第110話 届かなかった昼
五十五日目、午前八時十一分。
雨だった。
入口のガラスを細い水が流れている。
高校生が地図を見る。
「中継点A、使えないですね」
直人は頷いた。
昨日、自分で書いた条件がある。
《晴・短時間》
「今日は候補B」
高架下を指す。
《候補B・昼》
まだ、一度も受け渡しには使っていない場所だった。
◇
午前八時二十七分。
注文は五人分。
団地側から受け取りに来るのは二人。
直人は紙に書く。
《高架下・十一時》
黒瀬が窓を見る。
「雨、強くなるかも」
「十時半にもう一回見る」
「行けそうなら?」
「行く。駄目ならやめる」
高校生が言う。
「連絡は?」
直人の手が止まった。
団地側に、ぱんでむWi-Fiは届かない。
トランシーバーを持っているのは一部だけだった。
◇
午前九時四分。
見張り役の男が店へ来た。
今日は団地側の受取役ではない。
「十一時、高架下でって聞きました」
「そう」
「たぶん大丈夫です」
「たぶん?」
「受け取る二人には伝えてあります」
直人は紙へ名前を書く。
「変更になった時、どう伝える?」
男が黙る。
直人も黙った。
決めた場所へ行けることを前提にしていた。
◇
午前十時二十八分。
雨脚が強くなった。
黒瀬が入口から外を見る。
「南の路地、低いところ水溜まってる」
森田が戻ってきた。
肩が濡れている。
「高架下までの西側、車一台流れて道塞いでる」
「通れる?」
「人一人なら横抜けられる。でも、逃げ道が細い」
直人は時計を見る。
十一時まで三十二分。
五人分の袋は、まだ受け取っていない。
◇
午前十時三十二分。
「今日は行かない」
直人が言った。
高校生が聞く。
「向こう、もう来てるかもしれないですよ」
「だから困ってる」
行かない判断はできる。
昨日までなら、それで終わった。
危なければ戻る。
安全を優先する。
だが今日は、向こう側に待つ人がいる。
自分たちだけが中止を知っていた。
◇
午前十時三十六分。
「トランシーバー、団地に何台ある?」
直人が聞く。
高校生がノートをめくる。
「ラッキーセットのやつなら二台。見張り役の人が一台、三号棟の人が一台」
見張り役の男はまだ店にいた。
「俺の、今あります」
鞄から小さなトランシーバーを出す。
「もう一台、誰が持ってる?」
「今日は北側の見張りのはず」
直人は電源を入れた。
◇
午前十時三十九分。
「聞こえますか」
雑音。
もう一度。
「南団地、聞こえますか」
数秒後。
『……聞こえる』
店内の全員が顔を上げた。
直人が言う。
「今日十一時の高架下、行けません。西側が塞がってます」
『分かった』
「受取予定の二人、もう出ました?」
『一人は出た。もう一人はまだ』
直人は目を閉じた。
一人、もう向かっている。
◇
午前十時四十二分。
「追えますか」
『北からなら回れる。俺が行く』
直人は反射的に「お願いします」と言いかけた。
止める。
「危なければ追わなくていいです。まず、中止になったことだけ伝えてください」
『了解』
「それと、次に使えそうな場所があります」
地図を見る。
昨日の中継点Aより店側。
屋根のあるバス停跡。
「今日はそこへ変更じゃないです。候補だけ。場所を伝えます」
道順を説明した。
◇
午前十一時七分。
トランシーバーが鳴った。
『見つけた。戻るって』
直人の肩から力が抜ける。
「ありがとうございます」
『今日の分は?』
直人は五人分の注文表を見る。
「今日は運びません」
『分かった』
「明日、道を見てから決めます。バス停跡も確認します」
『じゃあ、こっちでも南側見る』
「お願いします」
◇
午前十一時二十二分。
高校生が言う。
「届けられなかったですね」
「うん」
「失敗?」
直人は少し考える。
「届かなかったのは失敗」
紙に線を引く。
《高架下・十一時》
その横へ書く。
《中止・事前連絡不足》
「でも、隠さない」
◇
午後零時三分。
見張り役の男が団地へ戻る前に、直人は紙を一枚渡した。
今日通れなかった場所。
高架下までの西側。
流された車。
水の溜まる路地。
それから、バス停跡の位置。
「食べ物は渡せなかったけど、これは持っていってください」
男が紙を見る。
「向こうでも確認します」
「危ない場所、分かったら書き足して」
「次来た時?」
「トランシーバーでもいい」
◇
午後一時十六分。
雨はまだ降っている。
注文表の五人分は、今日の配送欄から消した。
直人は別の欄を作る。
《中止時》
《誰へ伝える》
《どう伝える》
《代替地点候補》
《通行不能情報》
高校生が読む。
「また増えた」
「届かない日があるなら、届かない日のやり方もいる」
◇
午後二時四十分。
カウンターではポテトが揚がっている。
今日は五人分を運べなかった。
誰にも渡していない。
地図の線も伸びていない。
それでも、団地側には一枚の紙が渡った。
通れない道。
使わなかった中継点。
次に確認する場所。
配送できないことを、配送する側だけが知っていてはいけない。
届かなかった昼に、初めて「届かない」という情報が先に届いた。




