第115話 注文のない便
六十日目、午前七時二十二分。
配送一覧は空だった。
高校生が一枚めくる。
次も空。
「今日、ないですね」
直人はコーヒーを飲みながら頷いた。
昨日まで、紙には必ず何かがあった。
食事。
薬。
乾電池。
届け先。
受取人。
今日は何もない。
◇
午前七時四十分。
森田が地図を見る。
「橋まで行っとく?」
高校生も顔を上げる。
「昨日、相互受渡候補にしたところ」
「向こうから何か来るかもしれないだろ」
直人は聞いた。
「来るって連絡あった?」
「ない」
「じゃあ行かない」
森田が地図から顔を上げる。
「確認だけでも?」
「確認する用事がない」
◇
午前八時六分。
トランシーバーで南団地へ定時連絡を入れる。
天候。
昨日の電池の受領。
通行情報。
最後に高校生が聞く。
「今日、運ぶものありますか」
『今のところない』
「北側は?」
『聞いてるけど、ないって』
「分かりました」
通信を切る。
高校生が直人を見る。
「本当にゼロですね」
「ゼロならゼロでいい」
◇
午前八時三十二分。
昨日までに増えた欄が並んでいる。
《運搬者》
《判断者》
《通常帰路》
《代替帰路》
《受領確認》
全部、空欄。
高校生が言う。
「せっかく作ったのに」
「使わない日もある」
「でも、動かさないと仕組みが止まりません?」
直人は少し考えた。
「止まっていい時に止まれない方が困る」
◇
午前九時十三分。
一人の客が、橋の向こうへ行く予定があると言った。
「昼前に北へ行くけど、何か持ってく?」
高校生が反射的に一覧を見る。
直人は客に聞いた。
「誰かから頼まれた?」
「いや。ついでにと思って」
「じゃあ、今日は何もないです」
客は「そっか」とだけ言って、バーガーを受け取った。
◇
午前九時二十分。
高校生が小声で言う。
「空で行くの、もったいなくないですか」
「何を載せる?」
「食べ物とか」
「誰に?」
高校生は答えられない。
直人が続ける。
「必要か分からない物を、運べるからって運ばない」
「余ったら困る?」
「それもある。でも、もっと前」
「前?」
「頼まれてない」
◇
午前十時二分。
PANDEMONIUMでは昼前の客が増え始めた。
ポテトが揚がる。
注文番号が呼ばれる。
外の物流が止まっていても、店内は止まらない。
高校生は配送一覧ではなく、カウンターへ入った。
由佳から紙袋を受け取る。
「三十二番」
「はい」
声を出す。
「三十二番のお客様」
配送がない日は、別の仕事がある。
◇
午前十一時十七分。
トランシーバーが鳴った。
高校生が取る。
『南団地。今日の便、もう出た?』
「今日は便ありません」
『そうか。こっちも特にない』
「何か必要になったら連絡ください」
『了解』
通信はそれで終わった。
誰も、便を出してくれとは言わなかった。
◇
午後零時五分。
森田が窓の外を見る。
「天気いいな」
「配送日和ですね」
高校生が言う。
直人は笑った。
「配送がない日和でもある」
「そんな日和あります?」
「今日」
◇
午後零時四十二分。
高校生は一覧の日付だけを書いた。
その下に、初めて一文字を書く。
《なし》
直人が見る。
「それでいい」
「記録するんですか」
「運ばなかったことも」
「何のために?」
「あとで、毎日動かすものだと思わないため」
◇
午後一時二十八分。
昨日の橋には、今日は誰も向かわなかった。
乾電池も動かない。
食事も動かない。
それでも橋は消えていない。
必要になれば、また使える。
使えることと、使うことは別だった。
◇
午後二時十一分。
高校生が地図を畳もうとして、手を止める。
「これ、配送網って呼んでいいんですかね」
「何が?」
「今日、一件も配送してないのに」
直人は地図を見る。
線は昨日と同じ場所にある。
中継点も橋も、消えていない。
「運ばないって決められるなら、たぶん」
◇
午後三時二分。
店の外を、一人の客が北へ歩いていった。
朝、橋の向こうへ行くと言っていた客だ。
手には自分の荷物だけ。
誰かのための余分な袋はない。
直人はそれを追わなかった。




