
昨日までは三台に分けていた。
今日は一か所へまとめる。
三店舗の担当者が、一店舗の駐車場まで取りに来る。
「向こうに仕事させすぎじゃない?」
主任が言った。
「向こうから提案されました」
「ならいいか」
直人は伝票を束ねた。
会社だけが工夫する必要はなかった。
受け取る側も、動ける。
午前九時。
病院の荷物を積んだ柴崎から電話。
『受け渡し終わった』
「問題なかったですか」
『看護師が二人で来た。荷物だけ渡して終わり』
「規制区域は?」
『入ってない』
「分かりました」
電話を切る。
昨日は届かなかった。
今日は届いた。
道が開いたわけではない。
届け方を変えただけだった。
昼前には、別の会社から電話が来た。
『そちら、北側まだ走ってます?』
「一部だけです」
『うち、運転手が二人しか残ってなくて。もし西町の集積所まで持ってきてもらえたら、その先はうちで運べます』
直人は主任を見る。
主任が頷く。
「荷物と量を送ってください」
『助かります』
電話を切る。
一本の配送が、途中で別の会社へ渡る。
誰が最後まで運んだかは、もう重要ではなかった。
届けばいい。
午後二時。
会社の電話が少し減った。
直人は久しぶりに椅子へ深く座った。
朝から一本も、全行程を自社だけで完結させていない。
それでも昨日より多く届いている。
主任がコーヒーを持ってきた。
「これ、明日も使えるな」
「使えるところは」
「相沢が全部組む?」
直人は答えかけた。
止まる。
机の上には、病院から送られてきた受け渡し場所のメモ。
スーパー側が決めた集約先。
別会社から来た引き継ぎ可能地域の一覧。
自分が決めたものばかりではない。
「それぞれに決めてもらったほうが早いです」
主任が眉を上げる。
「どこまで?」
「受け取れる場所と時間は向こう。こっちは運べる範囲を出す。それを合わせます」
「誰が合わせる」
直人は少し考えた。
「今日は僕がやります。でも、表にすれば誰でもできます」
主任はコーヒーを一口飲んだ。
「じゃあ作っといて」
「はい」
直人は新しい表を開いた。
配送先。
ではなく、受け渡し先。
その下に、決める人。
会社。
病院。
店舗。
運送会社。
一列増やす。
誰が決めるかまで、自分で決めないための列だった。
夕方。
集合住宅へ戻ると、エントランスに椅子が三脚並んでいた。
管理人。
藤村佳代。
黒瀬。
その前に、若い男が立っている。
五階の住人だった。
「どうしたんですか」
直人が聞く。
管理人が答えた。
「熱が出たそうです」
直人は一歩止まった。
男も止まる。
「三十七度八分です」
咳はない。
息苦しさもない。
噛まれていない。
血液や唾液への接触も覚えがない。
管理人が言う。
「病院に電話してるんですが、繋がらなくて」
藤村が腕を組む。
「部屋で寝ててもらえばいいんじゃない?」
黒瀬が言った。
「一人だろ、こいつ」
男が頷く。
「じゃ、食い物どうすんだよ」
管理人が直人を見る。
「相沢さん、どうしましょう」
その言葉で、全員の視線が集まった。
会社と同じだった。
決める人。
直人は男を見る。
「どうしたいですか」
男が戸惑った。
「え?」
「今、歩けます?」
「はい」
「部屋に戻って休めます?」
「できます」
「食べ物は?」
「二日くらいなら」
藤村が言った。
「なくなったら玄関前に置くよ」
黒瀬も続ける。
「ゴミも出せる。袋二重にして外置いとけ」
管理人がメモを取る。
「朝と夕方に連絡しましょう。返事がなければ確認する」
直人は何も決めていなかった。
なのに形ができていく。
男が言った。
「それでお願いします」
「じゃあ今日は部屋で休んでください」
管理人が言った。
話が終わる。
直人は少し遅れて頷いた。
翌朝。
男の熱は三十七度二分まで下がった。
朝の連絡にも自分で返事をした。
藤村が玄関前へスポーツドリンクを置いた。
黒瀬は何もしていなかった。
「何かやらなくていいの?」
直人が聞くと、黒瀬は欠伸をした。
「必要になったら呼ばれるだろ」
会社へ向かう前、直人はエントランスの紙を見る。
発熱。
自室待機。
朝夕確認。
必要物資は玄関前。
管理人の字だった。
一番下に、藤村が書き足している。
《返事がなかったら、勝手に入らない。まず呼ぶ》
さらに、その横に黒瀬の字。
《本人が嫌がったら、その時また考える》
整っていない。
書いた人も違う。
それでも昨日、一人の生活を止めずに済んだ。
スマートフォンが鳴る。
主任からだった。
『相沢、昨日の受け渡し表、他の班でも使うって』
「分かりました」
『今日の分、もう向こうで半分埋めてるぞ』
直人は一瞬、返事をしなかった。
自分がいないところで、表が使われている。
自分が決めていない欄が埋まっている。
「相沢?」
「はい」
直人はエントランスの紙をもう一度見た。
「そのまま進めてください」
電話を切る。
直人はエントランスの紙を見た。
管理人、藤村、黒瀬。
三人の字が、一枚に残っている。
スマートフォンの向こうでは、別の班が受け渡し表を埋めている。
直人は紙に何も書き足さず、外へ出た。




