第64話 駐車場の群れ
二十三日目、午前九時七分。
「戻る」
黒瀬が言った。
前に二体。
後ろには、今出てきた家。
直人は地図を開こうとした。
「ここじゃ出すな」
黒瀬が止める。
三人は塀沿いへ下がった。
灰色のリュックの女が、胸の前で肩紐を握っている。
中には薬が二袋。
取りに来たものは、もうある。
あとは帰るだけだった。
その「あとは」が遠かった。
◇
午前九時十二分。
一本南の道へ回った。
二体を避けるためだった。
そこには四体いた。
「戻る」
また同じ言葉。
走らない。
まだ気づかれていない。
物陰まで戻り、地図を見る。
「東から大通りへ出る」
直人が指を置く。
黒瀬が首を振った。
「広すぎる」
女が別の道を指す。
「この細い道、駐車場の裏に出る」
「店の駐車場?」
「うん」
そこならPANDEMONIUMまで近い。
近いという理由だけで、三人とも少し安心した。
◇
午前九時二十一分。
細い道を抜けた。
店の看板が見えた。
直人は息を吐いた。
「着いた」
黒瀬が腕を掴んだ。
「まだだ」
駐車場を見る。
直人は、数えようとした。
やめた。
十体を越えている。
車の間。
入口の前。
道路側。
昨日まで散っていたゾンビが、なぜかそこへ集まっていた。
PANDEMONIUMは見えている。
自動ドアも見える。
カウンターの照明も見える。
帰る場所が、目の前にあった。
入れなかった。
◇
「裏は?」
女が聞いた。
「客が入れる入口は知らない」
直人が答える。
バックヤード側へ回るという考えが、一瞬浮かぶ。
すぐ捨てた。
あそこは客が入る場所ではない。
以前、境界を越えようとした客がどう排除されたかも知っている。
終末だからといって、店の境界が消えるわけではない。
「正面から入るしかない」
黒瀬が言った。
◇
午前九時二十五分。
一体が自動ドアへ近づいた。
開く。
ゾンビが店内へ足を入れる。
次の瞬間、見えなくなった。
直人は瞬きをした。
渾沌が外にいた。
「いらっしゃいませー!」
明るい声。
近くの一体が振り向く。
渾沌の腕が動く。
何が起きたのか、直人には追えなかった。
一体。
二体。
三体。
駐車場の入口付近が、数秒で空く。
女が息を呑む。
「今なら」
直人が言った。
黒瀬は動かなかった。
「待て」
「でも、減った」
「店の前だけだ」
渾沌は追ってこない。
駐車場の奥にいる群れへ向かっていかない。
入口へ寄った個体を処理し、何事もなかったように店内へ戻った。
自動ドアが閉じる。
◇
午前九時二十八分。
「全部やってくれないんだ」
女が言った。
責める声ではなかった。
確認する声だった。
「店に来たやつはやる」
直人が言う。
「たぶん」
「私たちがここにいるのは?」
「向こうは知らないかもしれない」
「見えてても同じだろ」
黒瀬が言った。
「俺らがどこへ行きたいかまで、店が決める話じゃない」
薬を取りに行くと決めたのは自分たちだった。
この道を選んだのも自分たちだった。
帰りたいのも自分たちだった。
クルーが何十体倒せるかと、三人がどこを通るべきかは別の問題だった。
◇
午前九時三十五分。
群れが少し動いた。
店へではない。
道路側へ。
原因は分からない。
直人たちは車の陰から見ていた。
「右端」
黒瀬が言う。
駐車場の端に、車二台分ほどの空間ができている。
そこからなら入口近くまで行ける。
ただし途中に一体。
「俺が先」
黒瀬が言った。
女が首を振る。
「薬、私が持ってる」
「だから真ん中」
「転んだら?」
「拾う」
「あなたが転んだら?」
黒瀬が一瞬黙った。
直人が言う。
「そのときは俺が決める」
黒瀬が直人を見る。
「決めろ。止まるな」
それで順番が決まった。
◇
午前九時三十八分。
出た。
黒瀬。
女。
直人。
車の陰から次の車へ。
一体が気づく。
黒瀬がバールを構える。
殴り倒すことより、横へ押し退ける。
道を作る。
「行け!」
女が走る。
直人も続く。
駐車場の群れが動いた。
何体かがこちらを向く。
入口まで、二十メートルもない。
長かった。
十メートル。
女のリュックが揺れる。
五メートル。
自動ドアが開いた。
冷気が流れてくる。
秩序がカウンターにいる。
「いらっしゃいませ」
女が先に入った。
直人。
最後に黒瀬。
ドアが閉じる。
外から腕が一つ、ガラスへ当たった。
◇
午前九時三十九分。
三人は床に座り込んだ。
誰もすぐには喋れなかった。
女がリュックを開く。
薬袋を二つ出す。
潰れていない。
破れていない。
母親が走ってくる。
娘より先に、薬を見た。
それから娘を抱いた。
直人は息を整えながら、窓の外を見る。
渾沌がまた出ていく。
入口へ寄ったゾンビを、淡々と処理する。
強い。
圧倒的だった。
女は薬袋を二つ、母親の前へ置いた。
窓の外では、渾沌が入口へ寄った一体だけを片づけ、店内へ戻ってきた。




