第42話 冷える夜
十一日目、午後十一時十九分。
自動ドアが開いた。
冷たい空気が足元を撫で、すぐに扉が閉じる。
「今の寒っ」
美咲が言った。
直人は窓の外を見る。
駐車場の白線だけが店の明かりに浮いていた。
スマートフォンを見る。
「外、六度」
「店の中でよかった」
天井からは空調の低い音が続いている。
店内は普通に暖かい。
外の六度を、そのまま我慢しているわけではない。
ただ、十日以上ここで寝起きしていると、同じ店内にも差があることが分かってきた。
自動ドアの近く。
大きな窓のそば。
空調の風が直接当たる席。
厨房に少し近い席。
数歩でしかない。
けれど眠るとなると、その数歩が気になった。
◇
「そこ、夜ちょっと冷えるよ」
高校生の少年が、新しく来た男へ言った。
「こっちのほうがいい」
「違うの?」
「寝れば分かる」
少年は入口から少し離れた席を指した。
直人は笑った。
ホテルでも家でもないのに、もうそんな知識ができている。
毛布を一枚増やす人もいる。
上着を掛けたまま眠る人もいる。
一方で黒瀬は薄い毛布一枚だった。
「寒くないんですか」
「ここ暖房効いてるだろ」
「窓側ですよ」
「外じゃねえんだから」
それも正しかった。
◇
午前零時二分。
直人はホットコーヒーを持って席へ戻った。
「今日アイスじゃないんだ」
美咲が言う。
「気分」
「寒いからでしょ」
「それもある」
紙カップを両手で包む。
暖房の効いた店内で飲むホットコーヒーは、必要というより好みだった。
外なら震えている。
ここでは、アイスにするかホットにするか選べる。
その差が大きかった。
カウンターでは秩序がいつもの制服で注文を受けている。
「ご注文をどうぞ」
直人はもう、制服だけを見て寒さを測ろうとはしなかった。
店内は暖かい。
同じ格好でいられること自体は、おかしくない。
それでも百時間を越えて同じ声で立ち続けていることは、別の話だった。
◇
午前一時十七分。
入口が開いた。
外から戻った男が肩をすくめて駆け込む。
「さむっ」
扉が閉じる。
数秒で、暖気の中へ溶けた。
その横を渾沌が通る。
「おかえりー!」
男は手を擦った。
「外やばいですよ」
「寒かった?」
「めちゃくちゃ」
「じゃああったかいの食べよ!」
「営業だなあ……」
男が笑った。
「ポテトできたよー!」
渾沌は厨房へ戻っていった。
外気温についての異常は、そこにはなかった。
異常なのは、こんな夜にも暖房も厨房も照明も、一度も止まる気配がないことだった。
◇
午前二時十一分。
黒瀬が毛布を畳みながら言った。
「冷蔵庫、明るくなったら取ってくる」
高校生の少年が顔を上げる。
「ほんとに持ってくるんだ」
「小さいやつな」
「どこ置くの」
黒瀬は店内を見る。
「通路じゃなきゃいいんだろ」
「テーブル?」
「たぶん」
直人も見る。
毛布。
衣類箱。
延長コード。
洗面用品。
小さなラジオ。
物は増えている。
それでも人が歩く線だけは、妙にきれいに残っていた。
◇
午前三時五分。
直人は眠る場所を決めた。
昨日と同じ席ではない。
空調の風が直接当たらず、自動ドアからも少し離れている。
「そこ人気だよ」
美咲が言った。
「人気?」
「夜、ちょうどいい」
直人は座ってみる。
確かに、ちょうどいい。
毛布一枚で十分だった。
「店の席に当たり外れができるとは思わなかった」
「住んでるから分かるんでしょ」
美咲が言ってから、自分で少し黙った。
住んでる。
誰も訂正しなかった。
カウンターから声がした。
「いらっしゃいませ」
暖房の効いた店内で、直人は毛布を掛けた。
外は六度。
ここは暖かい。
それでも、暮らしてみなければ分からない数歩の差があった。




