第102話 店内の喧嘩
四十八日目。
高校生は直人を起こした。
「寝癖」
「ん……」
目を開けると、高校生の髪はもう整っていた。
「自分で起きてるじゃん」
「今日は」
若い女が来ると、高校生は立った。
「おはよう」
女の方から言う。
「あ、おはようございます」
「何で敬語?」
「いや、別に」
女が笑う。高校生も笑った。
その会話を切るように、少し離れたテーブルから声がした。
「そこ、ずっと使うの?」
由佳だった。
森田が共有テーブルいっぱいに地図を広げている。双眼鏡、メモ、充電中のトランシーバー、予備電池。
「もうちょい」
「昨日もそう言ってたよ」
「確認終わったら片づける」
「朝からずっと使ってるじゃん」
森田が時計を見る。
「まだ二時間半だろ」
由佳の眉が動いた。
「時間の問題じゃないの」
「じゃあ何」
「みんなで使ってる場所でしょ」
「外の確認もみんなのためだよ」
「だからって全部広げていいの?」
「必要だからやってる」
「私だって必要だから言ってる」
声が大きくなった。高校生と女の会話が止まる。
直人が立つ。
「まあ、半分空ければ」
「直人は黙ってて」
直人は止まった。
森田が鼻で息を吐く。
「何で朝からそんな怒ってんの」
「朝からじゃないよ」
「じゃあ昨日?」
「ずっとだよ」
その一言で、テーブルだけの話ではなくなった。
「地図だけじゃない。荷物も。椅子も。外から戻ったら靴そのまま。昨日だって泥落ちてた」
「掃除しただろ」
「言われてからね」
「やったならいいだろ」
「そういうとこ」
「何が」
「毎回言わせるとこ」
森田の顔から眠そうな表情が消えた。
「俺だって好きで外出てるわけじゃない」
「知ってるよ」
「じゃあ何なんだよ」
「疲れてるの!」
店内が静かになった。
由佳自身も口を閉じた。それでも、もう止まらなかった。
「母のこと見て、洗濯して、場所空いてるか見て、誰かの荷物避けて。ずっと細かいことばっかり」
「俺も疲れてる」
「分かってるよ!」
「分かってないだろ!」
カウンターからクルーが一人近づいてきた。
「お客様、店内では他のお客様へのご配慮をお願いいたします」
由佳が振り向く。
「今それ言わないで」
クルーは止まった。
「危険な行為や設備への損傷がなければ、こちらからお二人の話し合いへ介入することはありません」
「……そう」
「必要でしたら、お席の移動はご案内できます」
返事がないのを確認し、クルーはカウンターへ戻った。
森田が地図を畳み始める。
「そういうことじゃない」
手が止まった。
「片づけろって言っただろ」
「今だけ片づければ終わりじゃないって言ってるの」
「じゃあどうすりゃいいんだよ」
「知らないよ」
「知らないなら怒鳴るなよ」
「怒鳴らせてるのそっちでしょ!」
森田は地図をテーブルへ戻した。
美咲が子どもを連れて席を離れる。若い女もコーヒーを持って別の席へ移った。
高校生はついて行かなかった。
直人が小声で言う。
「放っとこう」
「いいんですか」
「今は何言っても増えそう」
やがて由佳は母のいる奥へ行った。
森田は地図を全部畳み、トランシーバーも鞄へ入れた。
直人が近づく。
「大丈夫?」
「大丈夫に見える?」
「見えない」
「じゃあ聞くなよ」
直人は引いた。
由佳が戻ってきても、森田とは反対側の席に座った。
二人とも相手を見ない。
地図のなくなった共有テーブルには、誰も座らなかった。
高校生と若い女の会話も、朝より小さくなっていた。
夕方、秩序がそのテーブルを拭いた。
布巾が端から端へ進み、地図の跡もコーヒーの輪も消える。
「きれいになりました」
秩序が布巾を畳んだ。
由佳は森田を見ない。
森田も話しかけない。
空になったテーブルだけが、朝の形へ戻っていた。




