第62話 三週間
二十二日目、午前八時七分。
「三週間か」
黒瀬が言った。
直人はスマートフォンの日付を見た。
正確には、店へ逃げ込んでから二十一日を越えたところだった。
「長いな」
高校生が言う。
「短いだろ」
眼鏡の男が返す。
「どっちだよ」
「分からん」
直人にも分からなかった。
三週間前には、ここで眠ること自体がおかしかった。
今は布団を畳む場所まで決まっている。
◇
午前八時二十二分。
朝の片づけが始まった。
布団をまとめる。
充電ケーブルを寄せる。
夜に使った紙コップを捨てる。
冷蔵庫を開けて中身を見る。
「牛乳、今日まで」
「じゃあ使う」
「何に?」
「コーヒー」
「店で買えよ」
「これは拾ってきたやつだぞ」
「知ってる」
会話しながら手が動く。
誰かが指示しなくても、通路から荷物が消えていく。
新人の男も布団を畳んでいた。
まだ来て二日なのに、椅子を戻す位置を覚えている。
◇
午前九時三分。
美咲の子どもが、紙に絵を描いていた。
昨日までの紙飾りは荷物箱にしまってある。
ぱむちゃんが近くを通る。
「ぱむ」
「おはよう」
子どもは、それだけ返した。
意味を聞かなかった。
直人は少し笑った。
店内の暮らしには、説明しなくなったことが増えていた。
◇
午前九時四十六分。
灰色のリュックの女が、小さな袋をテーブルへ置いた。
薬だった。
「あと何日?」
母親が聞く。
「これは十二日分」
「前より減ったね」
「飲んでるからね」
当たり前の会話だった。
直人は手を止めた。
「それ、なくなったら?」
女は袋を見る。
「取りに行く」
「どこへ?」
「家」
黒瀬が顔を上げた。
「距離は」
「歩いて二十分くらい。車ならすぐ」
「薬局じゃなくて?」
「予備を家に置いてある。病院でもらった分」
「何の薬?」
女は少し迷った。
「母の。毎日飲んでるやつ」
それ以上は言わなかった。
誰も聞かなかった。
◇
午前十時十二分。
地図が広げられた。
洗濯の日にも使ったものだった。
「ここ」
女が指を置く。
PANDEMONIUMから住宅街へ入る。
大通りを一度渡る。
その先を二本。
近い。
地図の上では。
「十二日あるなら、今日じゃなくてもいい」
直人が言った。
「うん」
「天気も見たい」
「うん」
「ゾンビの数も」
「うん」
女は全部頷いた。
それから言った。
「でも、十二日あるから十二日後でいい、ではないと思う」
黒瀬が頷く。
「その通り」
一度で取れる保証はない。
道が塞がっているかもしれない。
家に入れないかもしれない。
薬が残っていないかもしれない。
三週間暮らして、待つことにも費用があると知った。
◇
午前十時三十八分。
新人の男がカウンターを見た。
「店員さんに頼んだら駄目なんですか」
誰も笑わなかった。
二日前の自分たちなら、同じことを考えたかもしれない。
「場所は分かるんですよね」
「分かる」
「だったら、あの人たちなら……」
女が首を振った。
「私の家だから」
「でも危ないですよ」
「うん」
「薬だけなら」
「どこに置いたか、私しか分からない」
そこで話は止まった。
クルーが強いことと、引き出しのどこに誰の薬があるか知っていることは別だった。
そもそも、頼めば私物を取りに行くのかも分からない。
カウンターでは秩序が注文を取っていた。
◇
午前十一時五分。
紙に書き出した。
行く人数。
出る時間。
持っていく物。
戻らなかった場合の時刻。
別経路。
高校生が覗き込む。
「もう行くの?」
「今日は行かない」
灰色のリュックの女が答えた。
「じゃあ何で決めてるの」
「行くから」
「いつ?」
「明日か、明後日。外を見て決める」
昨日までの探索は、足りない物を見つけに行くことが多かった。
今回は違う。
行き先がある。
取りに行く物がある。
必要としている人がいる。
期限がある。
外へ出る理由が、店内で先に生まれていた。
◇
正午。
直人は窓際に立った。
道路をゾンビが一体歩いている。
その向こうに、住宅街がある。
三週間前なら、店の外はただ逃げる場所だった。
この三週間は、できるだけ出なくていいように暮らしを作ってきた。
水がある。
食べ物がある。
トイレがある。
眠る場所も作った。
洗濯もする。
誕生日も祝った。
それでも、店の中だけでは終わらないものが残っていた。
灰色のリュックの女が、母親の薬袋を数えている。
十二日分。
直人は外を見る。
PANDEMONIUMから出たいわけではなかった。
出なければならない理由が、できた。
三週間目にして、外は再び目的地になった。




