第144話 それでも注文する
九十三日目、朝。
直人は入口の前で止まった。
ガラス越しに秩序がカウンターを拭いている。
昨日、自分で書いた二行が浮かぶ。
《人間と同じ前提ではない》
《理由は未確認》
直人は扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
いつもの声だった。
席に座る。
メニューを開く。
腹は減っている。
「ご注文は?」
「バーガーとコーヒー」
「かしこまりました」
注文票が厨房へ渡る。
渾沌が受け取った。
直人は、その手を少しだけ長く見た。
◇
バーガーが来る。
包み紙を開くと、焼けた肉の匂いがした。
一口かじる。
うまい。
直人はもう一口食べた。
高校生が入ってくる。
「おはようございます」
向かいへ座り、直人の手元を見る。
「普通に食うんですね」
「腹減ったからな」
「怖くない?」
「怖いよ」
「じゃあ、よく食えますね」
直人は少し考えた。
「昨日まで食ってたものが、今日いきなり別のものになったわけじゃないから」
高校生は厨房を見る。
少し長く見てから、メニューを開いた。
「俺、ポテト」
秩序が来る。
「サイズは?」
「大」
注文を取り終えた秩序が離れる。
高校生は小声で言った。
「前より変な感じする」
「俺も」
◇
団地の男が水容器を返しに来た。
そのままカウンターへ座る。
「コーヒーある?」
「ございます」
「じゃあ一杯」
直人は何も言わなかった。
由佳も来る。
ぱむちゃんを見つけ、しゃがみ込んだ。
「ぱむちゃん、おはよう」
「ぱむ」
「今日も四つあるね」
由佳が頭のゴマを指で数える。
ぱむちゃんは少し揺れた。
直人はその様子を見てから、残ったコーヒーを飲んだ。
◇
学校から昼の注文が入った。
バーガー六個。
直人は注文票を持ったまま、一度だけ止まる。
高校生が見る。
「どうします?」
直人は注文票を厨房へ置いた。
「六個。昼まで」
渾沌が受け取る。
「はーい」
学校へ届けると、子どもたちが箱を覗き込んだ。
「今日バーガーだ」
「やった」
一人がすぐ包み紙を開く。
直人は渡し終えた箱を畳んだ。
「またお願いします」
先生が言う。
「了解」
それだけ返した。
◇
店へ戻ると、秩序が聞いた。
「配送はいかがでしたか?」
「問題なし」
「ありがとうございます」
直人は秩序を見る。
聞こうと思えば、まだいくらでも聞ける。
それでも今は、配送の報告だけをした。
高校生が隣で荷物を下ろす。
「慣れますかね」
「何に」
「怖いのに、普通にここ使うの」
「分からない」
「ずっと変なままかも」
「それでも腹は減るだろ」
高校生が笑った。
「そこですか」
「そこだよ」
直人も少し笑った。
ノートを開く。
昨日の二行の下へペンを置く。
《危険》
書かない。
《安全》
それも書かない。
ペンを戻す。
◇
午後、田辺が戻ってきた。
「腹減った。いつもの」
「バーガーセットでよろしいですか?」
「それ」
秩序が注文を通す。
田辺は空いた席へ座った。
由佳は団地から来た子と明日の話をしている。
高校生は配送表を書き直している。
ぱむちゃんがその下を横切る。
「ぱむ」
直人はカウンターへ肘をついた。
渾沌が厨房から顔を出す。
「直人、コーヒーおかわりいる?」
一瞬だけ、返事が遅れた。
「いる」
「はーい」
怖さは、まだあった。
直人は空のカップを厨房側へ寄せた。




