第112話 帰り道
五十七日目、午前七時三十六分。
地図に、旧スーパーが増えている。
昨日、受取人が移動していた場所だ。
直人はそこまでの道を指で追った。
南団地までは知っている。
そこから北へは、知らない。
黒瀬が言う。
「朝、見てくる?」
「途中まで」
高校生が聞いた。
「行けたら、そのまま届けるんですか」
直人は首を振る。
「帰れるか分かってから」
◇
午前八時十二分。
昨日までの一覧には、行き先が並んでいた。
中継点。
受取可能時間。
通行不能情報。
直人は紙の端へ新しい欄を作る。
《帰路》
高校生が覗き込む。
「帰りも同じ道じゃないんですか」
「同じ道が残ってればな」
雨の翌日だった。
昨日通れた道が、今日も通れる保証はない。
行けることと、戻れることは別だった。
◇
午前八時四十九分。
直人と黒瀬は南へ出た。
荷物は持っていない。
今日は確認だけ。
中継点Aまでは問題ない。
そこから団地の西を抜ける。
昨日、水が溜まっていた路地には泥が残っている。
黒瀬が靴先で地面を押した。
「柔らかい」
「帰りに雨降ったら嫌だな」
空は曇っていた。
◇
午前九時二十三分。
旧スーパーへ向かう途中、小さな橋があった。
幅は車一台分。
欄干の一部が曲がっている。
下の水路は濁っていた。
橋の向こうに旧スーパーの看板が見える。
「渡れそう」
黒瀬が言う。
直人は橋を見た。
確かに今は渡れそうだった。
だが、橋の手前には流木が引っかかっている。
水位の跡が、今より高い位置に残っていた。
「雨が戻ったら?」
黒瀬が空を見る。
「ここ、先に駄目になるかもな」
◇
午前九時二十九分。
二人は橋を渡らなかった。
旧スーパーは見えている。
目的地まで、あと数百メートル。
それでも直人は地図に線を引かなかった。
《橋・現時点通行可》
その下へ書く。
《増水時帰路喪失の可能性》
黒瀬が笑う。
「慎重になったな」
「昨日までは、着けば終わりだと思ってたから」
◇
午前十時十八分。
店へ戻る。
高校生がすぐ聞いた。
「旧スーパー、行けました?」
「見えた」
「見えた?」
「橋の手前まで」
「渡らなかったんですか」
「帰れなくなる可能性がある」
高校生は少し考える。
「でも、今は渡れたんですよね」
「今はな」
◇
午前十時三十一分。
トランシーバーで南団地へ連絡する。
『北の人、今日は旧スーパーにいる』
「分かった。でも今日は届けない」
『道、駄目だった?』
「行きは行けそう。帰りが怪しい」
少し間が空いた。
『帰り?』
「橋が一本ある。増水したら戻れないかもしれない」
『こっちから北へ行く別の道、聞いてみる』
「頼む」
直人は言ってから気づく。
また、向こう側が調べ始めた。
◇
午前十一時四十七分。
返事が来た。
『橋を使わない道がある。ただ、遠い』
「どれくらい?」
『歩いて四十分くらい増える』
直人は地図に聞いた道を書き込む。
細い線。
橋を避け、大きく東へ回る。
黒瀬が見る。
「これなら帰れる?」
「まだ分からない」
「確認する?」
「明日」
今日の注文を今日届けるために、未確認の道へ飛び込む理由はなかった。
◇
午後零時二十二分。
昨日返した一人分は、今日も運ばなかった。
依頼した女へ説明する。
「本人はいる。でも帰り道が確認できてない」
女は少し驚いた。
「帰り道まで?」
「帰ってこないと、次ができないので」
「明日なら?」
「迂回路を見てから」
女は頷いた。
昨日より説明は短かった。
◇
午後一時九分。
直人は一覧の《帰路》を二つに分けた。
《通常帰路》
《代替帰路》
その下に書く。
《帰還可能時間》
高校生が読む。
「時間も?」
「暗くなる前に戻れるか」
「行きが一時間で、帰りが二時間なら?」
「三時間の便だ」
「往復で考えるんだ」
「最初からそうすべきだった」
◇
午後二時二十六分。
地図には、目的地へ届かない線がまた一本増えた。
昨日は、受け取る人がいなかったから止まった。
今日は、受け取る人がいるのに止まった。
旧スーパーは見えていた。
食べ物も用意できる。
渡す相手も分かっている。
それでも運ばない。
帰り道が物流の外にあるうちは、そこはまだ届け先ではなかった。
直人は橋の印から、店まで指を戻す。
配送の線は、目的地で終わる線ではない。
帰ってくるところまで含めて、一本だった。




