第59話 二十日目の新人
二十日目、午前九時十一分。
自動ドアが開いた。
男が転がり込んできた。
三十代くらい。
コートの袖が裂け、右手に金属バットを握っている。
ドアが閉じると、その場に座り込んだ。
「助かった……」
息を吐く。
直人たちは見ていた。
男も、店内を見た。
テーブルの上の電子レンジ。
その下の収納箱。
椅子の背に掛けられたタオル。
充電中のスマートフォン。
畳んだ毛布。
紙袋にまとめられた衣類。
そして、眠っている人間。
男の顔が変わった。
「ここ、避難所なんですか?」
誰もすぐには答えなかった。
◇
「違います」
最初に言ったのは高校生だった。
男が彼を見る。
「でも……みんな住んでるじゃないですか」
「住んでるけど」
「じゃあ避難所でしょ」
「店」
「え?」
高校生がカウンターを指した。
「バーガーショップ」
男は冗談だと思ったらしい。
笑いかけて、誰も笑っていないことに気づいた。
◇
午前九時十五分。
秩序がカウンターから声をかけた。
「いらっしゃいませ。ご注文がお決まりになりましたらお申し付けください」
男が固まる。
「……注文?」
「はい」
「金、いるんですか」
「商品代金を頂戴いたします」
男は直人を見る。
直人は頷いた。
「払う。普通に」
「こんな状況で?」
「こんな状況でも」
高校生が言った。
昨日の夜と同じ言い方だった。
◇
男の財布には、千円札が二枚と小銭があった。
「水は?」
「無料のお冷やならある」
美咲が言う。
「食べ物は?」
「注文する」
「寝る場所は?」
「空いてる席で、営業の邪魔にならないように」
「毛布は?」
「店からは出ない。俺らの持ち物」
黒瀬が言った。
男は順番に聞いた。
直人たちも順番に答えた。
「トイレは使える」
「多目的トイレもある」
「手洗い場のお湯も出る」
「コンセントは?」
「使える場所は使ってる。でも通路にコード這わせるな」
「ドリンクバーは?」
高校生が急に真面目な顔になった。
「頼んだ本人が汲む」
「みんなで飲んじゃ駄目?」
「注文した本人が汲んだ分をどう分けるかは勝手。でも他の人が機械から直接汲むと、その人の料金になる」
男は黙った。
「……細かいですね」
「細かいよ」
眼鏡の男が言った。
「二十七円でも揉めるくらいには」
「それは俺らの話だろ」
高校生が睨んだ。
◇
午前九時二十九分。
「外のあれが来たら?」
男が窓を見る。
道路の向こうを一体歩いている。
「店に入ろうとしたら、クルーが対処する」
直人が言った。
「守ってくれる?」
直人は少し考えた。
「店を営業できる状態にしてる、のほうが近いと思う」
「同じじゃないんですか」
「たぶん違う」
黒瀬が続ける。
「外へ出た俺らを迎えに来たりはしない」
「でも強いんですよね」
「強い」
「どのくらい」
「見れば分かる」
「見ないほうがいいときもあるけどな」
眼鏡の男が付け足した。
男はまたカウンターを見る。
秩序は次の客の会計をしていた。
◇
午前九時四十一分。
「ここにいていいんですか」
男が聞いた。
今度は誰もすぐに答えなかった。
直人は秩序を見た。
それから男を見る。
「客でいるなら、たぶん」
「客?」
「注文して、店のルール守って、営業の邪魔しない」
「避難者じゃなくて?」
「俺らも避難者として受け入れられたわけじゃない」
美咲が言った。
「勝手にここで暮らすようになっただけ」
男は店内を見回した。
生活用品で埋まったテーブル。
その隣では、普通にバーガーを食べている客。
床には荷物がある。
それでも通路だけは空いていた。
◇
午前九時五十分。
男はカウンターへ行った。
「……チーズバーガー、一つ」
「かしこまりました」
秩序が注文を取る。
金額が表示される。
男は千円札を出した。
釣り銭とレシートを受け取る。
席へ戻ってきた。
「本当に普通だ」
高校生が言う。
「普通じゃないだろ」
「店は普通」
「俺らが普通じゃない?」
「外が一番普通じゃない」
「じゃあ何が普通なんだよ」
誰も答えなかった。
◇
午前十時二分。
番号が呼ばれた。
男は自分のチーズバーガーを受け取った。
包み紙を開く。
しばらく見てから、一口食べた。
「温かい」
それだけ言った。
直人は、初日に自分が何を思ったか思い出そうとした。
もう、うまく思い出せなかった。
水が出ること。
注文すれば食べ物が出ること。
トイレが使えること。
二十四時間、照明が消えないこと。
クルーが眠ったように見えないこと。
十九日もいれば、それらは説明する側の常識になる。
新人の男だけが、一つずつ驚いていた。
直人はその顔を見て、ようやく気づいた。
店に慣れたのではない。
この異常を、暮らし方として覚えてしまったのだ。




