第106話 届けられますか
五十一日目、午前八時十二分。
東の倉庫跡を見に行く準備をしていると、入口で男に呼び止められた。
「すみません」
直人が振り向く。
見覚えはある。
何度か店へ来て、持ち帰りを頼んでいた男だった。
男は紙袋を二つ抱えている。
「これ、届けてもらえませんか」
直人は紙袋を見る。
「俺に?」
「はい」
◇
午前八時十四分。
「南の団地に、うちの姉がいるんです」
男は地図を出した。
「昨日、ここまでは行けた。でも、その先に三体いて」
指先が団地の手前で止まる。
「姉は足が悪い。店まで来られないんです」
紙袋の中身はバーガーとポテトだった。
直人はカウンターを見る。
「店の配送ってないんですか」
男もつられて見る。
秩序が別の客の注文を取っていた。
◇
午前八時十七分。
直人が秩序へ聞いた。
「これ、届けてもらうことってできます?」
「当店の商品配送サービスについてのお問い合わせでしょうか?」
「そう」
「現在、こちらの店舗ではお客様指定地点への配送サービスは承っておりません」
男の肩が落ちる。
直人は続けた。
「じゃあ、俺が持っていくのは?」
「お客様がお買い上げになった商品を、別のお客様が店外で運搬されることについて、当店から配送サービスとしてお引き受けすることはございません」
「禁止ではない?」
「店外でのお客様同士の受け渡しについて、当店が配送品質や安全を保証することはできません」
直人は頷いた。
店は運ばない。
人間が運ぶなら、それは店の仕事ではない。
◇
午前八時二十三分。
男が言う。
「無理ならいいです」
直人は地図を見る。
南の団地。
昨日、候補にした古い集会所より少し先だった。
「何号棟?」
男が顔を上げる。
「三号棟」
「部屋は?」
「二〇四」
「受け取れるのは本人?」
「姉か、息子がいます」
「連絡は?」
「電話はつながらない」
直人の質問が増えていく。
自分でも、途中で気づいた。
昔の仕事と同じだった。
◇
午前八時二十八分。
「住所だけじゃ足りない」
直人は紙を出した。
「入口はどっち。階段使える? オートロックは?」
「オートロックは止まってます。入口は東側」
「本人がいなかったら?」
「置いてきてください」
直人は首を振った。
「食べ物だろ。誰が取るか分からない場所には置けない」
男が黙る。
「受け取る人がいなかったら持って帰る。それでいい?」
「……はい」
「あと、時間は約束できない」
「今日中なら」
「今日中も約束しない。危なかったら戻る」
男は少し迷ってから頷いた。
◇
午前八時三十六分。
黒瀬が横から地図を覗いた。
「南なら途中まで一緒に行く」
「倉庫は?」
「明日でもいい」
由佳が言う。
「昨日、外に線を伸ばすって言った翌日にこれか」
直人は苦笑した。
「まだ線じゃないよ。一個運ぶだけ」
高校生がノートを開く。
「でも、店から外に出るんですよね」
「俺がな」
直人はそこを言い直した。
「店が届けるんじゃない」
◇
午前九時四分。
紙袋をそのまま持っていくのはやめた。
中身を確認する。
注文内容。
個数。
受取人。
依頼した男の名前。
直人は紙へ書く。
高校生が覗く。
「細かいですね」
「間違えたら食う人が困る」
「仕事でやってたんですか」
直人の手が止まる。
「昔な」
「何の?」
「物流」
それだけ答えた。
◇
午前九時二十二分。
店を出る。
黒瀬が先に周囲を見る。
直人は紙袋を胸の前で抱えた。
武器ではない。
水でもない。
自分の食料でもない。
誰かが、別の誰かに食べてほしいと買ったものだった。
店から百メートル離れたところで、直人は一度振り返る。
PANDEMONIUMの看板はまだ見える。
◇
午前十時十一分。
南へ向かう道で、放置車両が道を塞いでいた。
黒瀬が左を指す。
「こっち」
細い路地へ入る。
直人は紙袋をぶつけないよう身体の向きを変えた。
昔なら、荷物の大きさ、道幅、所要時間、受取時間を先に考えた。
今はその前に、逃げ道を見る。
それでも頭の中で道が組み替わっていく感覚は同じだった。
◇
午前十時四十八分。
団地が見えた。
三号棟。
東側入口。
直人は紙を見る。
「ここから一人で行く」
黒瀬が言う。
「入口まで見る」
「じゃあそこまで」
二人で進む。
階段の前に、人影はない。
二階へ上がる。
二〇四号室。
直人が扉を叩いた。
返事はない。
もう一度。
「PANDEMONIUMからじゃないです。弟さんから預かり物です」
中で音がした。
◇
扉が少し開く。
女がこちらを見る。
「……弟?」
「店で会いました。これを」
紙袋を見せる。
すぐには渡さない。
「お名前、確認していいですか」
女が名乗る。
紙にある名前と同じだった。
直人は袋を渡した。
女が両手で受け取る。
「いくらですか」
「もう払ってあります」
「あなたに」
「俺はいいです」
女は困った顔をした。
直人も、少し困った。
◇
午前十一時二分。
帰り道。
黒瀬が言う。
「できたな」
「一件だけ」
「一件でも」
直人は空になった手を見る。
昨日までは、外へ出る理由は自分たちのためだった。
見る。
探す。
戻る。
今日は、店に来られない人のところまで何かを運んだ。
PANDEMONIUMが広がったわけではない。
配送サービスが始まったわけでもない。
人間が勝手に、店と外の間へ一本の往復を作っただけだった。
◇
午後零時十六分。
店へ戻る。
依頼した男がまだいた。
直人を見るなり立ち上がる。
「どうでした?」
「本人に渡した」
男の肩から力が抜けた。
「ありがとうございます」
直人は地図を開いた。
今日通った道に鉛筆で線を引く。
高校生が横で見る。
「また頼まれたら?」
直人はすぐには答えなかった。
線の先には、三号棟がある。
「まず、何を運べるか決めないとな」
昨日の地図には、使えそうな場所へ丸が三つあった。
今日はそこに、初めて人のいる場所まで線が一本伸びた。




