第34話 五日目の朝食
五日目の朝、直人はメニューを見て迷っていた。
「……何食べよう」
口にしてから、自分で変な顔をした。
美咲が向かいから見る。
「どうしたの」
「いや」
直人はメニューをもう一度開く。
チーズバーガー。
てりやき。
フィッシュ。
朝のセット。
ポテト。
食べられるものを探しているのではなかった。
食べたいものを選んでいる。
五日前には考えもしなかった違いだった。
「フィッシュにする」
「昨日も食べてなかった?」
「昨日はチーズ」
「覚えてるんだ」
「覚えてるよ」
美咲が笑った。
◇
午前七時二十一分。
注文の列には六人いた。
前の高校生がメニューを睨んでいる。
「朝からポテトってありかな」
黒瀬が後ろから言う。
「食いたきゃ食え」
「朝飯っぽくなくない?」
「世界終わってんのに朝飯らしさ気にすんのかよ」
少年は少し考えた。
「じゃあポテト」
秩序が聞く。
「サイズはいかがなさいますか」
「L」
「かしこまりました」
世界が終わっていても、LかMかは選べる。
直人はそのことがおかしくて、少し笑った。
「次のお客様、どうぞ」
自分の番になる。
「フィッシュバーガーと、コーヒー」
「コーヒーはホットとアイス、どちらになさいますか」
直人は窓を見る。
朝の光はあるが、外の道路には動かない車が二台残っている。その向こうを人影が一つ、ゆっくり横切った。
「ホットで」
「かしこまりました」
選べた。
それだけだった。
それだけなのに、少し嬉しかった。
◇
灰色のリュックの女は、母親と相談していた。
「今日は何なら食べられそう?」
「昨日の魚の」
「フィッシュ?」
「そう、それ」
「じゃあ同じにする?」
「私は半分でいい」
注文する量まで自分で決める。
誰かが人数分を配るわけではない。
配給表もない。
生存者一人につき一食、という仕組みもない。
腹が減った人が、自分の財布で、自分が食べたいものを注文する。
金の問題は消えていない。
それでも今朝、店内にあったのは「何が残っているか」という会話ではなかった。
「何にする?」だった。
◇
午前七時四十九分。
直人のトレーが来た。
紙包みを開く。
温かい。
五日間ずっと、出てくるものは温かかった。
非常食なら、栄養と保存性が大事なのだろう。
だが今、直人が気にしたのは別のことだった。
一口食べる。
「これ好きかも」
美咲が言う。
「五日目で?」
「五日目だからじゃない?」
直人は考える。
初日は味を覚えていない。
二日目も、腹へ入れば何でもよかった。
今は違う。
好き嫌いを考える余地が戻っている。
子どもが美咲のポテトへ手を伸ばす。
「それママの」
手が止まる。
「一本ならいいよ」
一本取る。
「二本取った」
美咲が笑う。
隣の席でも、コーヒーに砂糖を二本入れるか三本入れるかで話している。
誰かが無料のミルクを持ってくる。
昨日まで、その小さな容器はカロリー源として数えられていた。
今朝はただ、コーヒーを自分の好きな味にするために使われていた。
同じ物なのに、意味が少し戻っていた。
◇
午前八時十二分。
ドリンクバーを注文している男が立ち上がった。
「水いる人?」
何人かが手を挙げる。
男はカップを並べて汲んでいく。
もう誰も、そのやり方を珍しがらなかった。
未注文の少年が自分でジュースを汲もうとして、途中で止まる。
「あ、俺頼んでない」
「飲みたいなら俺が取るぞ」
「オレンジ」
男が代わりにボタンを押す。
秩序はレジで別の客の注文を受けている。
何も言わない。
ルールは変わっていない。
人間のほうが覚えただけだった。
◇
午前八時四十分。
朝食を終えた直人は、紙包みを小さく畳んだ。
捨てようとして、少し迷う。
「それ使う?」
黒瀬が聞く。
「いや、油ついてるし」
ゴミ箱へ入れた。
何でも保存する必要はない。
使えるものを全部生存資源として抱え込むだけでは、暮らしにならない。
必要なら使う。
いらなければ捨てる。
そんな当たり前まで、少しずつ戻っていた。
入口が開いた。
冷たい空気と一緒に、知らない女が駆け込んでくる。
店内の何人かが振り向いた。
秩序はいつも通りだった。
「いらっしゃいませ」
女は息を切らしながら、店内を見る。
椅子で眠る人。
顔を洗って戻ってくる人。
朝食を食べる親子。
水を配る男。
「……ここ、何なんですか」
直人はフィッシュバーガーの包み紙を捨てた手を見た。
五日前なら、自分も同じことを聞いた。
今は少しだけ答えが違う。
避難所ではない。
基地でもない。
「ハンバーガー屋です」
直人が言った。
女は冗談だと思ったらしい。
けれど秩序は次の客を呼び、厨房では渾沌が笑い、ドリンクバーでは氷が落ちた。
五日目の朝食は、そのまま続いた。




