第69話 治せますか
二十四日目、午後四時十一分。
新しく来た女は、窓の外を見ていた。
ゾンビが一体、自動ドアへ近づく。
ドアが開いた。
渾沌が出る。
女は椅子から立った。
一秒もかからなかった。
ゾンビが駐車場を転がっていく。
渾沌は制服の袖を直した。
「ご来店ありがとーございまーす!」
店内へ戻る。
そのまま厨房へ入った。
女は立ったままだった。
「……今の、何?」
高校生が答える。
「俺らもよく分かってない」
◇
午後四時十五分。
女は渾沌を目で追っていた。
フライヤーの前。
ポテトを上げる。
油を切る。
さっき人間ではどうにもならないものを投げ飛ばした手で、塩を振っている。
「ずっと、ああなんですか」
直人が言う。
「たぶん」
「怪我しないんですか」
「見たことない」
「疲れない?」
直人は答えなかった。
二十四時間営業。
何日経っても、クルーの動きは変わらない。
眠っているところも見ていない。
疲れているところも。
女は黒瀬を見た。
黒瀬は紙カップの水を飲んでいる。
その視線に、直人は嫌な予感がした。
◇
午後四時二十二分。
「聞いてもいいですか」
女が黒瀬へ言った。
「何」
「さっき、前に熱が出たって」
「出た」
「今も、前と同じじゃないって」
黒瀬は頷く。
女はカウンターを見る。
「だったら」
一度、言葉を切った。
「この人たちなら、治せるんじゃないですか」
店内が静かになった。
誰かの氷が紙カップへ落ちる音だけがした。
◇
「治すって、何を」
黒瀬が聞いた。
女は詰まった。
「その……感染とか。後遺症とか」
「俺が感染したかは分かってない」
「でも、普通じゃないんですよね」
黒瀬は少し笑った。
「普通じゃないのは、あっちだろ」
渾沌を顎で示す。
女は笑わなかった。
「だからです」
直人にも、その順番は分かった。
ゾンビを簡単に倒す。
何日も眠らない。
疲れない。
普通ではない。
なら、病気も。
そう考えるのは自然だった。
自然だからこそ、直人は怖かった。
◇
午後四時二十八分。
女がカウンターへ行った。
直人は止めなかった。
秩序が顔を上げる。
「ご注文でしょうか」
「あの」
「はい」
女は黒瀬を振り返った。
「病気を、治せますか」
秩序は答えた。
「当店では医療行為は承っておりません」
女が瞬きをする。
「でも、外のあれは」
「店内への危険行為には対応いたします」
「そうじゃなくて。あなたたち、普通じゃないですよね」
秩序の表情は変わらない。
「ご注文がお決まりでしたら、お伺いいたします」
「できないんですか」
「当店では医療行為は承っておりません」
同じ答えだった。
◇
午後四時三十二分。
女が戻ってくる。
「できないってこと?」
高校生が聞く。
「分からない」
「聞いたじゃん」
「できない、とは言わなかった」
直人はその言葉に引っかかった。
確かにそうだった。
秩序は能力の有無を説明していない。
医療行為を承っていない、と言っただけだ。
「そこ、分けた方がいい」
直人が言う。
女が見る。
「何を?」
「できるかどうかと、やるかどうか」
黒瀬も頷いた。
「俺らが勝手に、できる方まで決めるな」
できないと決まったわけではない。
できると決まったわけでもない。
分かったのは、PANDEMONIUMでは治療を受け付けていないということだけだった。
◇
午後四時四十六分。
灰色のリュックの女が、母親の薬袋を確認していた。
新しい女がそれを見る。
「その薬も?」
「外から取ってきた」
「ここで出してくれないの?」
「出ないよ」
「頼んでも?」
「メニューにないから」
新しい女はカウンターを見る。
注文を受ける。
商品を作る。
客へ渡す。
その途中でゾンビが来れば、クルーは人間離れした力で処理する。
終われば戻る。
そこから先へは伸びない。
◇
午後五時二分。
「変なの」
女が言った。
「何が」
美咲が聞く。
「何でもできそうなのに」
「何でもしてくれるわけじゃない」
「もったいなくないですか」
美咲は少し考えた。
「私たちには、そう見えるんだろうね」
厨房では渾沌が新しいバンズを出している。
疲れた様子はない。
秩序も同じ場所に立っている。
外ではゾンビが増えている。
店内では、薬を飲む時間を忘れないよう紙に書く人がいる。
怪我をすれば人間同士で消毒する。
具合が悪ければ横になる。
必要な薬は、自分たちで外へ取りに行った。
クルーは、それを代わりにはしなかった。
◇
午後五時十九分。
黒瀬が立ち上がった。
少しゆっくりだった。
新しい女が反射的に手を出しかける。
黒瀬が言う。
「大丈夫」
女は手を引いた。
黒瀬は自分で立つ。
冷蔵庫から水を一本取る。
戻ってくる。
「治したい?」
女が聞いた。
黒瀬は蓋を開けた。
「何を?」
昨日と同じ問いだった。
女は答えられなかった。
熱はもうない。
感染したかは分からない。
以前と同じ役割へ戻らないことは、病気ではない。
治療の対象なのかどうかさえ、誰も決められなかった。
カウンターから番号が呼ばれた。
秩序の声はいつも通りだった。
人間には奇跡に見える力が、そこにある。
けれど、奇跡に見えることと、願いを叶えることは同じではなかった。




