第143話 眠らない理由
九十二日目、朝。
直人は二時間ほど眠った。
起きると首の痛みは少しましになっていた。口が乾いている。腹も減っている。
高校生はまだテーブルに突っ伏していた。伸びた髪が頬に張りついている。
厨房から鉄板の音がする。
渾沌がいた。
レジには秩序もいる。
「おはようございます」
「……おはようございます」
直人は水を飲んだ。
一杯では足りず、もう一杯注ぐ。
高校生がようやく顔を上げた。
「腰いてえ」
背中を反らし、大きく欠伸をする。
「直人さん、何時に寝ました?」
「五時くらい」
「二時間? 今日きついですよ」
「だろうな」
「朝飯食わないと無理」
直人は厨房を見た。
渾沌が紙袋を棚へ補充している。
◇
朝食のあと、直人は予定表から自分の配送を一本外した。
森田が起きてくる。
「寝不足?」
「うん」
「じゃあ俺行く」
「寝た?」
「四時間」
「足りないだろ」
「お前の二時間よりはまし」
結局、配送は午後へ回した。
高校生は水筒を満たしている。
森田はもう一度横になる。
人間側の予定表には、担当だけでなく休憩と交代がある。
直人はペンを置いた。
「渾沌さん」
「ん?」
「眠らない理由、聞いていいですか」
渾沌が振り返る。
直人はその顔を見て、言い直した。
「いや。いいです」
「聞かないの?」
「理由じゃなかった」
「何が?」
「こっちの話です」
「そっか」
渾沌は棚へ戻った。
直人はノートを開く。
《クルーはなぜ眠らない?》
そう書きかけて、消した。
代わりに、
《人間と同じ前提ではない》
と書く。
その下へ、
《理由は未確認》
◇
高校生が横から覗いた。
「何がです?」
「クルー」
高校生の目が厨房へ向く。
「何か聞いたんですか」
「聞いてない」
「じゃあ分からなくないですか」
「分からないよ」
「寝なくていいってこと?」
「そこまで決めない」
「歳取らない?」
「分からない」
「髪も?」
「それも分からない」
高校生が眉を寄せた。
「何も分かってないじゃないですか」
「うん」
直人はノートを閉じる。
「だから、分からないところまでで止める」
昼の配送表を作る。
学校。団地。旧スーパー。
人間の名前には休憩を入れる。
クルーの欄で、直人のペンが止まった。
休憩不要、とは書かなかった。
空欄のまま次へ進む。
◇
秩序が団地分の注文票を持ってきた。
「こちら、お願いします」
「ありがとう」
直人は受け取る。
高校生が小声で聞いた。
「怖くないですか」
「怖いよ」
「普通に話してましたけど」
直人は注文票を数える。
「怖いからって、注文票が別の物になるわけじゃないだろ」
ぱむちゃんがカウンター脇を通った。
「ぱむ」
高校生が目で追う。
「ぱむちゃんも?」
直人も見る。
丸い身体。四粒のゴマ。小さな足取り。
「分からない」
「昨日、変わらないって言ってたじゃないですか」
「変わって見えない、まで」
ぱむちゃんは厨房へ消えた。
直人は配送表を持って立ち上がる。
上着を着る。
「行ってきます」
渾沌が振り返った。
「いってらっしゃい」
直人は扉を開けた。
外の冷気が首元へ入る。
前を閉じてから、出た。
ノートには二行だけ残っていた。
《人間と同じ前提ではない》
《理由は未確認》




