第100話 百回目の延長
四十六日目。
直人は財布から四つ折りの紙を出した。
開くと、正の字と日付と短い印が縦に並んでいる。
高校生が横から覗いた。
「何ですか、それ」
直人は一瞬、隠そうとした。
「数えてた」
「何を?」
「延長」
最初の頃は、一回ごとに印をつけていた。
ここに残ると決めた日。外へ出るのを明日にした日。もう少し様子を見ると決めた日。
店を拠点にしてからは基準が曖昧になった。それでも、一日の中でここにいることを選び直したと思った時に一本ずつ増やしていた。
昨日の夜で九十九。
「今日で百?」
「たぶん」
「たぶん?」
「途中から基準が適当だから」
紙の端には日付だけで三本ある日も、一本もない日もある。
「じゃあ百回目じゃないかもしれないじゃん」
「そう」
「何で数えてたんですか」
直人は紙を見る。
「帰るつもりだったからかな」
朝の注文を済ませた。バーガーとコーヒーを受け取り、席へ戻る。
紙はテーブルに置いたままだった。
「今日も付けるんですか」
「まだ分かんない」
「何があったら付けるの?」
直人は答えられなかった。
昨日喧嘩した三十代の男と白髪の男は、離れた席にいた。話していない。店から出てもいない。
何も起きていない。
直人も外へ出る準備をしていなかった。
黒瀬が水、トランシーバー、双眼鏡、地図を揃えた。以前なら、その荷物を見て自分も行くか考えた。
「行く?」
「今日はいい」
「分かった」
黒瀬は一人で出ていった。
紙には何も付けなかった。
昼を過ぎても九十九本のままだった。
高校生がまた紙を見る。
「残ってるのに?」
「残ってるな」
「じゃあ延長じゃないんですか」
直人はぬるくなったコーヒーを飲んだ。
「何を延ばしてるんだろうな」
高校生は黙った。
店内では、美咲が子どもの服を畳み、由佳が母の薬を確認している。森田は奥から戻り、五十代の男は窓際にいる。昨日の二人はまだ別々の席だった。
誰も、今日は何日目だとは確認しない。
「百にしたら、何かする予定だったんですか」
「ない」
「記念とか」
「ない」
「帰るとか」
直人は紙を見た。
「それも決めてない」
「じゃあ百って何なんですか」
「分からん」
言ってから直人は笑った。高校生も少し笑う。
夕方、黒瀬が戻った。
「どうだった?」
「特に変わらない」
「そっか」
直人はそれだけ聞いた。
夜になって、紙をもう一度開く。
九十九本。
ペンを持つ。百本目を書く場所はある。
高校生が向かいから見ていた。
直人はペン先を紙につけなかった。
「付けないんですか」
「うん」
「じゃあ、今日は延長じゃない?」
直人は店内を見る。
洗濯物。荷物。補修された服。使いかけの薬。窓際の席。カウンター。
四十六日分のものが、あちこちにある。
「たぶん、もう違う」
「何が?」
「延ばしてるんじゃない」
高校生は答えを待った。
直人は続けなかった。
紙を二つに破る。
もう一度。
小さくなった紙をゴミ箱へ入れた。
百回目の印は、最後まで増えなかった。
高校生が聞く。
「明日、出ます?」
直人は少し考えた。
「用事があれば」
「帰るためじゃなくて?」
「うん」
カウンターから声がした。
「お次のお客様どうぞー」
直人は財布をしまった。
紙が入っていた場所だけが、薄く空いていた。




