第39話 いつもの味
九日目、午前十一時。
「チーズ、ピクルス抜き。ポテトM。コーヒーはアイス」
直人が言うと、秩序は一度も聞き返さなかった。
「かしこまりました」
会計を済ませる。
席へ戻ろうとして、直人は足を止めた。
「俺、これ何回目だろ」
後ろにいた美咲が聞く。
「何が?」
「この注文」
「昨日もそれじゃなかった?」
「昨日もか」
「一昨日も見た気がする」
直人はメニューを振り返った。
選べるものは他にもある。
それでも、また同じものを頼んでいた。
◇
窓の外では、スーパーの看板が半分落ちていた。
三日前に外へ出た人間が、店内へ戻って言った。
「向こうのコンビニ、もう何もない」
「水も?」
「棚はほぼ空。冷蔵ケースも止まってた」
別の男が言う。
「配送が来てないんだろ」
誰も驚かなかった。
道路を走るトラックを、何日も見ていない。
直人はカウンターを見る。
番号が呼ばれる。
「お待たせしました」
トレーの上には、チーズバーガーとポテトとアイスコーヒーがあった。
紙包みは新しい。
ポテトは熱い。
氷は透明だった。
直人は受け取った。
材料がどこから来るのかは、聞かなかった。
聞いたところで、バックヤードの向こうへ入れるわけではない。
◇
「今日もそれ?」
黒瀬が言った。
「悪いですか」
「別に」
直人は包みを開く。
チーズが少しバンズへ張りついている。
一口食べる。
同じだった。
初日に食べた味を、直人は覚えていない。
怖くて、急いで、味なんて考えなかった。
けれど昨日の味なら覚えている。
一昨日も。
「これだ」
「何が」
「いや。いつもの」
黒瀬が鼻で笑った。
「九日で常連ぶるな」
「九日も毎日食ってたら十分じゃないですか」
「店員に顔覚えられてから言え」
二人でカウンターを見る。
秩序はこちらを見ていなかった。
別の客の注文を取っている。
「ご注文をどうぞ」
直人は少し笑った。
◇
午後一時。
黒瀬が拾ってきた延長コードに、三台のスマートフォンがつながっていた。
隣のテーブルには毛布が畳まれている。
椅子の下には衣類の入った箱。
窓際には誰かが持ち込んだ小さなラジオ。
店内には、少しずつ人間の物が増えていた。
それでも厨房から漂う匂いは変わらない。
油。
焼けた肉。
パン。
コーヒー。
外の店からは、一つずつ匂いが消えている。
この店だけが同じ匂いを出し続けていた。
「次、外行くとき冷蔵庫見てくる」
黒瀬が言った。
高校生の少年が顔を上げる。
「マジで持ってくるの?」
「小さいやつな」
「何入れんの」
「薬とか。拾ったもんとか。あと冷たい水」
「ドリンクバーあるじゃん」
「何でも店に頼るな」
直人は思わず笑った。
ドリンクバーが尽きない店の中で、冷蔵庫を拾いに行く相談をしている。
妙な話だった。
でも、それが生活なのかもしれなかった。
◇
午後四時二十分。
美咲の子どもがポテトを一本食べて、首を振った。
「いらない?」
「きょう、ちがうの」
「違う?」
子どもは直人のトレーを指した。
「そっち」
「チーズ?」
頷く。
美咲が笑う。
「好み出てきたね」
直人は自分のバーガーを見た。
好み。
生き延びるために必要なものではない。
昨日と同じものが欲しい。
今日は別のものが欲しい。
そんな差を気にできるところまで来た。
◇
午後六時。
新しく入ってきた男がメニューを見上げていた。
「何がうまいですか」
突然聞かれて、直人は迷った。
「俺はチーズ」
「じゃ、それにします」
「ピクルスは?」
「普通で」
「ですよね」
自分だけ抜いていることを忘れていた。
男が注文へ向かう。
直人は空になった紙包みを畳んだ。
世界のどこで何が作れなくなったのか、もう全部は分からない。
PANDEMONIUMのチーズバーガーが明日も同じ味かどうかも、本当は保証されていない。
ただ九日間、そうだった。
だから直人は、明日もたぶん同じものを頼む。
非常食ではない。
備蓄でもない。
いつものやつだった。




