第123話 貸さない水
六十八日目、午前九時二十二分。
団地から連絡が来た。
『学校に、水を分けてもらえるか聞きたい』
直人は地図を見る。
学校には水がある。
昨日確認したばかりだった。
ペットボトル。
給水タンク。
雨水を濾す道具。
「足りない?」
『こっちの貯水槽、濁りが出た。飲み水は今日と明日の分くらい』
高校生がすぐに言う。
「店から持っていきます?」
直人は答える前に、学校へ連絡した。
◇
午前九時三十一分。
学校の男が出る。
『水?』
「団地が分けてほしいって」
『どれくらい?』
団地へ聞く。
『できれば二十リットル。無理なら十でも』
伝える。
少し間があった。
『ごめん。貸せない』
高校生が顔を上げた。
◇
午前九時三十四分。
「足りないんですか?」
高校生が聞く。
『今は足りてる』
「じゃあ」
直人が高校生を見る。
高校生は口を閉じる。
男は続けた。
『屋上のタンク、あと何日もつか分からない。昨日の雨も思ったほど取れなかった。五人分を切り崩したくない』
「分かった」
直人はそれだけ言った。
◇
午前九時三十八分。
団地へ返す。
「学校は貸せないって」
『そう』
怒る声ではなかった。
『理由は?』
「自分たちの分を残したいって」
『分かった』
「店からなら水を運べる」
『どれくらい?』
「必要量は出せると思う」
『じゃあ、十リットルだけ頼める? 残りはこっちで何とかする』
「二十じゃなくて?」
『全部を店に寄せたくない』
直人は頷いた。
「分かった」
◇
午前九時五十一分。
高校生が配送一覧に書く。
《団地・水10L》
「学校、結構持ってるんですよね」
「持ってるな」
「十リットルくらいなら貸せそうでしたけど」
「学校が決めた」
「でも困ってるの知ってて」
「知っててもだ」
高校生は納得していない顔をした。
◇
午前十時十三分。
森田が空の容器を二つ用意する。
PANDEMONIUMの水を入れる。
蛇口をひねれば、透明な水が出る。
十リットル。
まだ出る。
二十リットルでも出る。
もっと出せるかもしれない。
高校生が流れる水を見る。
「こっちは、なくならないんですかね」
直人は答える。
「分からない」
蛇口を閉める。
分からないものを、無限とは呼ばなかった。
◇
午前十一時二分。
団地へ水を届ける。
受け取った男は容器を持ち上げる。
「助かった」
「学校のことは?」
直人が聞く。
「別に」
「断られたけど」
「向こうの水だろ」
男は容器を床へ置く。
「俺らだって、残り二十リットルしかなかったら全部は出さない」
◇
午前十一時十二分。
団地の女が横から言う。
「でも、学校って水あるんでしょ?」
男が答える。
「あるのと、余ってるのは違うだろ」
女は少し黙る。
「まあ、そうか」
それで話は終わった。
誰も学校へ取りに行こうとはしなかった。
◇
午後零時四十八分。
店へ戻ると、学校から連絡が来た。
『団地、どうなった?』
「店から十リットル運んだ」
『そう』
「残りは自分たちで何とかするって」
『怒ってた?』
「怒ってない」
少し沈黙。
『……よかった』
直人はそこで初めて、断った側も気にしていたのだと分かった。
◇
午後一時七分。
高校生が聞く。
「学校に、店の水ならいつでも使えるって教えます?」
直人は首を振る。
「聞かれたら」
「でも、それ知ってたら貸したかもしれないですよ」
「それで貸すなら、学校の判断じゃなくなる」
「どういうことです?」
「後ろに店があるから出していい、ってなるだろ」
高校生は蛇口を見る。
◇
午後一時四十五分。
地図の横の《場所のルール》に、高校生が一行増やした。
学校。
《水・提供しない》
直人が見る。
「それだと、ずっと貸さないみたいだ」
「じゃあ何て書きます?」
直人はペンを取る。
《水・今回は提供しない》
「今回は?」
「次も同じとは限らない」
昨日決めたルールも変わる。
今日の拒否も、永久ではない。
◇
午後二時二十三分。
団地から連絡。
『濁った水、布と炭で一回濾してみる。飲むのはまだやめとく』
「了解」
『明日また状態見る』
「必要なら言って」
『うん』
学校から水は来なかった。
それでも団地は、自分たちの方法を続けている。
◇
午後四時十一分。
高校生は地図を見る。
学校と団地の間に、線は引かなかった。
地図の横には、直人が書き直した一行が残っている。
《水・今回は提供しない》
団地の欄には、明日の確認予定。
《濾過水・状態確認》
高校生が無線の連絡先を確かめる。
学校も、団地も、消さなかった。




