第40話 朝ごはんの後
十日目、午前八時四十六分。
直人は紙コップの底に残った氷を揺らした。
からん、と鳴る。
朝食は終わっていた。
チーズバーガーの包み紙は捨てた。ポテトの箱も空だ。コーヒーも飲み終えた。
それなのに、直人は席を立たなかった。
「今日、どうする?」
美咲が聞いた。
直人は一瞬、答えを探した。
外へ行く予定。
必要な物。
感染情報。
次の延長。
どれでもなかった。
「……別に」
「別に?」
「今は」
美咲も「そっか」と言って、それ以上聞かなかった。
◇
隣のテーブルでは、高校生の少年がトランプを切っていた。
いつ拾ってきたのか知らない。
「やる人」
黒瀬が言う。
「何を」
「大富豪」
「朝から?」
「朝だから何だよ」
少年がカードを配る。
直人も一枚取った。
四人になった。
一回目は黒瀬が勝った。
「強くないですか」
「昔やってた」
「誰と」
「大学のとき」
黒瀬にも大学生だった時期があった。
当たり前なのに、直人は初めて考えた。
「何学部?」
「言わねえ」
「何で」
「負けた奴に教える義理ない」
二回目が始まった。
外ではサイレンが一度だけ遠くを通った。
誰もカードを止めなかった。
◇
午前九時三十二分。
灰色のリュックの女が、母親の髪を梳いていた。
美咲は子どもの服を畳んでいる。
別の男は充電器のコードを束ねた。
誰かがテーブルを拭く。
誰かが毛布を椅子の背へ掛ける。
片付けているのに、店内から物は減らない。
毛布。
衣類箱。
洗面用品。
ラジオ。
延長コード。
工具箱。
昨日より整っているだけだった。
入口から見れば、まだハンバーガー店に見える。
二歩入れば、何日も人が暮らしていることが分かる。
その間を秩序が歩いていく。
「失礼いたします」
床に少しだけ出ていた充電コードを、人間が慌てて椅子の下へ寄せる。
秩序はそれ以上何も言わない。
生活用品には触れない。
通路だけが、いつも空いていた。
◇
午前十時十一分。
直人は眠くなった。
昨夜の交代で睡眠が短かった。
「寝れば」
黒瀬がカードを集めながら言った。
「今?」
「眠いんだろ」
「昼じゃないですよ」
「お前、曜日捨てたくせに昼は気にすんのか」
直人は言い返せなかった。
上着を丸める。
隣のテーブルには毛布が置かれていたが、持ち主が使っている。
自分の薄い上着でいい。
横になる前にスマートフォンを見る。
次の延長までは二時間以上あった。
アラームを一時間後に設定する。
「おやすみ」
美咲が言った。
「おやすみなさい」
午前十時十三分だった。
◇
目を閉じても、店は静かにならない。
注文番号。
フライヤー。
ドリンクバーの氷。
誰かの笑い声。
トランプを切る音。
以前なら眠れないと思った。
今は、それが店の音だった。
外で何かが倒れる大きな音がした。
直人は目を開けた。
誰かが窓を見る。
数秒待つ。
悲鳴は続かなかった。
入口へ何かが来る気配もない。
「何だった?」
直人が聞く。
「看板じゃない?」
誰かが答えた。
「そっか」
直人はまた目を閉じた。
◇
十一時十二分。
アラームが鳴った。
直人は起き上がった。
何か事件があったわけではない。
誰かを助けたわけでもない。
食料を探したわけでも、ゾンビと戦ったわけでもない。
朝ごはんを食べた。
トランプをした。
少し話した。
一時間寝た。
それだけで午前が一つ減っていた。
直人はアラームを止めた。
何もしなかった時間を、無駄だとは思わなかった。




