第36話 聞いてはいけない質問
六日目、午前四時十二分。
直人は眠れなかった。
眠くないわけではない。
椅子を二つ使って横になっても、首が痛い。上着を丸めて枕にしても高さが合わない。誰かの寝息と、厨房の換気扇と、注文番号を呼ぶ声が重なる。
それでも五日前なら眠れた。
今夜は、声を待っていた。
「ご注文をどうぞ」
秩序だった。
直人は目を開けた。
またいる。
昨日の午後にもいた。
夜にもいた。
今もいる。
もちろん、それだけでは何も証明できない。
自分が眠っている間に休んだのかもしれない。
バックヤードに別のクルーがいて、見分けがついていないだけかもしれない。
考えれば考えるほど、まともな説明はいくつも作れた。
だから直人は、確かめることにした。
◇
午前四時二十六分。
客が途切れた。
直人はカウンターへ行った。
秩序がこちらを見る。
「ご注文ですか」
「いえ」
「何かお困りでしょうか」
「ちょっと聞いてもいいですか」
「はい」
ここまで来て、直人は言葉を選んだ。
「最後に寝たの、いつですか?」
秩序が直人を見る。
沈黙は一秒もなかった。
「睡眠についてのお問い合わせでしょうか」
「……はい。秩序さんの」
「私の?」
初めて、直人のほうが質問の意味を説明する側になった。
「ずっと働いてますよね」
「営業中ですので」
「それは分かるんですけど。昨日も、一昨日も、その前も見たので」
「はい」
「いつ休んでるのかなって」
秩序は少し考えた。
困った顔ではなかった。
質問を理解するために、言葉の置き場所を探しているように見えた。
「現在、休憩をご希望ですか?」
「俺じゃなくて」
「では、どなたでしょう」
「秩序さんです」
「私は勤務中です」
話が一周した。
◇
直人はカウンターから離れなかった。
「勤務が終わるのは?」
「営業しております」
「二十四時間?」
「はい。二十四時間営業です」
「じゃあ、勤務は?」
「勤務しております」
「ずっと?」
秩序は、そこでようやく少し首を傾けた。
「何か問題がございましたか?」
直人は黙った。
問題。
あるのか。
注文は出ている。
レジは動いている。
床は汚れれば清掃される。
ゾンビが来ても営業は続く。
客である直人に、何の問題がある。
「……ないです」
「承知しました」
秩序はそれで話を終えた。
「お困りのことがございましたら、お声がけください」
「はい」
答えてもらえなかった。
いや。
直人は席へ戻りながら思った。
答えなかったのとは違う。
質問が、最後まで同じ形で届かなかった。
◇
午前五時三分。
「聞いたのかよ」
起きてきた黒瀬に話すと、呆れた顔をされた。
「聞きました」
「で?」
「勤務中だそうです」
「見りゃ分かる」
「ですよね」
黒瀬は紙コップに水を入れて飲んだ。
「寝ないんですか、って聞けよ」
「それ、もっと変な質問じゃないですか」
「もう十分変だろ」
直人は笑えなかった。
「たぶん、聞いても同じです」
「何で」
「寝ないことを変だと思ってない感じだったので」
黒瀬の手が一瞬止まる。
「……そうか」
それだけ言って、水を飲み切った。
◇
午前六時十一分。
外が青くなり始めた。
ガラスの向こうに、倒れた自転車がある。昨日から同じ場所だ。
店内では交代の時間になり、二人が起き、二人が眠る。
人間は順番を決めなければ休めない。
直人はカウンターを見る。
秩序が新しい客に言う。
「いらっしゃいませ」
声は同じだった。
厨房から渾沌の声がした。
「朝の分、できたよー!」
午前六時十二分。
六日目の朝が来た。
PANDEMONIUMには、朝が来ただけだった。




