第118話 帰店しない夜
六十三日目、午後二時十九分。
旧スーパーからの連絡は、昼を過ぎてからだった。
『森田さん、まだこっちにいます』
直人は受話器を持ったまま時計を見る。
「まだ?」
『棚を動かすの手伝ってもらってて』
朝、森田は一人で旧スーパーへ行った。
配送ではない。
昨日のカレーを食べた時、二階の割れた窓から離れた場所へ寝床を移したいという話が出ていた。
森田が「棚くらいなら動かす」と言った。
それだけだった。
◇
午後二時二十六分。
「何時に戻るって?」
高校生が聞く。
「聞いてない」
「帰還予定、書いてないんですか」
直人は紙を見る。
配送ではないから、配送一覧には何もない。
昨日、外へ食べに行った時もそうだった。
人が外へ出ることは増えた。
だが、その全部が荷物を運ぶわけではない。
「連絡してみる」
◇
午後二時三十二分。
『森田です』
「何時に戻る?」
『まだ決めてない』
「暗くなるぞ」
『分かってる』
「橋は?」
『使わない。帰るなら迂回路』
「なら、四時には出た方がいい」
少し間があった。
『今日、こっち泊まっていいかな』
直人は返事をしなかった。
◇
午後二時三十四分。
高校生が直人を見る。
「泊まる?」
森田の声が続く。
『寝る場所、一つ余ってるって。明日の朝戻る』
「食事は?」
『夜もこっちで作るらしい』
「連絡手段」
『トランシーバーある』
「何かあった時の帰路」
『迂回路。暗くなったら動かない』
直人は地図を見る。
条件を一つずつ探している自分に気づいた。
帰らせる理由を。
見つからなかった。
◇
午後二時三十八分。
「分かった」
『いいの?』
直人は眉を寄せる。
「俺に許可取ることか?」
向こうで森田が笑った。
『一応』
「明日の朝、動く前に連絡して」
『了解』
通信が切れた。
高校生が言う。
「森田さん、帰ってこないんですね」
「今日はな」
◇
午後三時七分。
店内では、いつも通り注文番号が呼ばれていた。
森田が使っていた席は空いている。
荷物も少し残っている。
上着は持っていった。
寝袋は持っていない。
由佳が空席を見る。
「夜、戻らないの?」
「旧スーパーに泊まる」
「へえ」
それだけだった。
誰も、その席を確保しようとはしなかった。
◇
午後四時十二分。
トランシーバーが鳴る。
『棚、動かし終わった』
森田だった。
『二階の奥、寝られる場所できた』
「寒さは?」
『昨日塞いだ窓から離れてる。毛布もある』
「了解」
『そっちは?』
直人は店内を見る。
カウンターには客が二人。
高校生がポテトを運んでいる。
由佳が番号を呼ぶ。
「普通に営業中」
『そっか』
通信は切れた。
◇
午後五時三十六分。
外が暗くなる。
以前なら、暗くなる前に全員が店へ戻ることを考えていた。
店内にいることが、生き残ることとほとんど同じだったからだ。
今は、一人足りない。
だが、行方不明ではない。
帰還遅延でもない。
森田は別の場所で夜を迎えると、自分で決めている。
◇
午後六時十一分。
『晩飯、できた』
森田からだった。
「何?」
『米と、缶詰の魚。あと昼のカレー少し』
高校生が横から叫ぶ。
「またカレーですか!」
『聞こえてるぞ』
笑い声が混じる。
その後ろから、旧スーパーの女の声もした。
『明日の朝はおにぎりにします』
「豪華ですね」
高校生が言う。
『店ほどじゃない』
森田が返す。
『比べなくていいんだって』
昨日の言葉が、向こう側で使われていた。
◇
午後七時二十三分。
PANDEMONIUMの照明は明るい。
ぱんでむWi-Fiもつながっている。
充電中の端末が壁際に並ぶ。
いつもの夜だった。
森田の席だけが空いている。
高校生がそこを見る。
「なんか変ですね」
「何が」
「帰ってこないのに、心配じゃない」
直人は少し考える。
「どこにいるか分かってるからだろ」
「それだけですかね」
直人は答えなかった。
◇
午後八時四分。
最後の定時連絡。
『旧スーパー。異常なし』
「了解」
『森田、もう寝そう』
遠くで声がする。
『寝てねえよ』
高校生が笑った。
「明日、何時に戻ります?」
『朝飯食ってから』
「配送じゃないから、時間は決めなくていいですよ」
『それ、直人に言っといて』
直人は聞こえないふりをした。
◇
午後九時十八分。
店内の照明が少し落ちる。
PANDEMONIUMは閉店しない。
夜中に来る客もいる。
森田がいなくても、厨房は動く。
番号は呼ばれる。
Wi-Fiはつながる。
充電もできる。
誰か一人が外で眠ることは、店の停止を意味しなかった。
◇
午後十時二分。
直人は配送一覧とは別の紙を一枚出した。
《外泊》
森田。
旧スーパー。
連絡可。
翌朝帰還予定。
そこまで書いて、ペンを止める。
《許可》
という欄を作りかけて、やめた。
代わりに書いた。
《本人確認》
高校生が覗く。
「本人確認?」
「自分で泊まるって決めたかどうか」
「直人さんが決めるんじゃなくて?」
「俺が寝るわけじゃない」
◇
午後十時三十一分。
空席は、朝まで空席のままだった。
誰も埋めなかった。
誰も戻せと言わなかった。
森田は店の外で眠っている。
PANDEMONIUMは、その間も営業している。
六十三日目。
初めて、一人が帰らない夜が、事故ではなく予定として始まった。




