第146話 一席空く
九十五日目、朝。
森田のいつもの席が、紙袋で埋まっていた。
三つ。缶詰の角が底を押し、ひとつは持ち手が伸びている。高校生が試しに持ち上げ、すぐテーブルへ戻した。
「重っ。これ配送ですか?」
「違う」
森田は答えながら、畳んだ上着を別の袋へ押し込んだ。懐中電灯、替えの靴下、電池。普段なら棚に散っている物が、ひとつずつ席から消えていく。
高校生の手が止まる。
「どこ行くんです?」
「学校」
「今日も見張り?」
森田は電池を二本まとめて輪ゴムで留めた。
「今日から、向こうで寝る」
高校生は紙袋から手を離した。
「住むってことですか」
「まあな」
「急じゃないですか」
「最近、こっちで寝て向こう行くより、向こうにいる時間の方が長いだろ。夜の見張りも足りないし、寝る場所も空いた」
森田は言い終えると、予定表を引き寄せた。
《店番》
《団地配送》
《学校見張り》
鉛筆で《店番》だけを一本消す。
「団地は?」
「行く。学校からでも行ける」
「ここには?」
森田が顔を上げた。
「飯食いに来るよ」
そのとき直人が配送箱を抱えて入ってきた。紙袋と、線の引かれた予定表を見て、箱を床へ下ろす。
「決めた?」
「今日から」
「了解」
高校生が直人を見る。
「知ってたんですか」
「相談は聞いた」
「なんで言わなかったんです?」
直人は箱の留め具を外した。
「森田が決めることだろ」
森田は何も足さず、棚の整理へ戻った。
◇
予備の靴下とタオルがなくなり、懐中電灯も消えた。
半分使った石鹸だけが残った。
高校生が棚を覗く。
「それ、忘れてますよ」
「置いとく」
「向こうで使わないんですか」
「向こうにもある。またこっちで使う」
森田は棚の戸を閉めた。
出発前、紙袋を足元へ置いて、いつもの席に座った。
「コーヒー」
注文を受けた秩序がカップを置く。森田は一口飲み、高校生は向かいの席から袋を見た。
「なんか最後みたいですね」
「明日も来るかもしれんぞ」
「じゃあ来てくださいよ」
「起きられたらな」
コーヒーを飲み終える頃、学校から迎えの男が通りの向こうに見えた。
高校生は紙袋を一つ持つ。
「学校まで行きます」
「配送あるだろ。入口まででいい」
「でも」
森田が残り二つを持ち上げた。
「引っ越すだけだぞ」
店の外で袋を渡す。森田は学校の男と荷物を分けた。
「じゃ」
「それだけですか」
「夜には通信するだろ」
森田は二歩進んでから振り返った。
「行ってきます」
高校生の口元が緩む。
「いってらっしゃい」
二人が角を曲がるまで見送り、店内へ戻った。
森田の席には何もない。
椅子をテーブルへ寄せかけた手を、高校生はそのまま離した。
◇
昼、団地から来た男がその椅子へ座った。
「コーヒー二つ」
「はい」
高校生は伝票を書き、二枚のカップを運ぶ。森田がいつも肘を置いていた場所へ、男が砂糖の袋を置いた。
学校から通信が入ったのは、その少し後だった。
『森田、着いた。今寝床作ってる』
直人が受話器を取る。
「足りない物は?」
『今は大丈夫』
通信が切れる。
高校生は予定表を開いた。《森田 店番》を消し、《団地配送》は残す。
空いたところへ《森田 学校》と書きかけて、鉛筆を止めた。
「学校の予定は?」
「向こうで決めるだろ」
直人は配送箱の数を確かめたまま答えた。
高校生は書きかけの文字を消し、次の配送へ移った。
◇
午後、トランシーバーが鳴った。
『聞こえる?』
森田だった。
高校生が取る。
「聞こえます。どうです?」
『思ったより寒い』
「戻ってきます?」
『毛布送って』
高校生は吹き出した。
「明日持ってきます」
『頼む』
通信が切れる。
明日の配送欄に《学校 毛布一》と書く。
顔を上げると、森田の席では団地の男が二杯目のコーヒーを飲んでいた。
高校生はその横を通って棚を開け、毛布を一枚引き出した。
押し込まれていたタオルが少し崩れる。
直そうとして、その奥に半分使った石鹸が見えた。
高校生はタオルだけ戻し、棚を閉めた。




