第37話 一週間
七日目、午前十時三十八分。
「今日、何曜日だっけ」
高校生の少年が言った。
誰もすぐには答えなかった。
直人はスマートフォンを見る。
「火曜」
「火曜か」
少年はそれだけ言って、ポテトを一本食べた。
学校があるわけではない。
仕事へ行くわけでもない。
ゴミの日でも、テレビ番組の日でもない。
火曜日は、ただ画面に書いてある文字になっていた。
「次、何時?」
美咲が聞いた。
こちらには、すぐ答えが返った。
「十一時四十分」
黒瀬だった。
延長の時刻。
店内では、火曜日よりそちらのほうがよく知られていた。
◇
正午前。
誰かのスマートフォンにニュース速報が表示された。
携帯回線はとうに不安定なのに、PANDEMONIUMのフリーWi-Fiへ繋ぐと、インターネットだけは何事もなかったように開く。
感染確認地域が増えていた。
昨日まで色のついていなかった県にも印がある。
主要道路の一部は封鎖。
鉄道は複数区間で運休。
避難所として指定されていた施設の情報も更新が止まっている。
「広がってるな」
黒瀬が画面を見た。
「うん」
直人は拡大された地図を見る。
赤い印が増えている。
一週間前なら、その一つ一つが逃げ道を消す印に見えただろう。
今も怖い。
ただ、十一時四十分まであと七分だった。
「先、延長してくる」
直人が立つ。
黒瀬が顔を上げる。
「ニュース見てからでいいだろ」
「忘れたら嫌なんで」
自分で言って、直人は少し止まった。
感染域の拡大より、七分後の時刻を先に処理した。
優先順位がおかしくなったのではない。
たぶん、逆だった。
外の感染域は自分では動かせない。
延長は、自分でできる。
◇
「延長をお願いします」
カウンターで言う。
「かしこまりました」
秩序が処理する。
もう手順を見なくても分かる。
財布を出す。
必要なものを出す。
受け取る。
次の時刻を確認する。
「次回は十五時四十分です」
「はい」
直人はスマートフォンのアラームを十五時三十分に合わせた。
戻る途中、美咲も立ち上がる。
「私もやってくる」
その後ろから二人続いた。
誰も相談しない。
◇
午後一時二十六分。
紙切れに、いくつか時刻が書かれていた。
十一時四十分。
十二時十分。
十二時五十五分。
十三時二十分。
人によってPANDEMONIUMへ入った時間が違う。
延長の起点も違う。
最初は全員が自分のスマートフォンだけで管理していた。
だが寝ている人間を起こす必要が出た。
充電を節約して電源を落とす者もいた。
「十四時五分、誰?」
「灰色のリュックの人」
「寝てるよ」
「十分前に起こそう」
曜日ではなく時刻が人を起こした。
朝だから起きるのではない。
延長があるから起きる。
夜だから眠るのではない。
次の延長まで余裕があるから眠る。
人間側の一日は、少しずつ四時間ごとの継ぎ目を持ち始めていた。
◇
午後三時。
新しい速報が来た。
感染地域はまた一つ増えた。
直人は見た。
見て、スマートフォンを伏せた。
十五時三十分のアラームまで、あと三十分。
「寝る」
「三十分だけ?」
美咲が聞く。
「二十五分」
「細かい」
「起きる時間が決まってるから」
直人は上着を丸めた。
外では、昨日まで安全と表示されていた場所が安全ではなくなっている。
店内では、誰かが水を汲み、誰かが多目的トイレの順番を待ち、誰かが紙袋を畳んでいた。
秩序が注文を取り、渾沌が厨房で声を上げる。
一週間。
世界にとっては、感染が広がった一週間だった。
直人たちにとっては、四時間を何度もつないだ一週間だった。
◇
十五時三十分。
アラームが鳴るより少し前に、直人は目を開けた。
スマートフォンを見る。
十五時二十九分。
身体が時刻を覚え始めている。
起き上がる。
黒瀬が言った。
「まだ鳴ってねえぞ」
「起きちゃった」
「何時だ」
「二十九分」
黒瀬は壁の時計を見た。
「あと十一分か」
火曜日の午後三時二十九分。
その言い方は、もうほとんど意味を持たなかった。
直人に必要なのは、もっと短い言葉だった。
あと十一分。
それで十分だった。




