第60話 荷物の境界
二十日目、午後一時十八分。
「通れない」
美咲が言った。
直人は振り返った。
通路に、段ボール箱が一つ出ている。
たった一つだった。
ただ、その横には折り畳んだ布団。
反対側には小型冷蔵庫を載せたテーブル。
その下には衣類の袋。
椅子の背には延長コード。
人ひとりなら通れる。
トレーを持った人とすれ違うには狭い。
「誰の箱?」
誰も答えなかった。
◇
箱を開けると、鍋、ラップ、電池、靴下、洗剤、缶詰、紙皿が入っていた。
全部、役に立つ。
だから捨てにくい。
「これ、俺の電池」
高校生が言った。
「洗剤は私」
灰色のリュックの女が手を挙げる。
「缶詰は共有」
「誰が入れた箱なの」
「空いてたから、みんな入れた」
所有者のいない箱ではなかった。
所有者が多すぎる箱だった。
◇
午後一時二十七分。
客がトレーを持って来た。
直人たちは道を空ける。
客は箱を避け、布団を避け、小型冷蔵庫の角を避けて席へ向かった。
何も言わなかった。
その後ろを、ぱむちゃんが歩いてくる。
段ボール箱の前で止まった。
「ぱむ」
高校生が箱を見る。
「邪魔って?」
直人も一瞬そう思った。
前日のことを思い出す。
「字幕つけるな」
「分かってるよ」
ぱむちゃんは箱の横を通り抜け、厨房のほうへ行った。
意味は分からない。
箱が邪魔なのは、ぱむちゃんに教えられなくても分かった。
◇
午後一時四十分。
「上に積むしかないな」
眼鏡の男が言った。
「何を?」
「軽いもの」
壁際のテーブルを一つ、収納専用にする案が出た。
だが、テーブルは客席でもある。
「一卓潰すの?」
新人の男が聞く。
昨日まで外にいた彼には、まだ抵抗があるらしい。
「もう何卓か実質潰れてる」
直人が言う。
電子レンジの載った卓。
冷蔵庫とテレビの載った卓。
布団を畳んで置いている卓。
どれも生活には役立っている。
同時に、店の席を一つずつ食べていた。
◇
午後二時六分。
話し合いの結果、増やすのではなく、重ねることになった。
冷蔵庫の載ったテーブルの下へ、サイズを揃えた箱を二つ。
電子レンジの横には何も置かない。
布団は使わない時間だけ一か所へまとめる。
衣類は各自の袋へ戻す。
共有物には紙を貼る。
通路側へ物を出さない。
「線引く?」
高校生が言った。
「床に?」
「ここから出たらアウト、みたいな」
テープはある。
だが、直人は首を振った。
「店の床に勝手に貼るのはやめよう」
「じゃあどうする」
黒瀬が椅子の脚を見る。
「椅子を基準にすりゃいい。引いたときに荷物へ当たらない。通路へ出ない」
それで決まった。
店へ何かを書き足すのではなく、自分たちの物を引っ込める。
◇
午後二時三十八分。
片づけが始まった。
「これ誰の?」
「知らない」
「捨てる?」
「待て、使うかも」
「その『使うかも』が多すぎるんだよ」
「終末だぞ」
「だからって空のペットボトル十八本いる?」
「簡易シャワー作れる」
「十八個も?」
「失敗するかもしれない」
「何回失敗する気だよ」
笑いながら、六本残した。
残りは潰して資源ごみへ入れた。
紙袋も選別する。
バーガーの包み紙は、汚れていないものだけ少量。
紙ナプキンは使う分を取るが、備え付けを束で持ち去らない。
ドリンクカップも必要以上に溜めない。
無限に補充されるものがあるからといって、客席まで無限に広がるわけではなかった。
◇
午後三時十二分。
通路が戻った。
二人がトレーを持ってすれ違える。
床に這っていた延長コードも、テーブルの脚沿いへまとめた。
新人の男が感心したように言う。
「避難所っぽくなりましたね」
高校生が首を振る。
「逆」
「え?」
「店っぽく戻したんだよ」
新人は通路を見る。
カウンターから客がトレーを持って歩いてくる。
今度は何も避けない。
そのまま席へ着いた。
◇
午後三時二十五分。
直人は片づいた客席を見た。
暮らすための物は減っていない。
冷蔵庫もある。
電子レンジもある。
布団もある。
着替えもある。
ただ、それらが一歩、通路から退いた。
ここで暮らすことをやめたわけではない。
むしろ逆だった。
長く暮らすために、自分たちの生活が店を食い尽くさないようにした。
カウンターでは秩序が注文を取っている。
「ご注文をどうぞ」
その声の前を、空いた通路がまっすぐ伸びていた。




