第45話 空いているところ
十三日目、午前七時四十八分。
直人が起きると、自分が昨夜使ったテーブルに知らない男が座っていた。
チーズバーガーを食べている。
椅子の背には、直人の上着が掛かったままだった。
テーブルの下には衣類箱もある。
男は直人に気づいた。
「あ、これ、あなたのですか」
上着を指す。
「はい」
「すみません。どきます?」
直人は一瞬だけ、そうしてもらおうと思った。
昨日もここで寝た。
その前も何度か使った。
空調の風が直接当たらない。
延長コードにも近い。
使いやすい席だった。
でも、男の前にはまだ半分のバーガーがある。
「いや。食べててください」
直人は上着だけ取った。
「空いてたんで」
「大丈夫です」
その言葉が、自分でも少し不思議だった。
空いていた。
それなら、座る。
それだけのことだった。
◇
午前九時十一分。
黒瀬の小型冷蔵庫が載ったテーブルでは、二人がコーヒーを飲んでいた。
冷蔵庫は端へ寄せてある。
残りの場所ならトレーを二つ置ける。
「そこ黒瀬さんの席じゃないの?」
高校生の少年が言った。
「冷蔵庫が俺のな」
黒瀬は別の席でポテトを食べていた。
「テーブルまで買った覚えねえよ」
「でも毎日そこいるじゃん」
「空いてりゃな」
少年は納得したような、していないような顔をした。
◇
午前十時三十五分。
問題になったのは布団だった。
窓から少し離れた四人掛けテーブル。
夜になると、ある男が椅子を寄せ、持ち込んだ布団を敷いて寝ていた。
昼になっても布団が畳まれていなかった。
本人は外出中だった。
「ここ、使っていいのかな」
美咲が言う。
子どもが座りたがっている。
直人は布団を見る。
勝手に触るのは気が引けた。
そこへ高校生の少年が来た。
「本人、昼過ぎまで戻らないよ」
「知ってるの?」
「紙に書いてあった」
連絡メモには、
帽子 ホームセンター 十三時ごろ
とある。
「じゃあ、どうする?」
誰もすぐ答えなかった。
◇
結局、布団は畳まなかった。
テーブルの端へ寄せた。
汚さないよう、その上に持ち主の上着を載せる。
空いた側へ美咲と子どもが座った。
「これでいいのかな」
美咲が言う。
「戻ってきたら聞きましょう」
「怒るかな」
「だったら次から決めればいい」
誰かが作った規則を確認することはできない。
まだ規則になっていないからだ。
暮らしながら、困ったところだけ決めていく。
◇
午後一時二十二分。
帽子の男が戻った。
布団を見る。
美咲が先に立った。
「ごめんなさい。少し寄せました」
「ああ」
男は布団を見て、子どもを見る。
「別にいいですよ」
「勝手に触っちゃったから」
「置きっぱなしにした俺が悪いし」
男は布団を畳んだ。
「昼は畳むようにします」
それで一つ、習慣が増えた。
命令ではない。
罰則もない。
夜に寝具を使う。
昼はなるべく畳む。
席を使わないときは、他の人が使えるようにする。
誰かが宣言したわけではなかった。
◇
午後四時四分。
直人は朝のテーブルへ戻った。
今度は空いている。
上着を椅子に掛ける。
座る。
目の前を秩序が通った。
「失礼いたします」
いつもの声だった。
直人は店内を見る。
冷蔵庫のあるテーブル。
毛布が畳まれた席。
子どもの絵が置かれた場所。
充電器が集まっている壁際。
誰がよく使う場所かは、だいたい分かる。
でも、その人がいなければ別の誰かが座っている。
常連の場所はある。
指定席はない。
直人は上着を見た。
これを置いて外へ出れば、この席が自分のものになるわけではない。
ただ、自分の上着がここに残るだけだ。
PANDEMONIUMでは、暮らしている時間の長さは、椅子の所有権には変わらなかった。




