↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
101/122

第101話 店内の恋


四十七日目。


朝、直人が目を覚ましたとき、高校生はもう起きていた。


窓際でスマートフォンの黒い画面を覗き込み、前髪を押さえている。離して、角度を変えて、また押さえる。寝床の脇には昨日までクルーの勤務時刻を書いていたノートが開いていたが、そちらには目も向けない。


直人は毛布を畳みながら言った。


「寝癖?」


「違います」


「じゃあ何」


「別に」


入口のベルが鳴った。


高校生の顔が上がる。


入ってきたのは黒瀬だった。


「あ」


すぐ画面へ視線を戻す。


直人はコーヒーを買いに立った。


「誰待ってるの」


「待ってないです」


「聞いただけ」


「その聞き方がもう分かってる人のやつでしょ」


カウンターから戻っても、高校生はまだ髪を触っていた。


八時を少し回ったころ、ベルがもう一度鳴った。


今度は高校生の手が止まった。


ここ数日、朝になると来る若い女だった。二十歳くらい。肩に小さな鞄を掛け、入口で一度だけ外を振り返ってから扉を閉める。


高校生の背中が伸びた。


女はカウンターでコーヒーを買った。空席を見回す。


高校生の隣は空いていた。向かいも空いている。


女は二つ離れた席に座った。


高校生の背中が元に戻った。


直人はカップへ口をつけたまま笑う。


「残念だったな」


「何がですか」


耳だけ赤い。


女は鞄から充電ケーブルを出した。壁のコンセントへ伸ばすが、あと少し届かない。椅子を引こうとして、隣のテーブルに当たりそうになった。


高校生が立つ。


「延長、ありますよ」


女が振り向いた。


「え?」


高校生は壁際に置かれた延長コードを持っていった。


「これ。みんな使ってるやつだから」


「ありがとう」


女が笑う。


高校生は「いえ」とだけ答えて席へ戻った。


そして、何も記録することがないのにノートを開いた。


直人が覗く。


「何書くの」


「書かないです」


「今、開いたけど」


高校生は無言で閉じた。


昼前、美咲が子どもとラッキーセットの図鑑を見ていた。高校生が水を取りに横を通ると、美咲が顔を上げる。


「今日、なんか違うね」


高校生が止まった。


「何がですか」


「髪。ちゃんとしてる」


「変じゃないですか」


「変じゃないよ」


高校生の肩がわずかに下がった。


直人は見ていたが、今度は何も言わなかった。


午後、女がポテトを買った。席へ戻る途中で紙ナプキンを落とす。


高校生の腰が椅子から浮いた。


女は自分で気づいて拾った。


高校生はそのまま座り直す。


向かいで直人が口元を押さえた。


「何ですか」


「何も」


「笑ったでしょ」


「笑ってない」


「顔が笑ってます」


しばらくして、女が空になったカップを持って高校生のテーブルの横で止まった。


「昨日もいたよね」


高校生が顔を上げる。


「いました」


「ずっとここにいるの?」


「まあ、最近は」


女は少し迷ってから聞いた。


「学校は?」


高校生の指が、閉じたノートの角に触れた。


「今、行けないんで」


女の視線が入口へ動く。ガラスの向こうには、以前と同じ町はない。


「そっか。ごめん」


「いや。いいです」


女は一歩戻りかけた。


高校生が口を開く。


「あの」


女が振り返る。


そこで続きが出なかった。


「……延長、まだ使ってて大丈夫です」


女はコードを見る。


「うん。ありがとう」


自分の席へ戻っていった。


高校生はしばらく黙っていた。


「何話せばいいんですかね」


「俺に聞く?」


「やっぱいいです」


直人は笑ってから、少しだけ考えた。


「普通でいいんじゃない」


「普通って何ですか」


その問いには答えられなかった。


水や食料なら、必要な量を聞ける。外へ出るなら、道と帰る時間を決められる。熱が出れば測る。危険なら離れる。


けれど、名前も知らない相手に明日も会いたいとき、何を確認すればいいのか。直人にも分からなかった。


夕方、女が充電ケーブルを抜いた。


鞄へしまい、椅子を戻す。


高校生は朝から何度も見た入口ではなく、今は女の手元を見ていた。


「また明日来るかな」


「聞けば?」


高校生は立たない。


「無理です」


「明日来る? だけだろ」


「その一言が変なんですよ」


女が入口へ歩く。


高校生の指がノートの表紙を叩いた。


ベルが鳴る。


「じゃあ、また」


女が振り返って言った。


高校生は一拍遅れた。


「また」


扉が閉まった。


ガラスの向こうへ姿が消えてから、高校生は大きく息を吐いた。


「明日、聞く」


「延長?」


高校生が直人を睨む。


「昨日の話と一緒にしないでください」


「ごめん」


直人は笑った。


高校生はノートを開いた。


クルーを見た時刻。制服。恐怖についての返答。外へ出た記録。これまで、分からないものを分かる形にするためにページを使ってきた。


ペンを持つ。


何も書かない。


女の名前を知らない。どこから来るのかも、明日本当に来るのかも知らない。


高校生は空白のページを一枚めくり、ノートを閉じた。


「明日、寝癖ついてたら起こしてください」


「自分で起きろ」


「起きられなかったら困るんで」


昨日までなら、困る理由には水や食料や外出の予定があった。


今日は高校生がスマートフォンを枕元へ置き、アラームを一つ早い時刻に変えた。


カウンターから、いつもの声がした。


「お次のお客様どうぞー」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。