第5話 必要なもの
午前六時十三分。
ホワイトボードには、昨日までなかった列が増えていた。
残量。
人数。
代替。
停止まで。
「病院、三件とも最優先でいいよな」
柴崎が言った。
直人は一覧を見た。
「同じ優先にはできません」
「病院だぞ」
「だから聞きます」
一件目へ電話する。
必要なのは飲料水と衛生用品。
残りは半日分。
入院患者四十八人。
別業者は来ない。
二件目。
水は一日半。
衛生用品は不足。
近くの系列院から一部融通できる。
三件目。
電話が繋がらない。
直人は赤い印をつけた。
「三件目が一番危なくない?」
柴崎が言う。
「分かりません」
「繋がらないんだろ」
「だから、分からないです」
昨日までなら、情報が足りなければ集めればよかった。
今日は、集まらない情報がある。
それでも車は出さなければならない。
直人は一件目を最初に置いた。
二件目は午後。
三件目には、別の配送先へ向かう車に近くを通らせる。
「見に行かせるの?」
「寄れる範囲で。危なかったら入らなくていいです」
柴崎が頷く。
「了解」
電話がまた鳴った。
今度は介護施設。
『水が足りないんです』
「あとどれくらいあります?」
『分かりません。とにかく足りないんです』
直人はペンを止めた。
「入所者は何人ですか」
『三十二人』
「備蓄は何箱あります?」
向こうで誰かに聞く声。
『六箱です』
「一本何リットルですか」
『二リットル』
「水道は?」
『出ています』
直人は少し息を吐いた。
「飲料水が必要な理由は何ですか」
『え?』
「断水ではないんですよね」
『ニュースで、水を確保したほうがいいって』
直人はホワイトボードを見る。
一件目の病院。
半日。
代替なし。
「今日はそちらへ水を回せません」
電話の向こうが黙った。
『でも、なくなったら困ります』
「なくなる前にまた確認します。今、水がないところへ先に運びます」
『いつなら来ますか』
直人は時間を言わなかった。
「約束できる状態になったら連絡します」
切る。
昨日、店へ届ける時間を約束した。
今日は、約束しなかった。
柴崎が缶コーヒーを置く。
「冷たくなったな、相沢さん」
直人は顔を上げた。
柴崎は笑っている。
「冗談。正しいよ」
「正しいかは分かりません」
「珍しいな」
「何がです?」
「お前がそれ言うの」
直人は返さなかった。
八時二十分。
一便目が出た。
積んだのは水、手袋、消毒用品。
昨日までなら、どれもただの荷物だった。
今日は、その先に残り時間がついている。
昼前。
会社の共有チャットに行政からの注意喚起が転送された。
《高熱・錯乱・攻撃行動を示す人物との接触を避けてください》
《咬傷および血液・唾液等の体液接触があった場合は、患部を洗浄し、医療機関または指定窓口へ連絡してください》
《現時点で感染経路は確定していません》
柴崎が画面を読む。
「つまり噛まれなきゃいいってこと?」
直人はすぐに言った。
「違います」
「でも噛まれるなって」
「体液接触も書いてあります。感染経路は確定してない」
「じゃあ何に気をつければいいんだよ」
「書いてあること全部」
柴崎は面倒そうな顔をした。
「要するに近づくな、だろ」
「たぶん」
「ほら」
直人は注意文をもう一度見た。
文章は長い。
現場では短くなる。
噛まれるな。
近づくな。
たぶん、明日にはもっと短くなる。
午後一時。
三件目の病院を見に行った運転手から連絡が来た。
『閉まってます』
「入口は?」
『救急だけ開いてる。でも人が外にいる。十人くらい。怒鳴ってる人もいる』
「入らないでください」
『荷物どうする?』
直人は一瞬考えた。
必要かもしれない。
でも、渡せる状態か分からない。
「持って戻ってください」
『いいの?』
「今は」
電話を切る。
荷物は必要度だけでは届かない。
受け取れる人。
安全に近づける場所。
運べる道。
必要という言葉だけでは、順番を決められなくなっていた。
夕方。
集合住宅へ戻ると、エントランスのテーブルに消毒液が並んでいた。
管理人が一本ずつ部屋番号を書いている。
「配るんですか」
「備蓄が少しあったので。ただ、全戸分はないんですよ」
そこへ藤村佳代が降りてきた。
六十代の女性で、一人暮らしだ。
管理人が一本渡す。
藤村は受け取ってから、残りを見る。
「三浦さんのところ、ある?」
「まだです」
「赤ちゃんいるでしょ」
「はい」
藤村は自分の一本をテーブルへ戻した。
「じゃ、半分にして」
管理人が困った顔をする。
「容器が」
「うちに空いたのあるよ。持ってくる」
藤村はエレベーターへ向かう。
直人は思わず言った。
「藤村さんの分、足りなくなりません?」
「なくなったら石鹸使うよ」
「でも」
「手は洗えるでしょ」
扉が閉まる。
昨日までなら、一本は一本だった。
配るなら一戸に一本。
そのほうが公平で、分かりやすい。
でも藤村は、一本を二つにした。
ルールを決めたわけではない。
必要だと思った相手へ、自分の分を割っただけだった。
部屋へ戻ると、美咲が食卓に紙を広げていた。
「何してるの」
「この階で連絡つかない人」
部屋番号と名前が書いてある。
「管理人に渡すの?」
「うん。グループ入ってない人もいるから」
直人は紙を見る。
四人。
「四人か」
「四人じゃないよ」
美咲がペン先で一つを指した。
「田辺さん。夜勤あるから昼は寝てるかも」
次。
「小林さん。昨日から娘さんの家に行ってるって」
次。
「三浦さんは赤ちゃんいる人」
最後。
「この人だけ分からない」
直人は、四という数字を頭から消した。
同じ未確認でも、中身が違う。
スマートフォンが鳴る。
会社の主任だった。
『相沢、明日の優先順位、お前が組んでくれ』
直人は食卓の紙を見たまま答えた。
「分かりました」
電話を切る。
美咲が言った。
「また仕事?」
「明日の分だけ」
「今日もそれ言うんだ」
直人はノートパソコンを開きかけた。
止める。
今日一日で聞いた言葉が浮かんだ。
水が必要。
病院だから必要。
消毒液が必要。
全部、本当だった。
でも、それだけでは順番を決められなかった。
「十分だけ」
直人は言った。
「十分で終わらなかったら?」
「今日は閉じる」
美咲が少し驚いた顔をした。
直人は時計を置いた。
十分。
画面に明日の一覧を出す。
最初に見る欄は、品名ではない。
あとどれだけ持つか。
誰がいるか。
他に方法があるか。
そして、分からないものは分からないまま印をつける。




