第53話 誕生日
十七日目、午後三時十二分。
「今日、誕生日なの」
美咲が言った。
直人は、何の話か分からなかった。
「誰の?」
美咲は隣を指した。
子どもが紙に絵を描いている。
「この子。五歳」
「今日?」
「たぶん」
「たぶん?」
「スマホの日付が合ってるなら」
美咲は笑った。
世界が壊れてから、曜日を気にすることは減った。
何日目かは数えていても、何月何日かを口にすることは少なくなった。
直人はスマートフォンを見た。
日付は、確かに今日だった。
「おめでとう」
子どもが顔を上げた。
「ありがとう」
それで終わりそうになった。
◇
「ケーキないの?」
高校生の少年が言った。
「あるわけないでしょ」
美咲が答える。
「じゃあバーガーにろうそく刺す?」
「ろうそくがない」
「ポテト立てれば?」
「火つかないじゃん」
「火つける必要ある?」
黒瀬が口を挟む。
「誕生日っぽけりゃいいんじゃねえの」
その一言で、妙な相談が始まった。
◇
午後三時四十分。
テーブルに紙ナプキンが一枚置かれた。
高校生がボールペンで大きな「5」を書く。
「店の備品に落書きするなよ」
黒瀬が言う。
「あ」
少年は止まった。
「もう書いた」
「使う分ならいいんじゃない?」
直人が言った。
少年はその一枚だけを子どもの前へ置いた。
追加で束を持ってくることはしなかった。
美咲は自分のバッグから色鉛筆を出した。
灰色のリュックの女が、持ち込んだ包装紙の端切れを切る。
眼鏡の男はセロハンテープを貸した。
誰も生きるためには必要としていない物ばかりだった。
◇
午後四時十一分。
直人はカウンターへ行った。
「チーズバーガー一つと、ポテトSと、オレンジジュース」
直人が言うと、子どもがカウンター上の小さな写真を指した。
「これがいい」
《ラッキーセット》
バーガー、ポテト、ドリンク。紙箱の横に、今週のおまけが六種類並んでいる。
「子ども向け?」
「対象年齢のお客様お一人につき、今週は一個までとなっております」
秩序がいつもの調子で答えた。
「大人がもう一個買うのは?」
「同じお子様への今週二個目のお渡しはできません」
直人は子どもを見る。
「これにする?」
「うん」
注文をラッキーセットへ変えた。
「あと、バーガーは包み紙を開けないで渡してもらえます?」
「通常の包装でお渡しいたします」
「それで大丈夫です」
誕生日だから増えたものは何もなかった。
ラッキーセットも、今日だけのサービスではない。
歌もない。
飾りもない。
無料にもならない。
注文したものを、注文した通りに売る。
それがPANDEMONIUMだった。
◇
午後四時二十六分。
テーブルの中央に、包まれたハンバーガーが置かれた。
その周りへポテトを五本並べる。
高校生が言った。
「ろうそく」
「横になってるけど」
「細かいこと言うなよ」
子どもが笑った。
「立てたい」
「刺す?」
「食べ物で遊ばない」
美咲に止められた。
結局、五本は横のままだった。
灰色のリュックの女が作った小さな紙飾り。
色鉛筆で描いた「5」。
オレンジジュース。
いつものハンバーガー。
ラッキーセットの紙箱から出てきたのは、手のひらに乗るぱむちゃんの指人形だった。
押しても鳴らない。光らない。動かない。
子どもが指にはめると、少し大きかった。
「ぱむ」
子どもが人形を動かす。
近くにいた本物のぱむちゃんが振り向いた。
「ぱむ」
高校生が笑った。
今週のおまけは、それだけだった。
直人たちは小さな声で歌った。
途中で高校生が音を外した。
子どもはずっと笑っていた。
◇
「何かお願いするんだよ」
美咲が言った。
「火ないよ」
「目つぶるだけでいい」
子どもは目を閉じた。
十秒くらい。
それから目を開けた。
「何お願いした?」
高校生が聞く。
「言わない」
「ちゃんとしてるな」
誰も、何を願ったのか聞かなかった。
生き残れますように、かもしれない。
明日もここにいられますように、かもしれない。
まったく別の、五歳らしい願いかもしれない。
直人には分からなかった。
◇
午後五時三分。
食べ終わると、紙飾りと指人形が残った。
「捨てる?」
美咲が聞く。
子どもは首を振った。
「とっとく」
自分の小さな荷物箱へ入れる。
食べ物は腹に入った。
紙ナプキンは汚れて捨てた。
ポテトもなくなった。
残ったのは、生存には何の役にも立たない紙飾りと、普通の指人形だった。
直人はそれを見ていた。
この二週間、何を食べるか。
どこで寝るか。
何を持ち帰るか。
誰が外へ出るか。
必要なことばかり考えていた。
今日、初めてではない。
それでも、ずいぶん久しぶりに、明日生きるためではないことへ時間と物を使った気がした。
カウンターから声がする。
「いらっしゃいませ」
店は何も祝っていなかった。
だから、人間たちが祝った。
五歳になった日を、ただ五歳になった日として。




