第20話 客の条件
昼すぎ、直人は自分の車でバーガーを食べた。
包み紙を膝に広げる。
まだ少し温かい。
一口。
普通だった。
肉の味がして、チーズが少し濃くて、ソースが指についた。
直人はもう一口食べた。
朝から気になっていたのは、あの小さなバーガーのほうだった。
歩いていた。
喋った。
「ぱむ」と。
なのに今、口の中にあるものは、ちゃんと昼飯だった。
スマートフォンが鳴る。
美咲。
『どう?』
「普通」
『普通なの?』
「うん」
『じゃあよかったじゃん』
直人は包み紙を見る。
「たぶん」
『またそれ』
電話の向こうで子どもの声がした。
『おいしい?』
直人は少し笑う。
「おいしいよ」
今度は、たぶんをつけなかった。
残りのバーガーは、受け渡し場所を決めて美咲たちへ渡した。
食べ終わるころには、また店のことを考えていた。
食料は減っている。
スーパーは並ぶ。
ドラッグストアは閉まった。
あの店は開いている。
それなら、明日も使えるかもしれない。
そう考えてから、直人は自分で嫌になった。
使える。
店を見つけた途端、もうそういう見方をしている。
午後二時二十分。
直人はもう一度、PANDEMONIUM BURGERへ向かった。
今度は買うためではない。
何個まで買えるのか。
材料はどのくらいあるのか。
外で受け取れるのは自分だけなのか。
聞いておきたかった。
交差点を曲がる。
店の前に、人がいた。
朝とは違う。
三人。
一人は自転車の横に立つ男。
一人は買い物袋を下げた女性。
もう一人は、歩道の端に座っていた。
直人は足を止めた。
座っている男が咳をした。
一度。
二度。
買い物袋の女性が、すぐ一歩離れる。
自転車の男もハンドルを引いた。
座っている男が顔を上げた。
「悪い」
声が掠れている。
額には汗があった。
直人も、反射的に距離を取った。
店の扉は閉まっている。
中では朝の女がこちらを見ていた。
ぱむちゃんもいる。
小さな足で窓際まで来る。
「ぱむ」
座っている男が窓を見る。
「ここ、飯買えるんだろ」
誰に聞いたのか分からない。
自転車の男が言った。
「熱あるなら来るなよ」
座っている男の顔が強張る。
「家に食うもんねえんだよ」
「知らねえよ」
「朝から何も食ってない」
「だからって店来んなよ」
直人は口を挟みかけた。
止まる。
熱があるなら、近づかないほうがいい。
それは分かる。
でも、朝から何も食べていないというのも分かる。
店の女が動いた。
扉には来ない。
朝と同じように、窓の内側へ紙を出した。
《発熱ありますか》
座っている男が読んだ。
「ある」
女は次の紙を書く。
《何度》
「三八度ちょい」
《咳》
「ある」
《一人で歩けますか》
男は眉を寄せた。
「歩いて来たよ」
女が頷く。
また書く。
《そこで待っていてください》
自転車の男が声を上げた。
「売るんですか?」
女はそちらを見る。
「はい」
扉越しでも聞こえた。
「熱あるんですよ」
「はい」
「感染してるかもしれない」
「はい」
男は言葉に詰まった。
「じゃあ、俺らは?」
女は少し考えた。
扉の横を指した。
朝、直人が金を置いた金属トレー。
その少し離れた場所に、もう一つ小さな台が出された。
女は紙を貼る。
《受取場所》
さらに、入口から離れた歩道側を指す。
「お待ちになる場所を分けます」
「それで大丈夫なんですか」
自転車の男が聞く。
女は答えた。
「大丈夫とは言えません」
直人は顔を上げた。
その言葉を、この数日で何度聞いただろう。
ただ、その次が違った。
「ですので、近づかないで受け取れるようにします」
安全です、ではなかった。
帰ってください、でもなかった。
女は三人へ順番を確認した。
自転車の男。
買い物袋の女性。
座っている男。
「俺、最後でいい」
座っている男が言った。
「先やって」
自転車の男は何も言わなかった。
最初の注文ができる。
金を置く。
離れる。
女が取る。
しばらくして紙袋が出る。
自転車の男が持っていく。
次。
同じ手順。
買い物袋の女性は紙袋を受け取ると、座っている男から大きく離れて歩いていった。
最後に男だけが残った。
女が紙を出す。
《アレルギー》
男は首を振る。
「一個」
ポケットを探る。
小銭を落とした。
拾おうとして咳き込む。
直人の足が半歩出た。
止まる。
男は自分で拾った。
金属トレーへ金を置く。
「足りる?」
女が数える。
頷いた。
紙袋が出てくるまで、男は歩道の端に座っていた。
直人は少し離れた場所に立っていた。
何もすることがない。
それでも帰れなかった。
「兄ちゃんも客?」
男が言った。
「朝、買いました」
「うまかった?」
「はい」
「ならよかった」
それだけだった。
数分後、紙袋が台へ置かれた。
女が中から手で合図する。
男が立ち上がる。
ふらついた。
直人の身体がまた動きかける。
男は壁へ手をついて止まった。
「大丈夫ですか」
直人が聞く。
「大丈夫じゃないから熱出てんだろ」
少し笑った。
それから紙袋を取る。
「ありがと」
女へ言ったのか、直人へ言ったのか分からなかった。
男は来た道をゆっくり戻っていった。
直人はその背中を見送った。
店の扉が開く。
女は外へ出ず、内側に立ったまま言った。
「ご注文ですか」
「あ、いや」
直人は本来聞くつもりだったことを思い出した。
何個まで買えるのか。
材料はどれだけあるのか。
外で受け取れる条件は何か。
「聞きたいことがあって」
「はい」
「熱がある人にも売るんですね」
「注文できれば」
「じゃあ、誰でも?」
女は少し首を傾げた。
「誰でも、とは言っていません」
「条件あるんですか」
「あります」
直人は待った。
女は続ける。
「店の中で、ほかのお客様と安全に一緒に待てない方は、外でお待ちいただきます」
「感染してるかどうかじゃなくて?」
「私には分かりません」
「熱がなくても感染してるかもしれない」
「はい」
「じゃあ、入っていい人は」
言いながら、直人は止まった。
また分類しようとしている。
入れる人。
入れない人。
安全な人。
危険な人。
女は答えを急がなかった。
足元で、ぱむちゃんが金属トレーへ近づいた。
朝から何度も使われたせいか、少しずれている。
小さな身体で端を押す。
動かない。
「ぱむ」
もう一度押す。
直人は思わず笑った。
女がトレーを元の位置へ戻す。
「その都度、できる形にします」
直人はトレーを見る。
「決まってないんですか」
「全部は」
「客が増えたら?」
「そのとき考えます」
美咲と同じ言葉だった。
以前なら嫌いだった。
今は、少し違って聞こえた。
直人は道路を見る。
さっきまで三人いた場所には、誰もいない。
誰も店内には入らなかった。
それでも三人とも、客だった。
「じゃあ」
直人は言った。
「僕も、しばらく外で買います」
女は頷いた。
「分かりました」
「いつまでとか、決めたほうがいいですか」
「必要になったら」
直人は少し笑った。
「そうします」
店を離れる。
帰り道、スマートフォンを開いた。
管理人へ、店のことを知らせようとした。
《近くに営業しているバーガー店があります》
そこまで打つ。
続けて、
《発熱者でも外で買えます》
と書いた。
読み返す。
消した。
それだけでは、さっき見たものと違う。
発熱者を受け入れる店。
安全な店。
危険な店。
どれか一つにすると、また話が短くなる。
直人は書き直した。
《PANDEMONIUM BURGERという店が営業しています。店内で待てない場合は、外で注文・受取を相談できます。必要な人がいたら店に確認してください》
送る。
すぐに既読がついた。
藤村から返信。
《黒瀬さんも買える?》
直人は立ち止まった。
黒瀬は部屋から出ない条件で戻っている。
店が売れることと、黒瀬が行けることは別だった。
《今は黒瀬本人が外に出ない約束なので、別に考えたほうがいいです》
送る。
少しして黒瀬本人から来た。
《勝手に俺の昼飯会議すんな》
直人は吹き出した。
《食べたい?》
《肉なら》
《バーガー》
《じゃ食う》
直人は店を振り返った。
朝、自分が使った金属トレーの横に、もう一つの台が残っていた。
客がいなくなっても、すぐには片づけられていない。
窓の向こうで、ぱむちゃんがその脚を押している。
「ぱむ」
少しだけ、台が動いた。




