↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/122

第22話 四時間


午後七時を過ぎても、PANDEMONIUM BURGERの看板は消えなかった。


直人は道路の向こうから、それを三度見た。


昼に来たときと同じ白い文字。窓の向こうでは注文を受け、厨房では鉄板が鳴っている。


スマートフォンには、美咲から短いメッセージが来ていた。


《こっち、今夜は動かない方がいいみたい》


続けて、藤村。


《北側の通りでまた倒れた人。救急は来ない》


直人は返信せず、店へ入った。


外で受け取るつもりだった。

けれど、交差点の向こうで誰かが走り、その後ろから怒鳴り声がした。


扉を閉める。


店内には六人いた。

食事をしている客が四人。窓際でスマートフォンを握っている男が一人。もう一人は、空になったトレーの前で動かなかった。


ぱむちゃんが直人の靴のそばまで来る。


「ぱむ」


「今日は中にいる」


「ぱむ」


それで通じたのかは分からない。

ぱむちゃんは厨房の方へ戻っていった。


直人は一番奥の席へ座った。


◇


午後七時四十三分。


美咲から電話が来た。


『帰ってこないで』


最初の一言がそれだった。


「何かあった?」


『さっき、道路のところに人が集まってる。誰か噛まれたって』


「見たの?」


『窓から。近くには行ってない』


直人は店の窓を見る。

ここから家までは歩ける。

いつもなら。


『そっちは?』


「店」


『まだやってるの?』


「やってる」


言ってから、直人も入口の看板を見た。


営業中。


昼から変わっていない。


「しばらくここにいる」


『しばらくって?』


直人は答えられなかった。


一時間。

朝まで。

安全になるまで。


どれも、自分には決められない。


「聞いてみる」


『何を?』


「どれくらいいていいのか」


電話を切った。


◇


レジの前には二人並んでいた。


直人は最後につく。


自分の番になる。


「すみません」


声をかけてから、少し変な気がした。

注文ではない。


「ここ、食べ終わったあとも、いていいですか」


返ってきたのは、避難所の案内ではなかった。


「ご滞在の延長ですか」


直人は聞き返した。


「延長?」


「はい」


「何時まで?」


「四時間単位です」


直人は時計を見る。


午後七時五十二分。


四時間なら、ほとんど午前零時だ。


「四時間だけ?」


「続けてご利用になる場合は、また延長できます」


「何回まで?」


「必要になったときにお申し付けください」


回数の答えにはなっていない。


けれど直人が欲しかったのは、たぶん回数ではなかった。


今すぐ外へ出なくていい。


それだけだった。


「じゃあ、四時間」


手続きをする。


小さな紙が渡された。


終了時刻が印字されている。


23:52。


宿泊許可証には見えなかった。

整理券に近い。


直人はそれを持って席へ戻った。


◇


午後八時半。


客が一人増えた。


若い女だった。

扉を閉めるなり、外を振り返った。


「ここ、まだやってますか」


「営業しております」


返事はあまりにも普通だった。


女は水だけを頼もうとして、メニューを見直し、結局バーガーも注文した。


食べ終わっても帰らなかった。


直人は声をかけなかった。


やがて女が自分からレジへ行く。


少し話す。


小さな紙を受け取る。


戻ってくる。


直人と同じだった。


「四時間?」


思わず聞くと、女は紙を見せた。


「四時間」


それだけ言って、入口から一番遠い席へ移った。


避難してきた、とは言わなかった。


店も、避難させたとは言わなかった。


◇


午後九時十七分。


藤村から連絡。


《黒瀬は部屋。こっちは今のところ動かない》


《美咲さんたちも確認済み》


直人は肩の力を抜いた。


すぐに、別の通知が入る。


近隣のグループチャット。


《駅前封鎖》


《コンビニ閉まった》


《南側通らない方がいい》


情報が増えるたび、帰れる道が減っていく。


直人は地図を開いた。


どこが安全か。

どこが通れるか。

いつ動けばいいか。


赤い印をつけかけて、やめた。


四時間後の道路を、今の地図では決められない。


スマートフォンを伏せた。


目の前には、食べ終えたトレーがある。


厨房から油のはぜる音がした。


新しい客が注文している。


午後九時を過ぎているのに、店内の動きは昼と変わらなかった。


◇


午後十時四十一分。


直人は眠くなっていた。


椅子の背にもたれる。


向かいでは、若い女が腕を組んで目を閉じている。

眠ってはいないらしい。扉が開くたび薄く目を開けた。


ぱむちゃんが床を横切った。


「ぱむ」


誰に言ったのか分からない。


直人は時計を見る。


残り一時間十一分。


あと一時間で外が安全になる保証はない。


むしろ悪くなっているかもしれない。


それでも、まだ延長しなかった。


今決めなくていい。


そのことだけが、少し楽だった。


◇


午後十一時三十七分。


美咲から来た。


《まだそこにいて》


直人はすぐ返した。


《いる》


終了まで十五分。


レジへ行く。


「延長、今できますか」


「はい」


また四時間。


そう言いかけて、直人は止まった。


今回の四時間が終わる前に、もう次を決めようとしている。


「……やっぱり、あと十分待ちます」


「承知しました」


引き止められない。

急かされない。


直人は席へ戻る。


十一時四十八分。


外で何かが倒れる音がした。


店内の何人かが窓を見る。


厨房では、注文番号が呼ばれた。


「二十三番のお客様」


誰かが立ち上がる。


直人は自分の紙を見る。


23:52。


四分。


四時間という数字が、急に短く見えた。


ここに朝までいられるとは、誰も言っていない。


けれど、四時間後にもう一度決められる。


それなら今は、それでよかった。


午後十一時五十一分。


直人は立った。


レジへ向かう。


「延長、お願いします」


「四時間ですね」


「はい」


新しい紙が出てくる。


今度の終了時刻は、午前三時五十一分。


直人はその数字を見た。


午前三時。


そんな時間のPANDEMONIUMを、まだ見たことがなかった。


足元で、ぱむちゃんが紙を覗き込む。


「ぱむ」


直人は紙を折らず、テーブルの上へ置いた。


外へ出ないことを決めたのではない。


次に決める時刻を、四時間だけ先へ送った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。