第43話 あたたかい席
十二日目、午前六時四十八分。
黒瀬は、本当に冷蔵庫を持って帰ってきた。
高さは膝より少し上。
白い一ドア式で、側面に薄い傷がある。
「重っ……」
高校生の少年が片側を支えている。
「だから下持てって言っただろ」
「持ってる!」
二人が自動ドアを抜ける。
直人は慌てて床の延長コードを椅子の下へ寄せた。
「どこ置くんですか」
「奥」
黒瀬が顎で示したのは、壁際のテーブルだった。
通路から外れている。
二人で冷蔵庫をテーブルへ載せる。
一瞬、店内が静かになった。
ハンバーガーショップの四人掛けテーブルに、冷蔵庫が一台載っている。
秩序がその横を通った。
誰もが少しだけ見た。
秩序は冷蔵庫を見た。
通路を見た。
そのまま通り過ぎた。
「……いいんだ」
少年が言った。
黒瀬はコンセントを探した。
「邪魔じゃねえからだろ」
数分後、冷蔵庫は低く唸り始めた。
◇
午前八時十二分。
昨日、直人が寝た席には老婆が座っていた。
「あ」
声が出た。
老婆が顔を上げる。
「何?」
「いえ」
そこは自動ドアから離れ、空調の風も直接当たらない。
夜にちょうどいい席。
直人は別の席へ行こうとした。
「ここ、座る?」
老婆が聞いた。
「いや、大丈夫です」
「私はもう暖まったから」
「暖まった?」
「朝、ちょっと寒気がしてね」
老婆は毛布を畳んだ。
「今は平気」
席を立つ。
直人は迷った。
「でも、ここ使ってたんじゃ」
「使ってたよ」
「じゃあ」
「もう使わないから」
それだけだった。
◇
午前九時四十分。
美咲の子どもが少し咳をした。
熱はない。
元気もある。
それでも美咲は昨日より厚めに服を着せていた。
「こっち座る?」
直人が聞いた。
「いいの?」
「俺、別に寒くないから」
美咲は子どもと一緒に、あの席へ移った。
「ここ、ほんとに風こないね」
「でしょ」
自分の席でもないのに、直人は少し得意になった。
黒瀬が向こうから言う。
「お前が作った席じゃねえぞ」
「分かってます」
「昨日一晩寝ただけだろ」
「住民歴で言えば古参です」
「住民じゃねえ」
黒瀬が即答した。
美咲が笑った。
昨日は誰も訂正しなかった言葉を、今日は黒瀬が訂正した。
けれど冷蔵庫はもう店内で唸っていた。
◇
午後零時二十三分。
暖かい席には高校生の少年がいた。
「寒いの?」
「眠い」
「それ関係ある?」
「ここ寝やすい」
毛布を頭まで被る。
その一時間後には、外から戻った男が座った。
その次は老婆。
誰も予約しない。
名前も書かない。
荷物を置いて確保もしない。
空いていて、必要なら使う。
必要がなくなれば立つ。
いつの間にか、そうなっていた。
◇
午後三時十五分。
新しく来た男が、暖かい席へ荷物を置いた。
大きなリュックだった。
本人はトイレへ行った。
しばらくして、老婆がその前で立ち止まる。
「ここ、使ってるのかしら」
直人も見る。
人はいない。
荷物だけがある。
誰もすぐには動かさなかった。
数分後、男が戻る。
「あ、すみません。座ります?」
「少しだけ」
男はリュックを床の邪魔にならない場所へ移した。
「どうぞ」
それで済んだ。
直人は、そのやり取りを覚えておいた。
荷物がある。
暮らしている。
よく使う場所もできる。
それでも、席まで自分のものになるわけではないらしい。
◇
午後五時二分。
冷蔵庫を開けると、薬と水のボトルが数本入っていた。
「まだスカスカだな」
少年が言う。
「これからだろ」
黒瀬が閉める。
低い作動音が戻る。
その隣のテーブルでは、美咲の子どもが絵を描いていた。
少し離れた席では誰かが毛布を畳んでいる。
暖かい席には、今は誰もいない。
直人は座ろうかと思った。
でも寒くなかった。
だから別の席へ座った。




