第145話 店外の約束
九十四日目、朝。
団地の女の子が植物図鑑を返しに来た。
「由佳ちゃん、まだ?」
高校生が店内を見る。
「まだ。今日学校じゃないから、来るとは思うけど」
「じゃあ先に行く」
「どこに?」
「橋」
「何しに?」
女の子は図鑑を棚へ戻した。
「待ち合わせ」
高校生が予定表を見る。
橋の文字はない。
「誰と?」
「由佳ちゃんと、学校の二人」
「いつ決めたの?」
「昨日。学校で」
全部、もう決まっていた。
「十時だから行くね」
女の子は店を出ていった。
高校生は予定表へ視線を戻した。
鉛筆は持たなかった。
◇
しばらくして由佳が来た。
水筒を肩から下げている。
「橋で待ち合わせなんだって?」
「うん」
「店で集合じゃないんだ」
由佳が首を傾げる。
「なんで店?」
高校生は答えられなかった。
「向こう行って何するの?」
「見てくる」
「何を?」
「まだ決めてない」
由佳は水筒の蓋を確かめる。
「行ってきます」
「トランシーバーは?」
「学校の人が持ってる」
「暗くなる前には戻って」
「はーい」
扉が閉まった。
予定表には今日の配送が三件。
高校生は空いている行を一つ飛ばして、次の配送を書いた。
◇
直人が戻ってきた。
「由佳は?」
「橋です」
「何かあった?」
「待ち合わせ」
「誰と?」
高校生は少し考える。
「学校の人と、団地の子。たぶん他にもいるかも」
「そう」
直人は荷物を下ろした。
「全部知らないんですけど」
高校生が言う。
「俺も今聞いた」
「確認しなくていいですか」
直人は予定表を見る。
「必要なら連絡来るだろ」
それで配送の片付けに戻った。
昼前、学校から通信が入る。
『橋の四人、こっち通ったよ』
「了解」
『そっちに連絡行ってた?』
「待ち合わせだけ」
『じゃあ大丈夫だね』
通信が切れた。
高校生はトランシーバーを元の位置へ戻した。
◇
昼すぎ、団地の男がコーヒーを飲みに来た。
「橋の方、今日は人いるな」
「由佳ちゃんたちです」
「交換?」
「遊びじゃないですか」
男がカップを止めた。
「遊び?」
「たぶん」
「いいな」
それだけ言って飲み直す。
高校生は窓の外を見る。
水容器も工具も持っていかなかった。
午後になっても連絡はない。
高校生がトランシーバーへ手を伸ばす。
直人が横で伝票を数えている。
「心配じゃないですか」
「心配だよ」
「連絡します?」
「何かあれば向こうから来る」
高校生は手を引っ込めた。
◇
午後、四人が戻ってきた。
靴とズボンの裾に泥がついている。
団地の女の子が笑っていた。
「向こうに自転車あった」
「乗れた?」
「一個だけ」
由佳が水筒を置く。
「今度直す」
「誰が?」
「学校の人」
「いつ?」
「今度」
高校生は予定表を見た。
今日の橋のことは、まだどこにもない。
次の自転車のこともない。
「楽しかった?」
「うん」
由佳はすぐ答えた。
高校生は頷く。
「じゃあよかった」
どこまで行ったかは聞かなかった。
由佳たちはコップの水を飲みながら、橋の向こうの話をしている。
「次、あっちから回ろうよ」
「坂あるよ」
「自転車直ったらいける」
「じゃあそれから」
高校生は配送表を書き続けた。
◇
夕方、予定表には配送と交換だけが残った。
橋の欄はない。
由佳が帰り際、団地の女の子へ言う。
「じゃあ次、学校の裏ね」
「うん」
「何時?」
「今日と同じくらい」
「分かった」
二人は別々の方向へ帰っていった。
高校生は扉の向こうを見送る。
予定表は開いたままだった。
その空いている行へ、何も書かなかった。




