第120話 店を知らない人
六十五日目、午前九時二十七分。
雨は夜のうちに止んだ。
旧スーパーから来た連絡は、配送でも外泊でもなかった。
『昨日、北西の学校に人がいるの見えた』
直人が地図を見る。
「学校?」
『屋上。三人くらい。こっち見てた』
高校生が身を乗り出す。
「今までいなかったところですよね」
『少なくとも、こっちとは連絡ない』
地図の北西には、まだ何の線もなかった。
◇
午前九時三十五分。
森田が聞く。
「見に行く?」
直人はすぐには答えない。
学校までの道。
昨日の雨。
橋とは別方向。
旧スーパーからなら近い。
「向こうから見えたなら、旧スーパー側で先に確認できる?」
『できる。昼前に近くまで行ってみる』
「無理に入らないで」
『分かってる』
通信が切れる。
高校生が地図へ鉛筆を置いた。
まだ線は引かなかった。
◇
午前十一時二分。
『人いた』
旧スーパーから再び連絡が来る。
『五人。大人四人と子ども一人』
「話した?」
『校門越しに』
「状態は?」
『普通に立ってる。武器っぽいのは、長い棒一本』
森田が聞く。
「店のこと知ってた?」
少し間があった。
『何の店?って』
店内が一瞬静かになった。
◇
午前十一時七分。
高校生が聞き返す。
「PANDEMONIUMを?」
『名前も知らない』
「二か月以上?」
『学校でずっと暮らしてたわけじゃないみたい。何回か場所を移って、三週間くらい前から学校にいるって』
直人は地図を見る。
PANDEMONIUMから、歩けない距離ではない。
それでも彼らは店を知らない。
知らないまま、六十五日目まで生きていた。
◇
午前十一時十八分。
「食べ物は?」
直人が聞く。
『あるって』
「水は?」
『ある』
「充電は?」
『小さいソーラーパネル使ってる』
「寝る場所」
『教室』
高校生が口を挟む。
「困ってるものは?」
『薬は少ないって。あと靴』
直人はペンを止めた。
バーガーがなくても。
ぱんでむWi-Fiがなくても。
壁のコンセントで充電できなくても。
生きている人がいた。
◇
午前十一時三十四分。
森田が言う。
「一回、会いに行くか」
直人は頷く。
「旧スーパーまで行って、そこから一緒に」
高校生が立ち上がる。
「俺も」
「三人は多い」
「じゃあ俺と直人さん」
森田が笑う。
「勝手に俺を外すな」
結局、直人と森田が行くことになった。
高校生は店に残る。
◇
午後零時四十六分。
旧スーパーで女と合流する。
そこから北西へ歩く。
道には昨日の雨が残っていた。
水たまりを避ける。
倒れた自転車をまたぐ。
学校のフェンスが見える。
屋上ではなく、校門の内側に三人いた。
男二人。
女一人。
少し離れて、校舎の入口にもう一人の女と子どもがいる。
◇
午後零時五十二分。
「昨日の人たち?」
男が旧スーパーの女を見る。
「そう。こっちは別の場所の人」
直人が名乗る。
森田も名乗る。
向こうも三人が名前を言った。
誰も手を差し出さなかった。
それでよかった。
男が聞く。
「店って何?」
直人は少し迷った。
「ハンバーガー屋」
男が眉を寄せる。
「まだやってるの?」
「やってる」
「誰が?」
「店が」
◇
午後一時一分。
説明すると、もっと分からない顔をされた。
電気がある。
水が出る。
食べ物が出る。
Wi-Fiがつながる。
充電もできる。
「発電機?」
「分からない」
「水道生きてるの?」
「店の中は出る」
「食料はどこから?」
「分からない」
男は森田を見る。
森田が肩をすくめる。
「俺も分からん」
◇
午後一時九分。
向こうの女が聞く。
「そこにいれば安全なの?」
直人は答える。
「安全とは言えない」
「でも食べ物あるんでしょ」
「ある」
「じゃあ、みんなそこにいるの?」
「いない」
女は旧スーパーの人を見る。
「この人たちも?」
「今は別のところで暮らしてる」
「なんで?」
直人は答えようとして、やめた。
理由は一つではなかった。
◇
午後一時二十二分。
校舎の入口にいた子どもが近づいてきた。
直人の上着を見る。
「ハンバーガーある?」
「店にはある」
「ここには?」
直人は手ぶらだった。
「ない」
子どもは「そっか」と言って戻っていく。
泣かなかった。
ねだらなかった。
向こうの女が言う。
「今日は昼、もう食べたから」
直人は頷いた。
◇
午後一時三十六分。
学校の中を少し見せてもらう。
教室の机を寄せた寝床。
ペットボトルに入った水。
屋上へ続くコード。
窓際の小さなソーラーパネル。
家庭科室から集めた鍋。
黒板には日付と、その日の担当が書いてある。
《水》
《見張り》
《食事》
《掃除》
直人は黒板を見る。
自分たちが知らないところで、別の毎日が続いていた。
◇
午後一時五十分。
男が言う。
「その店、場所だけ教えて」
直人は地図を出す。
道を示す。
危ない交差点。
雨の後に水が溜まりやすい場所。
旧スーパー。
橋。
PANDEMONIUM。
男は紙に写す。
「行くかは、こっちで決める」
「うん」
直人はそれ以上言わなかった。
◇
午後二時三十一分。
店へ戻る。
高校生が待っていた。
「どうでした?」
「五人いた」
「来るって?」
「分からない」
「店のこと教えたんですよね」
「場所は」
「じゃあ来るんじゃないですか」
直人は首を振る。
「来ないかもしれない」
高校生は少し驚いた顔をした。
◇
午後三時八分。
地図に学校が増えた。
だが、PANDEMONIUMから学校へ線は引かなかった。
旧スーパーからも引かない。
ただ場所だけを書く。
《学校・5人》
その横に高校生が書こうとした。
《店を案内済》
直人が止める。
「それより」
自分で書く。
《店を知らず生存》
高校生がその文字を見る。
◇
午後四時二十二分。
PANDEMONIUMでは番号が呼ばれていた。
Wi-Fiはつながる。
充電もできる。
バーガーも出る。
直人は地図を見た。
《学校・5人》
《店を知らず生存》
学校からPANDEMONIUMへ、線は引かれていなかった。




