第5話「不可思議ちゃん」
「ちょっと?アリス大丈夫?おーい」
チェシャ猫が目の前で手を猫を誘うように動かしている。
だがそれどころの話ではない。
アリスは暫しの硬直の末に、少しでも現場から離れるため廊下を走り出した。
「あ!逃げた!なんで逃げるのさ!」
「逃げるに決まっているだろ!ついてくるんじゃない!」
思わず拒否してしまいアリスはハッと口元を抑えかけるがチェシャ猫はまるで気にしていない様子で、いっそ足を止めてくれればとさえ思った。
「冷たいこと言わないでよ〜今更でしょ?この国の住人はおかしいって知らなかったの?今まで信じていた分裏切られたように感じちゃった?」
「さすがにうるさいぞ!チェシャ猫!」
しかし事実でもあった。確かにチェシャ猫への警戒心は微かにあったが、ハートの女王のことは信じていたのだ。それがあのように豹変されたのだから、突発的人間不信に陥るのも仕方のないことだった。
「まともな人間なんていないよ!大丈夫!」
「何も大丈夫じゃない!」
本を積んで運んでいるトランプ兵の横を走り抜ける。チェシャ猫はいつからか走ってではなく浮いて追いかけてきているが、己の足で走っていたアリスは息を切らしはじめていた。痛み始めた脇腹を抑え足を止めれば従ってチェシャ猫もその場で浮遊するだけとなった。
「運動し慣れてないのに走ったからだよ」
「誰のせいだと……?」
「俺だって安全な場所に案内できるわけじゃないのに。キミの部屋だってあのハートの女王サマのお城の中にあるものなんだし、お茶会だって散々なものだっただろ?」
前回見たお茶会は三月うさぎが暴れて酷いものとなっていた。あの後、白うさぎと栄は一体どうなったのだろう。それに三月うさぎは、と心配を巡らせたところで白うさぎから言われた言葉が思い浮かんだ。
自分達にはあまり深入りしないでほしい。それが白うさぎの望みのようだった。
それに従うかどうかは置いておいても、仮に今事情を聞きにいったところで忙しい彼らには火に油でしかなくまともに答えてはくれないだろう。
随分と疲れてしまった。もう今日は休もうかと思っても城の中にいては心が休まらない。自室に籠ることは難しいように感じた。ならば他の人物に話を聞きに行く?比較的安全な場所はどこだろうか?
そう考えていると、アリスは1人の人物に行き着いた。
「だがあいつはあいつで信用できるか……?」
一人ぶつぶつと言うのをチェシャ猫が不思議そうに見ている。
「チェシャ猫。もうついてくるな、私を助けるとか考えなくていいからお前は自由に過ごせ」
「え?自由にしていいならついていくよ。姿は消すからさ」
話が通じていない。
大きく溜息をついたのを同意とみなしたのか、意地の悪い猫は煙と共に姿を消した。おそらく見えていないだけでこの場にいるのだろう。
アリスは気乗りしないまま城の外へ歩き始めた。
目的の人物がいる場所はわかっていた。
概ねそこにいるようで、そこから離れることは基本的にないと他の住人伝いに聞いている。森を抜け建物に辿り着けば、梯子を使って下に降りていくことができた。
暗い洞窟の中では相変わらず光る花が咲いている。奥の椅子に深く腰掛けるやけに背の高い男性は来客の気配を感じ取ると、ゆっくりと椅子を回転させた。
眠りネズミだ。
寝ぼけた眼は先程まで寝ていたのだろうと推測できる。今来たのはタイミングが良かったのではないか。
「アリスだ。やっほ〜」
ふわふわと袖を揺らし、微笑みかけられる。彼が大きく背伸びするとその表情の幼さと身体の大きさのアンバランスさを実感させられた。
「お邪魔するぞ。……相談があってきたんだが」
「んん?な〜に?椅子用意するからすわってすわってぇ」
眠りネズミが袖を振り不思議な呪文じみた子供騙しを唱えると、目の前に椅子が出現した。雲のようなふわふわの塊は、非常に手触りがよく座ると眠気を誘発させた。
「ありがとう。それで、早速質問……なんだが……」
アリスは眠りネズミの背後に咲く巨大な花を見る。花に滴る雫には不思議の国の様子が映されている。
つまるところ監視カメラのようなものだ。
「お前もストーキング……しているのか……?」
「えっ待って〜なんでそんな話になったの〜?」
心底理解できないといった笑顔で見られてしまった。
「ストーキング……している人間が、二人いてな……心配になってしまって……」
している、というよりはされているが正しいのだが。
「なるほどねぇ。心当たりは?」
「無い」
「記憶ないんだもんねえ」
うーんと首を傾げ眠りネズミは考えた末、答えを出した。
「ぼくはストーカーとかじゃないよお。監視も〜特定の人物じゃなくて国全体だもの!それがぼくにできることで、異常事態が起きた時のための保険だからぁ」
アリスはホッと胸を撫で下ろす。
「といっても寝てる時間がほとんどだから、見てない時間のほうが多いんだけどぉ」
「そうか……」
「ストーカーが三人もいたら大変だからねえ世も末だよねえ」
実感がないのか半分冗談めかしてけらけらと眠りネズミは笑う。その様子は現場を見たアリスとは大きく異なった。
「……ストーカー。現実世界の私にもいたそうなんだ。家の前に不審者がいただとか証言があってな、だからこのことは少し心配で……」
「それでぼくに確かめたんだ。言っておくけどそれはぼくじゃないよお」
その不審者とやらを覚えていればよかったのに。アリスは自身が記憶喪失であることに対する苦労をこれまで強く感じていなかったが、ここにきて苦しい思いをすることになった。
「そうか。……眠りネズミにも聞いておきたいんだが」
「なあに?」
「兎野アリスって知っているか?私のことなんだが……」
眠りネズミはにこにこと笑ったまま、眉を下げてすぐに答えた。
「知らないよお。聞いたこともない、かわいい名前」
「……知らないか」
ほのかに、嘘をつかれた気配がした。それでも何故か彼のことは信用するにも警戒するにも分別できず、アリスは眉間に皺を寄せる。
「知っていたら教えるよお。それで困ってるんでしょ?記憶がないこととか。じゃあ困った時はお互いさま、教えられることは教えた方がいいからね〜」
「……嘘はついていないよな?」
「うん」
迷いなく頷く姿を見て、これ以上疑うのもどうなのかと追求することを一度やめることとした。
「それならいいんだ。それともう一つ大事な相談があって……安心して眠れる場所、お前なら知らないか」
「安心して眠れる場所ぉ?」
眠りネズミは眼鏡をごしごしと拭うと天井を見上げ、考え出す。あまりに長く考えるものだからアリスは少し戸惑ったが、しばらくすれば彼は熟考の結果を発表した。
「ない!」
「無いのか」
「全部不思議の国だから!お城がだめなら無い!あそこが一番マシだよ!」
たった今そこから逃げてきたのだが。
「でもねえ、でも、強いて言うならぁ」
そう眠りネズミが何かを言おうとしたとき、彼は動きを止めた。
「?眠りネズミ……?」
彼はまっすぐと、アリスの背後に視線を向けていた。眼鏡のレンズ越しに見える彼の目は見開かれ、ふわふわとした笑顔はぎこちなく固まっている。
不審に思い、後ろを振り向く。
その先からいやに明るい声が投げかけられた。
「不思議のくには全部安心して眠れるよ!」
舌ったらずでおさない女の子の声。そこには小さな子供がいた。白くてふわふわの髪の毛は二つ結びにされていて、金色の眼が暗い洞窟で光を反射しきらきらと輝いている。
「ありす、眠れないの?うーちゃんと一緒におやすみしよう!」
「……だれ、だ?」
アリスはそれを見て、脳の芯が熱されるような感覚を覚えた。見ていると動悸がする。
「子ウサギ!きがるにうーちゃんって呼んでほしいの!」
誰だろうか。眩しくて、直視ができない。
「うーちゃんはありすの友達だよ!忘れちゃったの?」
「……ごめん、覚えてな……」
「じゃあいま思い出して?」
子ウサギがそう言って近づこうとした時。眠りネズミが素早く席を立ち、間に割って入って──幼い身体を蹴り飛ばした。
「眠りネズミ!?」
「ネズミちゃん?ひどいよ仲良くしようとしただけなのに」
「……離れて。どこか行ってよぉ」
子ウサギは子供らしい動作で膝をさすり、すぐに立ち上がる。蹴られたというのにまるで痛くないかのように笑顔のままだった。
「うーちゃん悲しい!ありす、いこ!」
子ウサギはぴょんと跳ぶと、梯子を登っていってしまった。
「……え?」
しかし何故か、アリスの身体はそれを追いかけるようにして動かされる。不思議の国を逃げていく白くて小さな兎の前に、アリスという存在は追いかける運命に置かれている。止める眠りネズミの声を背後に、アリスは梯子を登っていく。
小さな背中を追いかけて森を駆け抜けると、辿り着いた先はお茶会が開かれるテーブルだった。見るも無惨だった惨状はある程度整い、椅子には栄とうさぎの双子が座っている。
三月うさぎがいち早くアリスたちに気がつくと、手を大きく振り走って向かってきた。
「アリス!うーちゃんもいる!」
「三月のお兄ちゃん!」
子ウサギが飛びかかったのを三月うさぎが受け止め、そのままぐるりと振り回す。楽しげな子供らしい声があがった。
「三月うさぎ!もう大丈夫なのか?!」
「え、なにが?」
三月うさぎは何もわからないといった表情で子ウサギを撫でる。怪訝な顔をするアリスを放ってバカみたいに笑う。
「うーちゃん、今日は何して遊ぶ?追いかけっこ?お人形遊び?」
「追いかけっこする!お兄ちゃんが鬼だから!」
「鬼役ね!わかった!がおお!」
甲高い声とともに子ウサギが走り出したのを追っていく。白うさぎはそれを視線でさえ追わず、アリスたちの顔色を伺っていた。
一方だ。栄は、ひどく困惑した表情を浮かべている。
「栄、大丈夫だったか?あの後任せてしまってすまない」
「え……っと、ううん、いいの!大丈夫だったよ!白うさぎさんが殆どしてくれたようなものだし……」
「僕は弟のしたことの始末をしていただけだよ」
栄は視線を泳がせ、時々三月うさぎの方へ移した。
「何かあったのか?」
「何も……。けど、その、三月うさぎさん元気だなって」
三月うさぎは子ウサギを追い回すが、本気では追いかけていないのだろう。アリスへ迫る時の速さとはうって変わって遊ぶための走りだった。子ウサギはその身体の小ささと若さを活かし、すばしっこく逃げ回っているが。
「元気そうなのはいいんだがな」
「薬を飲んだら落ち着いたみたい。いま急に走り出しちゃったけど……」
「子ウサギ……うーちゃん……?が来た途端か。やっぱり子供の前ではそうさせられるところがあるのかもしれないな」
栄はアリスの話を聞きながら、首を少しだけ傾げ、何かを疑問に思いつつも口にせずにいた。アリスと三月うさぎの方を交互に見て、白うさぎへとアイコンタクトを交わそうとするがすぐに失敗する。
「ええと……?」
「まあ、三月うさぎがああなったときは薬を飲むように促した方がいいんだろうな。学んだ」
「そうじゃなくて、アリスちゃん……」
アリスの視界の下の方を何かが横切ったかと思えば、それはUターンしてアリスの方へ向かっていた。子ウサギはアリスへ体当たりの如く抱きつくと、向日葵のような笑顔を見せた。
「ありす!一緒にあそぼう!」
「いや、私は……」
「ありすもお友達!」
アリスは子ウサギに手を引かれ走り出す。追いかけてくる三月うさぎから咄嗟に逃げる判断を下してしまえば、追いかけっこの始まりだった。
「あまり無理させるなよ……!」
「アハハ!アリスも追いかけっこだ!」
栄はその光景を見て、眉を下げる。
「……あの、白うさぎさん」
「何も聞かないで。思ってることは一緒だから」
「……はい」
日が暮れ、空が青く染まる頃には栄は椅子に座ったまま眠りについていた。つまり、現実での目覚めが近づいていたのだ。
遊び終えた三月うさぎと白うさぎは城へと帰り、アリスと子ウサギだけが残された。
「ありす、今日はあそんでくれてありがとう!」
「……子供の相手は得意じゃないんだ」
「でもちゃんとできてたよ?三月のお兄ちゃんもいて、たのしかった!」
子供さながらの体力が残されている子ウサギはその場で飛び跳ねる。
「そういえば、眠りネズミから……蹴られたのは、大丈夫か?痛くないか?傷とか、できていないか?」
「大丈夫だよ!ぜんぜんいたくない!」
服をめくって証明しようとするのをアリスが止めれば、にまにまとした笑みを浮かべた。
「ありすはびっくりしたかもしれないけど、大丈夫は大丈夫なんだよー」
「あんなことしないように、あとで言っておくから……」
「なんで?」
「なんでって……」
「あのね、ネズミちゃんは、眠りネズミはわるいひとじゃないよ!うーちゃんが!しょうげんするよ!」
ビシッと効果音が鳴りそうなポーズをして子ウサギは言った。
「ネズミちゃんは思わずその場の判断で、どすっ……とかしちゃうだけで、ありすを想ってくれるいいひとだよ!」
「思わずで暴力を振るうのは良くないんじゃないのか」
「いいの!」
よくないだろう。
「うーちゃんがありすに、いきなり近づいたからネズミちゃんもびっくりしちゃったんだよ」
そういえば、何故子ウサギを見た時にあのような感覚が浮かんだのだろうか。今では麻痺してしまったようだが。
「そんなに子供が大人を庇う必要ないと思うんだがな」
「庇ってる?ほんとのことだよ」
子ウサギは歩き、夕陽に溶け込んでいく。視界がだんだんとぼやけて、彼女のすがたが光にのまれて薄れていく。自分とは正反対の明るい笑顔がジンジンと脳を焼く。
「ありす!おやすみなさい、今日はもう寝る時間だよ。大丈夫、この国ではぜんぶの場所が安全だからね」
疑問が浮かばなくなっていく。
思考ができない。瞼が落ちていく。膝から崩れ落ち、草原の中に座り込んでしまう。
そういえばこの世界は全てが安全だった気がする。
壊されることも、終わることも、始まることもない、天国のような場所……。
そよ風が倒れ込んだアリスの頬を撫でる。
椅子に座ったまま眠り込んだ栄と、草むらと色とりどりの小花にうもれたアリスの二人っきり。
秒針が時間を刻んでいく。瞼を閉じたままの二人のもとに、一人の人物が立った。
アリスに、身体を包み隠せるような大きさの白衣が毛布のようにかぶせられる。上着を脱ぎパジャマだけの姿になった眠りネズミはアリスの顔を覗き、額に手を当てた。
「よかった、生きてるねえ」
栄には時間にして一秒も満たないぐらい視線を移して、眠りネズミはアリスを背負った。
「言い損ねたけど、一番安全に眠れるのはぼくがいる地下の世界だよ。今日はここで眠ろうね」
眠りネズミは自身の住む洞窟へと歩いていった。
「記憶を無くしてもうーちゃんのことはわかる……かぁ」
独り言を呟かざるを得ない、最悪の気分だった。
視点:栄
現実の世界に意識を戻して、いつも通りの学校生活を送った。
授業には集中して、休み時間には友達と談笑して。ただいつもと違うのは、放課後に向かう場所があること。
アリスの家だ。
兎野アリス、そんな名前の生徒が住む住居を探す。近くに住む友達の家の周辺を探せば珍しい苗字だしすぐに見つかるだろうと思った。
案の定、兎野というお宅は簡単に見つかった。
一戸建ての住宅で、外観は平凡なんとも言い難い。それでもそこそこ大きさはあるので、何人家族なのだろうと疑問を馳せた。
庭の草木や玄関は手入れされていないようで、少し汚さが目立つ。午後七時だというのに部屋は暗く人の気配がない。
「……お留守かな」
にしても、不審者の姿もない。来れば何らかの手がかりは得られると思ったのに。栄は買い食いしてしまったクリームパンを刑事ドラマさながらに口に含みながら一時間ほど様子を隠れ見ていたが、何も起こることなく誰も来なかった。
栄は残念な気持ちでその場を去ることに決めた。帰宅途中、母からのおつかいをスーパーで済ませてカレーの具材をレジ袋に下げて。
道中、暗い道に入り家へと向かった。
その時、首襟を後ろから掴まれる。
突然のことで落としたレジ袋から玉ねぎがコンクリートへ転がる。口元を大きな手で覆われ、声が上げられない。咄嗟に抵抗しようとしたが、目の前に何かの機械を出される。
バチ。
ボタンを押せば機械の芯から線のような電気が発されたのが見えた。漫画で見たことがある。
これは、スタンガンだ。
「動くな。大人しくしろ」
冷や汗が肌着を湿らせていく。鼻まで抑えられて、あまりの恐怖で、呼吸が苦しい。
栄は身動きをやめ、目の前のスタンガンを凝視しながら男性の言葉へ耳を傾けた。そしてその犯人の特徴を把握しようと必死に記憶する。
背は高く、一瞬見えた顔はマスクで判別不可能。帽子を深く被っていて、髪色もわからない。そしてその一瞬で年齢を判別できるほど栄に人生経験はなかった。
「イエスかノーで答えろ。兎野のことを追っているのはお前だな」
栄は微力ながら頷いた。震える手で腕をどかそうとしても力が入らない。
「兎野を追っているのは深い理由があるのか」
アリスへ協力してあげているのは、完全に善意でしかなかった。そこに深い理由があるのかと言われればそんなことはない。対価も求めていなければ目論見も無い。栄は首を横に振る。
「お前は死ぬ気で関わっているのか?」
死ぬ気などない。死にかけている彼らを助けたいだけだ。自分は決して、殺されるような人間でも自死を図る人間でもない。栄は首を横に振る。
「今後、兎野に関わるな」
それはつまり、アリスたちを見捨てるということになるかもしれない。
「答えは?」
栄は、首を縦に振った。
犯人は微細な電力に切り替えると、スタンガンを栄の肩に押さえつけた。
悲鳴を上げることもできず、その場に座り込む。ここで悲鳴をあげ助けを求めては、犯人を刺激して何をされるかわからない。
「それならいい。二度と兎野アリスに関わるんじゃない。邪魔なんだ」
その男性は帽子を被り直すと、スタンガンを片手に持ったまま踵を返す。少しだけ見えた目が常人のものとは思えず、過ごしてきた日常とはかけ離れた見下すような視線に栄は身震いした。汗が止まらない。気がつけば前髪が額に張り付いている。
男性が去った後も、栄は座り込んでいた。
これから自分はどうすればいいのだろう。
「お、お母さん……お父さん……」
保身と善、その天秤に思考が揺らいでいく。涙が滲み、今すぐに両親へ泣きつきたいと願った。
「アリスちゃん……」
そして栄は目覚めてからも、一つの違和感を拭えないでいた。
アリスの様子がおかしかったことだ。
これまでアリスに異変を感じたことはなかった。それが今日起こったのだ。三月うさぎだけが、少し頭のネジが外れているのだと思っていたのに。
「うーちゃんって、誰なの……?」
三月うさぎが突然立ったかと思えば、空想の人物と遊び出したのだ。
しかしそれは彼だけではなく、アリスまでもがまるで自分には見えていない世界が見えているかのように振る舞っていた。誰の声もしないのに。
幻覚。
栄がその単語を否定できなくなったのは、布団に潜ってからも眠れずにいた一時間後のことだった。




