↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/122

第19話 営業中


翌朝、看板はまだ点いていた。


直人は車のフロントガラス越しに、交差点の先を見た。


建物そのものはここから見えない。


美咲が送ってきた写真では、歩いて十分もかからない場所だった。


PANDEMONIUM BURGER。


地図で検索する。


出ない。


店名を変えて検索する。


出ない。


住所から見る。


そこには以前、別の飲食店があったらしい。


営業時間の表示はない。


口コミもない。


電話番号もない。


なのに、営業中。


直人は検索画面を閉じた。


午前七時四十分。


美咲から朝食を受け取る。


「まだある?」


「何が」


「店」


「あるよ。看板ついてる」


「人、入ってる?」


「分からない。窓から見えない」


直人は紙袋を開いた。


パンが一枚。


昨日まで二枚だった。


「これだけ?」


「ごめん。食パン最後」


「謝らなくていいよ」


「米もあと二日くらい」


直人はパンを見た。


「スーパーは?」


「開いてる。でも朝から並んでるって」


「行かないで」


美咲が少し顔をしかめる。


「じゃあ何食べるの」


言われて止まる。


行くな。


出るな。


触るな。


それだけでは、食べ物は増えない。


「店、見てくる」


美咲の表情が変わった。


「直人が?」


「車でここにいるより、僕が行くほうがまだいい」


「接触者なんでしょ」


「だから中には入らない。外から見る」


「営業してたら?」


直人は答えなかった。


午前八時十二分。


直人は三日ぶりに駐車場の外へ出た。


歩く。


それだけで変な感じがした。


住宅街には人がほとんどいない。


ゴミ集積所には袋が積み上がっている。


自動販売機の一本が売り切れ表示になっていた。


交差点を曲がる。


店があった。


写真より小さい。


古い二階建ての一階。


赤茶色の壁。


大きな窓。


その上に白い文字。


PANDEMONIUM BURGER。


入口には紙が貼られていた。


《営業中》


それだけ。


営業時間もない。


感染対策の注意書きもない。


臨時休業の予告もない。


直人は道路の反対側で止まった。


店内に人影がある。


一人。


カウンターの奥。


もう一人、小さな影が床の近くを動いた。


客はいない。


直人はスマートフォンを取り出した。


電話番号を探そうとして、やめた。


番号がないことはもう調べた。


信号が青になる。


渡らない。


次も青になる。


まだ渡らない。


三回目。


向こうから誰かが出てきた。


若い男だった。


紙袋を持っている。


マスクをしている。


直人は距離を取ったまま声をかけた。


「すみません」


男が振り返る。


「そこ、やってました?」


「やってますよ」


「普通に?」


「普通が何か分かんないですけど」


男は紙袋を持ち上げた。


「買えました」


「並んでました?」


「俺しかいなかったです」


「食べ物、まだあります?」


「あるんじゃないですか」


男は歩いていった。


直人は店を見る。


信号がまた青になる。


渡った。


入口から数メートル離れて立つ。


中の人物がこちらを見た。


女。


年齢は分からない。


帽子をかぶっている。


その足元から、丸いものが出てきた。


バーガーだった。


直人は目を細めた。


バンズ。


具。


小さい足。


こちらを見上げている。


「……何あれ」


バーガーが一歩前へ出る。


「ぱむ」


聞こえた。


直人は入口からさらに一歩下がった。


女が扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


「入らないです」


即答した。


女は扉を半分開けたまま止まる。


「そうですか」


閉めようとする。


「待って」


直人が言った。


女が見る。


「食べ物、売ってます?」


「はい」


「持ち帰りできます?」


「できます」


「外で注文できます?」


少し考えてから。


「できます」


直人は意外だった。


理由を聞かれない。


入れと言われない。


「僕、感染者と接触してる可能性があります」


女の手が止まった。


初めて、表情が変わった。


「発熱は?」


「ないです」


「咳は?」


「ない」


「味や匂いは?」


「あります」


女は直人との距離を見た。


「そこで待っていてください」


扉が閉まった。


拒否されたのかと思った。


数分後。


女が紙とペンを窓の内側から見せた。


文字が書いてある。


《何個必要ですか》


直人は指を立てた。


四。


女が頷く。


次の紙。


《アレルギー》


直人は首を振る。


そのあとで気づいた。


家族全員分を、自分の判断だけで答えた。


スマートフォンで美咲へ電話する。


「アレルギーないよね」


『ないけど。店?』


「うん」


『本当に営業してるの?』


直人は窓の向こうを見る。


バーガーの小さなものが、女の足元を歩いている。


「してる」


『何売ってる?』


「バーガー」


『何バーガー』


「分からない」


『聞いてよ』


「今聞く」


直人は窓へ近づかず、身振りで尋ねる。


女が紙へ書く。


《本日のバーガー》


それだけだった。


「何が入ってるんですか」


声を張る。


女は少し考え、別の紙へ材料を書いた。


バンズ。

肉。

葉野菜。

チーズ。

ソース。


普通だった。


少なくとも文字では。


「四つお願いします」


女が頷く。


直人は財布を出した。


現金。


触れる。


渡す。


釣りを受け取る。


そこで接触が生まれる。


迷っていると、女が窓越しに小さな箱を指さした。


入口脇。


金属のトレー。


直人はそこへ金を置いた。


女は手袋をして回収した。


しばらくして、紙袋が同じ場所へ置かれる。


誰も近づかない。


直人が取る。


温かい。


匂いがした。


焼いた肉とパン。


三日ぶりに、腹が強く鳴った。


「ありがとうございます」


窓の向こうで女が頭を下げる。


足元の小さなバーガーもこちらを見る。


「ぱむ」


直人は紙袋を持ったまま、少しだけ立ち止まった。


「それ、何ですか」


女は足元を見る。


「ぱむちゃんです」


答えになっているようで、なっていない。


「生きてるんですか」


「はい」


あまりにも普通に返された。


直人は次の質問を飲み込んだ。


今、それを知って何を決めるのか。


紙袋を見る。


食べ物は手に入った。


家へ戻る。


それが先だった。


「また来てもいいですか」


女は頷いた。


「営業していれば」


直人は看板を見る。


「いつまで営業してます?」


女も看板を見た。


「閉めるまでです」


「何時?」


「決めていません」


直人は少し笑った。


「そうですか」


店を離れる。


帰り道、スーパーの前には長い列ができていた。


直人はそこを通り過ぎた。


駐車場へ戻ると、美咲がベランダから見ている。


電話が鳴る。


『買えた?』


「四つ」


『どうだった?』


直人は紙袋を助手席へ置いた。


温かさがシートへ伝わる。


「変な店だった」


『危なそう?』


直人は振り返った。


交差点の向こう。


ここから看板は見えない。


「分からない」


『食べて大丈夫?』


直人は袋を開けた。


包み紙の中に、普通のバーガーがある。


少なくとも見た目は。


腹がまた鳴った。


「それも、まだ分からない」


それでも、食べ物が四人分ここにある。


営業中という二文字が、初めて場所ではなく役に立った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。