第61話 眠れない人
二十一日目、午前二時十八分。
直人は、また目を開けた。
天井の照明が見える。
消えない。
二十四時間営業なのだから当然だった。
目を閉じる。
外で、何かがガラスを擦った。
目を開ける。
「……寝ろよ」
自分に言った。
眠れなかった。
◇
午前二時二十七分。
店内の半分ほどは眠っている。
テーブルへ伏せる人。
椅子を並べて横になる人。
持ち込んだ布団を使う人。
昼間に片づけたおかげで、通路は空いている。
直人はそこを歩いた。
眠る場所を変えれば眠れる気がした。
変わらなかった。
カウンターには秩序がいる。
「いらっしゃいませ」
入ってきた客へ、いつもの声を出す。
午前二時二十七分。
昨日の午後にも、そこにいた。
一昨日の午前零時にもいた。
もっと前にもいた。
直人は、秩序が椅子に座っているところを思い出そうとした。
思い出せなかった。
◇
午前二時四十一分。
「コーヒー」
直人は注文した。
「ホットで」
「かしこまりました」
眠れないのにカフェインを頼む自分がおかしくて、少し笑った。
席へ戻る。
厨房では渾沌が動いている。
油の音。
金属の触れる音。
冷蔵設備の低い唸り。
どれも昼と同じだった。
直人は紙カップを両手で持つ。
「眠くならないのかな」
隣から声がした。
新人の男だった。
彼も起きていた。
「誰が?」
「店員さん」
「さあ」
「交代してるとか?」
直人はカウンターを見る。
「少なくとも、俺は見たことない」
◇
午前三時六分。
二人で見ていた。
別に監視するつもりではなかった。
それでも、気になった。
秩序は注文を取る。
渾沌は厨房と客席を行き来する。
ぱむちゃんが歩いてくる。
「ぱむ」
新人が小声で言う。
「この子も寝るんですか」
「知らない」
「知らないこと多いですね」
「三週間近くいてもな」
ぱむちゃんは二人の横を通り過ぎた。
直人は時計を見る。
三時七分。
誰も欠伸をしない。
動きが鈍くならない。
声も掠れない。
疲労を隠しているようにも見えなかった。
そもそも、隠す必要があるものが存在するのか分からなかった。
◇
午前三時三十四分。
外で音がした。
今度は強い。
がん。
眠っていた何人かが起きる。
ガラスの向こうにゾンビが二体いた。
直人の肩が固くなる。
秩序は注文の途中だった。
「セットのお飲み物はいかがなさいますか」
客が答える。
「コーラで」
「かしこまりました」
渾沌が厨房から出てきた。
「ちょっと失礼しまーす!」
自動ドアが開く。
直人は反射的に身構えた。
渾沌は外へ出た。
短い音が二度した。
戻ってくる。
「おまたせー!」
厨房へ戻る。
秩序が会計を続ける。
直人の心臓だけが、まだ速かった。
◇
午前三時四十一分。
「怖くないんですかね」
新人が言った。
直人は答えなかった。
怖くない。
そう決めるのも違う気がした。
疲れない。
眠らない。
怖がらない。
人間が見えていないものを、ないことにするのは簡単だった。
ただ一つ確かなのは、直人が十九日間、彼らの営業が崩れるところを見ていないことだった。
◇
午前四時十二分。
美咲が起きてきた。
「まだ寝てないの?」
「寝た。ちょっと」
「嘘」
「なんで分かるんだよ」
「顔」
直人は頬を触った。
「ひどい?」
「ひどい」
美咲は無料のお冷やを汲んで戻っていく。
「コーヒー飲んでる場合じゃないでしょ」
「もう飲んだ」
「もっと駄目じゃん」
少し笑った。
笑うと、ほんの少し眠くなった。
◇
午前四時三十八分。
直人は布団へ戻った。
横になる。
カウンターの声が聞こえる。
「ありがとうございました」
次の客。
「いらっしゃいませ」
人間は眠らなければ壊れる。
だから、眠れないことが怖い。
明日の判断が鈍る。
走れなくなる。
怒りやすくなる。
外へ出るなら、それだけで死ぬ理由になる。
クルーは違った。
少なくとも、違って見えた。
彼らは十九日間ではなく、この店が始まってからずっとこうだったのかもしれない。
直人には確かめようがない。
目を閉じる。
油の音がする。
注文を取る声がする。
誰かが歩く足音がする。
眠らない店の音だった。
その音を聞きながら、眠らなければならない自分のほうが、今夜は奇妙に思えた。
午前四時四十六分。
直人はようやく眠った。
PANDEMONIUMは起きていた。




