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第26話 ゾンビのお客様


午後三時三十八分。


入口のガラスを、二つの手が叩いていた。


どん。


少し間があって、もう一度。


どん。


店内にいた客は、誰も喋らなかった。


さっきまで入口に並んでいた人たちは、壁際まで下がっている。


外には二人。


男と女だった。


服は汚れ、男の首筋には黒ずんだ噛み跡がある。女は片方の靴を失っていた。


顔を上げる。目は合わない。それでも、PANDEMONIUMの扉へ向かってくる。


「閉めて!」


誰かが叫んだ。


扉は閉まっていた。鍵は掛かっていない。秩序がその前に立っているだけだった。


「店内へ入らないでください」


外の男がガラスへ額をぶつけた。


ごん。


秩序は半歩も下がらなかった。


厨房から油の弾ける音がした。


渾沌がポテトの袋を持ったまま顔を出す。


「まだいる?」


「います」


「注文は?」


「確認できません」


「そっか」


それだけだった。


直人は二人を見た。


「そっか、じゃないだろ……」


自分の声だけが震えていた。


◇


「裏口から出せないんですか」


客の一人が言った。


「何をですか」


秩序が振り返る。


「俺たちを。あれが入口にいるなら」


「裏口は業務で使用します」


「業務って。外、あれですよ」


「見えています」


どん。


またガラスが鳴る。


別の客が椅子を持ち上げた。


「これ、扉の前に置こう」


直人も手を伸ばしかける。


「置かないでください」


秩序が言った。


「でも開いたら」


「開けません」


「押されたら?」


「通しません」


短い。説明がない。


男は椅子を持ったまま、秩序を見る。その細い身体と、ガラスの向こうの二人を見比べる。


「……大丈夫なんですか」


「営業を続けます」


答えになっていない。けれど秩序は、もうレジへ戻った。


「次のお客様、ご注文をどうぞ」


誰も動かなかった。


三秒。五秒。


入口では、まだ手がガラスを擦っている。


そのとき、カウンターの前にいた老人が言った。


「じゃあ、チーズバーガー」


全員が老人を見る。


「腹減ったんだよ」


「店内でお召し上がりですか」


「ここから出られんだろ」


「かしこまりました」


注文が一つ通った。


鉄板で肉が焼け始める。


異常なのは外なのか。店なのか。


直人には、だんだん分からなくなってきた。


◇


午後三時五十一分。


外の女が扉の取っ手に触れた。下へ押す。


扉が数センチ動いた。


悲鳴が上がった。


次の瞬間、動かなくなった。


秩序が内側から片手で押さえていた。力んでいるようには見えない。


女が引く。押す。男もぶつかる。


扉は、それ以上一ミリも開かなかった。


渾沌がカウンター越しに覗く。


「入店したいのかな」


「意思確認ができません」


「でもドア開けてるよ」


「入店意思と同一とは判断できません」


「じゃあ聞く?」


「聞きます」


秩序は扉越しに言った。


「ご注文はお決まりですか」


直人は思わず秩序を見た。


外の二人は答えない。男の歯がガラスに当たる。


かち。かち。


「応答なしです」


「じゃ注文まだだね」


「はい」


渾沌は厨房へ戻った。


「四十八番、ポテト上がるよー!」


「今それやる!?」


直人が言った。


渾沌が振り返る。


「冷めるよ?」


「そうじゃなくて」


言葉が続かなかった。


四十八番の客が、おそるおそる手を上げた。


「……僕です」


「はい!」


紙袋が渡る。


受け取った男は、外の二人を見ながら一本食べた。


「熱っ」


誰かが小さく笑った。笑ってから、口を押さえた。


◇


午後四時七分。


三人目が来た。


今度は走ってきた女だった。


「開けて!」


人間の声。


秩序はすぐ扉を開けた。


女が滑り込む。閉める。


外の二人が一斉に寄る。


どん。


扉はまた止まった。


女は床へ座り込んだ。


「噛まれてない?」


直人が聞く。


女は袖をまくった。


「ない。ないです」


「追われてた?」


頷く。


「ずっと。駅の方から」


「他には?」


「分からない」


息を整える前に、秩序がメニューを差し出した。


「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」


女が顔を上げる。


「え?」


「店内をご利用になりますか」


「……はい」


「でしたら、ご注文をお願いします」


女はメニューを見る。外を見る。もう一度メニューを見る。


「チーズバーガー」


「セットになさいますか」


「……はい」


「ドリンクをお選びください」


「コーラ」


会計が終わった。


女は番号札を握ったまま、直人へ言った。


「ここ、何なんですか」


直人は答えられなかった。


バーガー屋です、と言えばいい。


たぶん、それが一番正しい。


◇


午後四時二十二分。


外の男が倒れた。


膝から崩れ、そのまま舗道へ横になる。


女だけが扉を叩き続ける。


「死んだ?」


客の誰かが言った。


直人は近づきかけた。


秩序が言う。


「扉から離れてください」


「確認しないと」


「何をですか」


「生きてるか」


「確認して、直人さんは何をしますか」


止まった。


救急車。病院。警察。


昨日までなら、どれかへ繋いだ。


携帯回線の通話は、どこへかけてもまともに繋がらない。


PANDEMONIUMのフリーWi-Fiだけは繋がっている。それでも、救急車も病院も警察も、応答する人間がいなければ呼び出せない。


自分で外へ出るのか。触るのか。運ぶのか。


何も決めていない。


「……分かりません」


「では、今は離れてください」


直人は下がった。


それは見捨てたのとは少し違った。


少なくとも、自分が何をするか決めないまま扉だけ開けるのはやめた。


◇


午後四時三十六分。


倒れていた男が動いた。


直人の背中が固まる。


男は立ち上がった。


遅い。さっきまでより、さらに遅い。


それでもまた扉へ来た。


どん。


客席から息を呑む音。


渾沌がトレーを持って通る。


「復活した?」


「状態変化は確認しました」


「元気には見えないね」


「はい」


「じゃあ入れない?」


「意思疎通が成立せず、他のお客様へ接触する可能性があります」


「了解!」


渾沌はトレーを窓際へ運んだ。


「お待たせしましたー!」


それで終わった。


直人は秩序を見る。


「怖くないんですか」


秩序がこちらを見る。


「何がですか」


直人は外を指した。


「……あれが」


秩序も見る。


男。女。汚れた服。濁った目。ガラスを叩く手。


「店内へ入れないよう対応しています」


「いや、そうじゃなくて」


「では、何を聞いていますか」


直人は口を開いた。閉じた。


怖いかどうか。それを聞いている。


でも秩序には、その質問が業務上の何に必要なのか分からないようだった。


「……いいです」


「そうですか」


秩序はレジへ戻った。


◇


午後五時。


入口の列が、またできていた。


ただし今度は、扉から少し距離を取っている。


外の二人を避け、壁沿いに並ぶ。


誰かが後から来た人へ言った。


「そっち近づかない方がいいです」


「店、入れるんですか」


「入れます。順番で」


「でも、あれ」


「店員さんが止めてます」


それだけで説明が終わる。


直人は列の先頭へ行かなかった。


扉の管理もしなかった。


秩序が一人ずつ入れる。


渾沌が注文を取る。


ぱむちゃんがカウンターの下から顔を出した。


「ぱむ」


外の女が、ガラスを叩く。


ぱむちゃんがそちらを見る。


「ぱむ?」


少し近づく。


直人が反射的に手を伸ばすより先に、ぱむちゃんは止まった。


ガラス一枚分の距離。


女が口を開く。


ぱむちゃんも口を開く。


「ぱむ」


返事はない。


ぱむちゃんは首を傾げた。


それからカウンターへ戻った。


次の客が入る。


「いらっしゃいませ」


秩序の声。


鉄板の音。


ポテトの匂い。


注文番号。


ガラスを叩く音。


全部が同じ店内にあった。


直人は紙を見る。


次の延長時刻まで、まだ時間がある。


外では女がガラスを叩く。


内側では、次の客がメニューを開いた。

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コーラもしっかりあった!
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