↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
51/122

第51話 ひとつだけ


十六日目、午後四時十八分。


「これ、誰が使う?」


黒瀬がテーブルの上へ置いた。


透明な袋に入った、新品のカイロだった。


一個だけ。


「どこにあったの?」


直人が聞く。


「ドラッグストアの棚の下。落ちてた」


十個入りでも箱でもない。


一個。


店内は暖房が効いている。


だから、なくても死なない。


それでも全員が一度、その小さな袋を見た。


◇


「おばあちゃんでいいんじゃない?」


美咲が言った。


灰色のリュックの女の母親は、窓から離れた席で毛布を膝に掛けていた。


「私は大丈夫よ」


本人が先に言った。


「でも冷えやすいでしょ」


「店の中は暖かいもの」


高校生の少年が手を挙げる。


「じゃあ俺」


「何に使うの」


「欲しい」


「理由になってない」


「欲しいは理由だろ」


少年は本気だった。


雪の日に外へ出るとき、ポケットに入れてみたいらしい。


眼鏡の男が言った。


「外出用に取っとけば?」


「誰の?」


「必要になった人の」


「必要になったとき、誰が決めるんだよ」


誰も答えなかった。


◇


直人はカイロを手に取った。


軽い。


今なら、誰か一人に渡せる。


「じゃあ……」


言いかけて、止まった。


全員が直人を見た。


いつの間にか、こういうとき直人が答える空気ができていた。


それが嫌だった。


「俺が決めることじゃない」


「じゃあ多数決?」


少年が言う。


「それも違う気がする」


「面倒くさ」


黒瀬が椅子へ座った。


「使いたい奴が三人いるなら、三人で決めりゃいいだろ」


「今は二人じゃない?」


「ばあちゃん、少年、温存派」


「温存派って人じゃないじゃん」


少し笑いが起きた。


でもカイロはまだテーブルの上だった。


◇


午後五時三分。


話は妙な方向へ進んだ。


「使わないのが一番もったいなくない?」


美咲が言う。


「必要なときにないほうが困る」


眼鏡の男が返す。


「必要ってどこから?」


「外に一時間以上出るとか」


「じゃあ五十分なら?」


「そういう話じゃない」


少年がカイロを指でつつく。


「俺、今日使いたい」


「なんで今日?」


「新品のカイロ、揉むの好きだから」


「そんな理由で最後の一個使う?」


「最後だから使っちゃいけないって誰が決めたの」


直人は黙って聞いていた。


必要。

欲しい。

取っておく。


どれも間違いではない。


一つしかないから、同時には成立しないだけだった。


◇


午後六時十二分。


結局、カイロは誰にも渡らなかった。


ただし、備蓄箱にも入らなかった。


連絡メモの横に置いた。


その下に紙が一枚。


使う人は声かけて


それだけだった。


「これ決まったの?」


少年が聞く。


「決まってない」


美咲が答えた。


「じゃあ俺使っていい?」


「声かけたから、話そう」


「また?」


「また」


少年はカイロを置き直した。


◇


午後八時四十七分。


入口の自動ドアが開いた。


冷気と一緒に、黒瀬が戻ってきた。


さっきまで店内にいたのに、いつの間にか駐車場を見に行っていたらしい。


右手を擦っている。


「手袋どうしたの」


「片方破れた」


美咲がカイロを見る。


少年も見る。


眼鏡の男も見る。


黒瀬は気づいていない。


少年が先にカイロを取った。


直人は何も言わなかった。


少年は袋を開けなかった。


黒瀬の前へ置く。


「使う?」


「何で」


「手、冷たいんでしょ」


「店入ったからもう平気」


「じゃあいらない?」


黒瀬は少し考えた。


「次また外出るなら使う」


「いつ?」


「朝」


少年はカイロを連絡メモの横へ戻した。


「じゃあ朝まで取っとく」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。