第147話 二つ目の食堂
九十六日目。
毛布を抱えて学校へ入った高校生は、階段を上がる途中で足を止めた。
廊下に湯気が流れている。焦げたような匂いもした。
「森田さん?」
旧職員室から顔が出た。
「こっち。毛布、助かった」
高校生は毛布を渡しながら、森田の肩越しを覗いた。
昨日まで書類棚の残骸が積まれていた部屋に、机が三つ寄せられている。高さはばらばらで、脚の下には畳んだ段ボール。窓際では卓上こんろが二台燃え、大鍋の蓋が細かく鳴っていた。
団地で見かける女が蓋を開ける。白い湯気が一気に天井へ上がった。
「まだ薄い」
味見した男が眉を寄せた。
「塩、もうちょい?」
「あとで足せるくらいでいいよ。豆入れて」
「肉は?」
「ない」
「じゃ豆」
高校生は毛布を持っていた腕を下ろした。
「これ、いつからやってるんです?」
森田は毛布を受け取り、廊下側の椅子へ置いた。
「昨日から。腹減ったやつが多かったから」
「店に何も言ってないですよね」
「言うことあるか?」
答えようとして、高校生は鍋を見た。誰かが持ってきた野菜を別の誰かが刻み、子どもが水の入った容器を両手で運んでいる。
ポケットのトランシーバーに触れた指を、そのまま離した。
「……ないですね」
教室の方から子どもが二人走ってきた。
「まだ?」
「まだ。走るな」
「昨日より遅い」
「昨日は豆なかっただろ」
「豆いらない」
女が包丁を止めずに言った。
「食べるとき避けな」
子どもたちは鍋を一周して覗き込み、また廊下へ消えた。
昼前には、旧職員室に十人以上が集まった。学校にいる人、団地から来た人、子ども、森田。揃いの食器はなく、学校名の入った皿の隣に花柄の茶碗が並ぶ。
高校生にも一枚渡された。
「俺、戻りますよ」
「食ってからでいいだろ」
森田は自分の皿へ豆と野菜をよそった。
高校生は壁の時計を見たあと、受け取った。
煮込みは熱かった。舌を少し引っ込めてから噛む。
「薄い」
女が笑いもせず、塩の容器を指した。
「そこ」
自分でひとつまみ足す。今度はちょうどよかった。
隣では、さっきの子どもが豆だけ皿の端へ集めている。
「嫌い」
「次、少なくする?」
「肉がいい」
「肉があったらね」
「明日?」
「明日は明日」
子どもは豆を一粒だけ口に入れ、露骨に顔をしかめた。
高校生は笑って、残りを食べた。
店へ戻ると、直人が配送箱の留め具を確認していた。
「毛布、渡した?」
「はい。あと、向こうで昼飯作ってました」
直人の手が一瞬止まる。
「うまかった?」
「薄かったです」
「それは残念」
「塩足したら普通でした」
直人は笑って、次の箱を閉じた。
高校生は注文表をめくる。団地は四。旧スーパーは二。学校の欄には数字がない。昨日までは六や八が並ぶ日もあった。
厨房では鉄板の音が続いている。秩序が別の客へ商品を渡し、空いた注文票を重ねた。
「以上ですね」
「はい」
高校生は学校の空欄に鉛筆を置いた。何も書かず、次の伝票へ移る。
しばらくしてトランシーバーが鳴った。
『明日、鍋もう一個探す』
森田だった。
高校生は棚を見る。使っていない鍋ならある。
「こっちに余りありますよ」
『こっちで探す。なかったら頼む』
「分かりました」
通信が切れた。
高校生は備品表へ伸ばした手を止めた。
代わりに配送表を取り、明日の団地便の箱数だけ確かめる。
学校の欄は白いままだった。




