第7話「君を知ることにした」分岐点
みんなのことを知りたい。そう思った。
アリスは目覚めと共に起き上がり、朝支度をする。パジャマからエプロンドレスへ着替えれば、ダイニングへと向かった。
ダイニングにはトランプ兵に囲まれ、ホットケーキを頬張る三月うさぎが座っていた。アリスに気がつくと口の中のものを勢いよく飲みこみ、大きく手を振る。
「アリス!おはよう!」
「ああ、おはよう」
その側の席に座れば、トランプ兵がやってくる。
「私も同じホットケーキで頼む」
そう言えばトランプ兵が即座に作り上げて持ってきてくれた。感謝を述べ、蜂蜜をたっぷりとかける。
それにしても三月うさぎのかける量はそれより多いが。
「かけすぎじゃないか?」
「いいの!甘い方が美味しいんだから!」
甘い方が美味しいのは同調。だが何事も限度があるとアリスは思っていたので、彼の限度は違うのだろうと完結した。
「にしても、白うさぎはどうしたんだ?いつも一緒のイメージなのに」
「ここだけの話、朝弱いんだよ。だから朝食はバラバラ!オレ早起き!」
「へえ、白うさぎが?意外だな……」
時間通りと規則正しいのが原作である不思議の国のアリスの白うさぎのイメージだったが、時間に遅れそうで慌てているのを考えるとあながち間違いじゃないのかもしれない。
「じゃあお前にだけ聞いておきたいことがある」
「なに!」
「三月うさぎは元の世界に帰りたいか?」
それを聞いた三月うさぎは一瞬手を止めたが、すぐにホットケーキを口に運んだ。食べながら喋るのを止める人もこの場にいない。
「いや!全然!」
「そうか」
「この国の方がへんてこで面白いじゃん」
理由には賛同できかねなかったが、嘘を言っている様子もなく彼はきっと本気でそう思っているのだとアリスは思った。
「現実じゃ、サンタクロースがスケートをしていても誰もそれに気が付かないし、魔法が使えても誰も見えない。オレが言いたいことぜんぶ伝わらないんだよ?」
「そ、そうなのか……?」
「でもこの世界だったら物を出現させたり、いろんなことが思い通り!みんなの様子もおかしくないしさ」
「それはよかったのか。不思議の国の方が性に合うんだな」
「うん!だから帰りたくない!死んじゃってるはずだし生きててもどうせ時間経てば死ぬよ!」
ホットケーキを完食し終えた三月うさぎはその場で背伸びをし、口元を拭う。アリスも黙々と食べ続け、上のバターは溶けきってしまったが全て食べ終えた。
「それじゃあ、他の奴に会いに行ってくる。またな」
「バイバイ!オレは走りに行く!」
そう言って三月うさぎはお城の中を走り出した。危ないだろうと止めようとしたが、その時には既に角を曲がっていて声は届かなくなってしまった。
アリスは城の中を歩いていく。
道中の扉から誰かが出てきて、互いにいると思わなかったものだから驚いて小さく声を上げた。
「わ、大丈夫?」
「白うさぎ!」
ここは白うさぎの自室の扉なのだろうか。彼はふわふわの髪を一度整えると、アリスに向き直る。
「おはようアリス。今日のご機嫌はいかが?」
「まあまあってところだな。さっき三月うさぎとホットケーキを食べてきたよ。お前は今からだろ、朝弱いんだって聞いたぞ」
「ふふ、それ話しちゃったんだ。恥ずかしいな」
白うさぎは口元に指を添え、くつくつと笑った。
「朝は苦手なんだよね。不思議の国って別にいつ起きろとかないからさ、ついつい多く寝ちゃうんだ」
「確かに、決まってないからな」
現実にいた頃の白うさぎは朝しんどくても起きていたのだろうか。アリスは少々疑問を抱く。
「それより、アリスは今日は何しに行くの?自分探し?」
「自分探し、というのもそうなんだが」
アリスはじっと白うさぎの目を見つめ返した。
「お前たち、住民についてももっと知るために動こうと思う」
「え、僕たち?」
口元に添えていた指が、口を抑える形に変わる。
「それはどういう風の吹き回し?」
「なんとなくだ。交流を深めたいってところ」
「ああ交流ね」
何だと思ったのか。やはり白うさぎは自分のことを探られるのが嫌なようだ。
「念の為お前にも聞いておきたいんだが、白うさぎは元の世界に帰りたいか?みんなに確かめたいんだ」
「その系統の質問か……」
白うさぎは少し首を捻ったあと、変わらない声のトーンで答えた。
「帰りたいよ。だって僕も死んでるか死ぬかの瀬戸際なんでしょ?それだったら死にたくないしさ」
「……そうか」
「うん。帰りたいね。この世界はつまらないし」
「双子なのに三月うさぎとは真逆のことを言うんだな」
「ふふふ」
アリスは白うさぎの言葉に違和感を覚えていたが、それを口にすることは選ばなかった。そうしてしまったら場が荒れるような気がしたからだ。
何が白うさぎをそうさせているのか。それも理解できることではない。
「質問は以上?だったらここでお別れだね、僕は朝ごはんを食べに行くから」
「わかった。付き合わせて悪かったな」
「いいよ」
白うさぎはニコニコと微笑むと、静かな足音のまま廊下を歩いていく。何を食べるつもりだったのかなんて質問で場を濁してもよかったのだが、アリスはそうはしなかった。
遠ざかる彼を見てアリスは目を細める。
「さっき、嘘ついたよな……」
帰りたい。そう白うさぎが口にしたのが、どうも怪しかった。理屈では説明のつかない予感というものだ。どうしてもそれが嘘に聞こえた。
城の図書室へ顔を出す。
静かで、不思議の国にしては珍しく木の匂いがする。広々とした空間なのに本棚がぎっしりと立ち並んでいる。本が好きなアリスにとって暇つぶしスポットとしてかなり好感のある場所だった。
その中央の机に、赤いマントと大きな背中が見えた。座っているのはハートの女王だ。
「女王」
ひそめながらも声をかけると、ハートの女王は振り返ってアリスを見上げた。
「アリス!おはよう、どうしたんですか?」
「どうもしないが、図書室の様子を見に来ただけだ。ハートの女王がいればいいとも思ったしな」
「えっ」
ハートの女王は動揺と疑惑と照れが入り混じって、ぎこちなく口角を固める。
「お前が言ってくれた通り、ほかのみんなにもこの国に来るまでの経緯を聞いて回っている。が、手応えがない」
「やっぱり素直には教えてくれませんか……」
「正直私は彼らについてわかってることも少ない。だから、これから交流を深めていこうと思うんだ」
「交流を?いいじゃないですか!」
アリスはハートの女王の隣の席に座る。そして、彼が何を読んでいたのかと視線を向ければそこには教科書とノートが広げられていた。
「……これは?」
「受験の勉強です……現実でも時間が流れているなら、今のうちにやっておかないとと思って」
「……女王」
ただ呆然と時間を過ごすわけではなかった。ハートの女王はここでも努力をしていたようだった。
「女王は、現実に帰る気でいるのか?」
「うーん……正直帰りたくはないです、あんな場所。でもいずれ夢は覚めますから、ここにいられなくなるってこともあります。そうなった時に困らないためです」
それに、と付け加えた。
「アリスが一緒に帰ってくれるなら、喜んで帰りますよ」
「また私か?」
「はい、あなたです」
ハートの女王は照れくさそうに笑う。どうやら本気のようだ。
「お前は変な国にいても現実的に物事を考えられるのが良いところだよ」
「えへ、へ……」
実際それは武器になる。現実逃避しようと思えばいくらでもできるこの世界で、嫌な現実と向き合うのは簡単なことでは無い。
「アリス」
「なんだ」
「アリスが元の世界に帰りたいなら、僕はいつでもできることをするからね。約束です」
微笑んだ。彼の善意と愛情が滲んだ瞳は、真っ直ぐとアリスを捉えている。
きっと、嘘偽りなどない。
「……ありがとう、女王」
「どういたしまして」
「勉強の邪魔をして悪かったな」
「いえ、いい休憩になりました!アリスは他の人に会いに行くんでしょう?頑張ってね」
ああ。そう返事をして、アリスは図書室から去ることにした。
あとは紙にペンを走らせる音だけが図書室に残っていた。
森を抜けた先にあるティーカップ型の建物の中には大きな穴が空いている。
アリスは穴にかけられた梯子を慎重に降り、地面へと立った。辿り着いた先は幻想的な洞窟であり、今日は地下であるというのにエメラルド色に光る蝶が飛んでいた。
奥の椅子に腰掛けているのは、眠りネズミだ。
「眠りネズミ。お邪魔するぞ、アリスだ」
返事がないのを確認して、顔を覗き込みに行く。
うつらうつらとした様子で、殆どは寝ていたようだったがアリスが椅子を軽く回転させると、それに反応して寝起きの声を漏らした。
「んあ?ありす〜?ふあぁ、せっかくよく寝てたのに……ま、いいやあ〜どうしたの?」
「起こしてしまってすまない……いや、何かあったわけではないんだが」
「なんとなく話したかったの?」
「そういうことだな。話したかったんだ、眠りネズミと」
目の前の眠りネズミは首を傾げたまま、思い瞼をこすってアリスと向き合った。
「私はまだ、眠りネズミのことを深く知らない。だから聞きたいんだ、お前は現実に戻りたいのか、どうしたいのか」
眠りネズミは咀嚼するように口元をむにゃむにゃと緩く動かす。視線をどこかへ移して、すわらない首をひねって、悩ましく声をあげてようやく答える。
「どうでもいいかなあ。どうもしたくない」
「適当だな」
「適当じゃないよお。どうもしたくないっていうのは、環境の変化とかそういうのもぜんぶ考えるの嫌ってことだよ〜」
「なるほど……?」
彼は目の前で欠伸をし、余った袖で口元を覆い隠す。
「な〜にも考えたくないからパスさせてもらうよお。これ以上はむり!」
「まあ、お前がそういうなら……?とはいえ答えてくれてありがとう」
「うふふ。ぼくに興味あるのおアリス。大してなんも返ってこないからやめておきなよお」
「全員に色々聞いてまわっているからな、残念だが付き合ってもらう」
ええ、と不満げに頬を膨らまされる。
「おしゃべりならお茶会の人たちのほうがいいけどね」
「眠りネズミが喋りたがりじゃないのは薄々知っているがな」
「えー、寝ていい?」
答えるまでもなく眠りネズミはふわふわの枕を腕に抱え顔を埋める。今にも寝息が聞こえてきそうだ。
「疲れたなら今日はこれまでにするよ」
アリスは眠りネズミに背を向けて、梯子に手をかけた。
「また来るよ、眠りネズミ」
「……起こさないでねえ」
寝てしまったと思われた彼から最後に小さく伝えられた要望に、アリスは頷いた。
不思議の国の花畑を、アリスは進んでいく。
今日の花の色は鮮やかな赤色だ。毎日違う色で飽きさせないが、赤一色は初めて見る光景だった。アリスの瞳と同じ色の花が一面を覆い尽くし風に揺れている。
アリスは一人で進んでいる。それなのに、一人である気はまるでしない。
何故ならそこにいるのだから。
その時、砂糖で煮詰めた林檎の香りが漂ったと思えば、紫の煙が空気中にあふれだす。煙は予想通り、猫耳の少年を形作った。
「や、アリス。気は済んだ?」
チェシャ猫。彼は地面に降り立つと、アリスへと顔を近づける。
「大体は聞けた。お前もずっと聞いていたんだろう」
否定することなくへらへらと笑うチェシャ猫。今日も姿を隠してアリスの背後にいた、というのは確定でいいらしい。
「お前は探す必要がないから手間が省けるな」
ため息混じりにどうにか肯定できる点を探して口にするアリスに、彼は満足げにそうでしょうそうでしょうと笑う。
「アリスは俺にも聞きたいことあるんでしょ?俺だけ無しってわけないもんね」
「それはそうだが……」
「ほら、アリスから聞いてよ」
「……はあ」
何を聞いてまわっていたか知っているくせに。
悪戯っぽく翻弄するチェシャ猫に付き合って、半分うんざりとしながらもアリスは問う。
「……チェシャ猫は現実に帰りたいか?」
想像通り聞いてくれたことにチェシャ猫は尻尾を揺らす。そして既に考えていたのか、すぐさま答えた。
「俺は帰らないよ。アリスがここを去るまで見届けるんだ」
「私がいなくなった後はどうするつもりなんだよ」
「さあ?」
いい加減に答えられる。チェシャ猫はまさに掴めない煙のようだ。避けられているわけではなく、触ろうとしても触れない。アリスは額を指先で抑えた。
「てっきり、私が帰るなら帰るだとか言いだすのかと思っていたがお前は帰らないつもりなんだな」
「あっははハートの女王様じゃあるまいし」
やはり聞いていた。
「……私は結局まだお前のこともよく理解できていないな」
「でも、アリスはこれから知っていくつもりなんでしょう?俺のこともだけどさ、みんなのこと」
チェシャ猫はアリスと向き合って目を細めた。
「誰かのことを深く知れば、必ずその先でアリス自身のことと結びつくよ。そうでしょう」
「誰かのことを……」
「誰でもいいんだ。俺はアリスが選んだ人と、アリスが選んだ道を進んでいくところをずっと見守っているから」
アリスの目の前で彼の身体は煙となって空気に溶けていく。
「俺たちのアリス。頑張ってね」
完全に姿が失われた時、アリスはいよいよ一人になった。
不思議の国と、その登場人物。
何故、自分たちは死んでしまったのか。
アリスは知らなければいけない。
強く知りたいと願った。
だからアリスは、『彼』を知ることにした。
誰の秘密に踏み込むか、それは物語の大きな分岐点だった。これが後にアリスを大きく変えるキッカケだ。




