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白うさぎ√第3話「目には目を、白には黒を」

翌日。

アリスは殆ど寝付けず、気がついたら朝だった。

ハートの女王の持ってきてくれたパンを頬張りながら、どうにか食欲を繋ぎ止める。


あれからずっと、白うさぎの凶行を止める術を考えていた。

彼からすればアリスを殺すのが1番目撃者を消すという点で最適な選択だろう。既にアリスを殺すのに何度も失敗していた。しかしここからアリス以外を狙ったとしても、犯人がわかっているミステリなど解くのは簡単だろう。彼が素直にそうしてくれるとは思えない。


「……私を狙いにくるだろうな」

再び、死に警戒しなくてはならない。

奇跡的に今まで助かっているだけだ。チェシャ猫も、見ていたとしても助けてくれる保証がない。否、信用がない。


現場を誰かに目撃させるのは無理だ。彼が時間を巻き戻しているのか、何かをしている。


となれば、やはりアリス本人が解決するしかなかった。


周囲を警戒しながら、アリスは扉を開ける。

扉には何も仕掛けられていない。誰もいない。

足音ひとつにも気を張らなくてはならない。


まずは図書室に向かう。

白うさぎが封筒を手にしていた部屋。ここならば、アリスが来る保証もない。罠などないだろう。

封筒があったであろう本棚を改めて調べてみるが、手がかりは何もなく徒労に終わる。


他の本棚も見てみようかとしたその時、一つ気になる本があった。

本棚の中に上下に敷き詰められた本は、取り出すのも一苦労しそうだった。

だがその中に収まっていたのは、あの封筒のように真っ赤な本。辞書のように厚みがあるそれが、向かいの本棚に存在していた。

「なんだこれ」

アリスは指をかけ、その本を手に取る。

「……あっ」

嫌な予感を感じ取り咄嗟に身を引いた。

悪意がここまでに及んでいたら。


頭上から、本棚の前を目掛けて何かが落ちてくる。

トンカチのような鈍器だった。

よく見れば本の収まっていた場所は少し凹んでいた。古びた本棚は少し傾いている。おそらく、分厚いこの本が支えになっていたのだろう。

本を取れば棚が傾き、滑り良く仕組まれた鈍器がこの位置目掛けて落下するという仕様だったのだろう。

何も知らない他の住人が見つけてたらどうなっていたか。その可能性を考えるだけで冷や汗が出る。


「何考えてんだアイツ……!!」


おそらく、このような大掛かりな罠を仕掛けていた現場を誰かに見られたところで巻き戻しているのだろう。よって危険も顧みず犯行が成立してしまっているのだ。


改めて見たところで本棚には手がかりになりそうなものが何もない。

せめて何かあればよかった。だが、この本でさえ真っ赤なブックカバーをかけられただけの無実な内容だった。


キッチンに向かい、せめて自衛になりそうなものがないかと探す。

包丁の類が全て無くなっている。それはまだ想定内だ。最悪、願えば欲しいものはその場に現れる。

だがそれでもこの状況をどうにかする手段が欲しかった。

マッチを見つける。だが、アリスは首を横に振った。

「さすがに、下手した時のことが怖すぎるな……」

もし火事にでもなったら大変だ。他のみんなにも影響が出る。それは避けたい事態だった。

「……まさかガスとか撒かれてないよな」

マッチが置かれていることにさえ疑心が募る。もしここにガスでも出ていたら、火をつけた途端ガス爆発が起こるのではないだろうか。アリスは生憎詳しいわけではなかったが、警戒はできた。


テーブルの上にはタルトが置かれている。

「その手にはもう乗らない」

タルトから離れ、キッチンを後にしようとした時。タルトとは違う甘ったるい香りがした。

「チェシャ猫?」

「お腹すいたから来ちゃったのさ」

「お前……大事な時にいないな……」

「え〜〜?」

チェシャ猫が席に座り、テーブルの上を眺める。

「これアリスのやつじゃないの?俺が食べていい?」

「……は?ちょっと待て!!」

毒。という言葉が浮かぶ。白うさぎから受けた被害を、毒を受けて悶えるあの痛みがよぎり、アリスは急いで振り返りチェシャ猫の伸ばす手を掴んだ。

その拍子にバランスを崩し、チェシャ猫の座っていた椅子が倒れる。ドミノ倒しのようにテーブル上に並んでいた調味料やドリンクが床に落ちた。

「いてっ!!」

「!悪い……!!怪我は」

後頭部を抑えるチェシャ猫の背後、調味料の落ちた床が凹んでいっている。タイル張りの模様がぐにゃりと大きく歪んでいた。

「!?チェシャ猫!!」

「え?あー……離れよっか」

立ち上がったチェシャ猫がアリスの腕を引きダイニングの方へ走れば、あっという間にキッチンの中が崩壊するのが見えた。

「ど……どういうことだこれは何の……」

「さっき落ちた調味料。Drink meって書いてた。ほらあれだよ、原作に出てくる小さくなったりする魔法の飲み物さ」

「……ああ。あれ、飲むんじゃなくても効果出るのか……」

「出るよ」

つまり、それを浴びた床が縮みあんなことになってしまったと。

「……すまなかった」

「大丈夫、怪我とかしてないし。アリスのほうこそ無事で何より。じゃあ俺はこのことを女王サマに報告してくるよ」

「悪い、頼む」

「はーい。あ、でもお腹が空いたんだ、何かちょうだい」

「そんなの自分で出せばいいだろう……」

とはいいつつも、アリスは願いその場にクッキーを作り出す。小さめのショートブレッド、イギリスのクッキーだ。

それが現れたのを確認すれば彼は口を開ける。少し歯並びが悪い口内にある舌は彼のイメージカラーである紫色をしていた。

食べさせろ、ということだろう。冗談じみたコミュニケーションだが、仕方なくショートブレッドを彼の口へ詰めればチェシャ猫は素直に咀嚼した。

「うん、美味しいよ」

チェシャ猫は機嫌良さげに尻尾を揺らす。

Eat meと書かれたお菓子を食べれば身体がたちまちに大きくなるなんて話も原作にはあるが、アリスが試しに願ってみれば実際それは現れた。Eat meと刻まれた丸いクッキー。

「いっそこれを粉々にして振りまいたらさっきの直らないか?」

「そういうアリスのクレイジーアイデアは嫌いじゃないよ」

さすがに実行には移さないが、このキッチンの惨状はハートの女王が対処を考えることとなるだろう。アリスは心の中で謝罪し、後で改めて謝罪にいくこととする。

「じゃ、引き続き頑張って」

煙となってチェシャ猫が消える。アリスは、クッキーを片手に散々なことになったキッチンを後にした。


噴水広場。

ここでなら罠を仕掛けられもしないだろう。

思えば白うさぎと出会ったのもこの場所だった。あの時はこんな人物だとまるで警戒していなかったが、我ながら今では馬鹿らしい。

噴水は今日も変わらず水を噴き出し続けていて、アリスの心情など知らないようだった。


「なあ」


後ろから声をかけられ、思わず身体が跳ねる。

振り向いた先には芋虫がいた。

「うお……驚かせるつもりじゃなかったんだがな」

「何だあなたか……」

「何だと思われたんだ」

芋虫はよっこらせと噴水の縁に座る。

「嬢ちゃんを見たから声をかけたんだ。後ろから見てたんだが探しモンか?」

「探しもの?」

「いや、挙動不審だったからな。何か探してんのかと」

警戒している様子が、彼らからはむしろ怪しく見えていたようだ。

「……探してる、探してるか。ある意味そうかもな」

「元気ないな」

多腕の芋虫の一つの腕はタバコをふかすような仕草をして、一つは腕を組んだ。

「いいこと教えてやろうか」

「なんだ」

「何ちょっとしたことだよ」

芋虫は移動したかと思うと、噴水横の蛇口のようなものを捻る。

すると、蛇口から勢いよく水が出る。噴水が止まり、現実ではありえないほどの力で水が溢れていった。

「な……!?」

「ダムの放流みたいなもんだよ」

芋虫の指先は噴水の床部分を指す。

アリスが覗いてみると、その床はステンドグラスのように無数の色で輝いていた。

「なんだこれは」

「この噴水、キラキラして見てるだろ。水自体がそうってのもあんだけど、床がこうなってるから反射でそう見えるってのもあんだ」

「へえ……知らなかった」

「嬢ちゃんがこういうことで元気出るタイプかは知らんが、ないよりは幾分かマシだろ」

「……確かに、知る前より良い気分だ」

「だろう」

蛇口を止めると、噴水が再び噴き出す。

「まあ、あんま気負んなよ」

「ありがとう」


芋虫が去った後もアリスは噴水を眺めた。

ここまで来たものの、武器の一つだって見つけていない。まだ被害者が出ていないのは幸いだが、自分が逃げ続けていたとしても間違って誰かが死んでしまうかもしれない。

アリスは覚悟を決める。


「……私を餌にするしかない」


そう、あくまで栄や……みんなとするのは協力だ。

利用できるのは、自分だけだ。







日が暮れ、空はオレンジを絞ったような色に染まっていた。だがそれも遠くの方から青色へ変わりつつあり、夜の訪れを知らせている。


夕食には顔を出さない。心配されるかもしれないと思いチェシャ猫へみんなには今日は自分は来ないと伝言してもらうように頼んだ。


「……それと、私以外の住人をできるだけ集めて夕食を食べてくれないか?」

「どういう風の吹き回しかは知らないけど、何かしたいことでもあるんだね。いいよ?」

深く理由を聞かれることもなく、チェシャ猫は簡単に受け入れた。結果、眠りネズミ……それに白うさぎ以外の住人は城に集まっている頃だ。


それも全て、二人っきりにしてもらうためだ。


「今日は私のことを探さないように言ってある」

「チェシャ猫も今日はいない」

「見てるんだろ、白うさぎ」


「いや、夢矢満月」


陰から姿を現したのは、白うさぎだった。

「その名前で呼ばれるの嫌いなんだけどな」

「悪いな、嗅ぎ回って」

「悪いと思ってないくせに」


彼は片手にナイフを構えている。その表情は影に隠れてよく見えない。だが、こちらを良く思っていないのはわかりきっていた。


「そう簡単に出てきてくれるとはね。それもこんな、誰もいない状況を作り出して。何の企み?」

「企みか、ないと言えば嘘になる」

「じゃあ教えてよ」

「お前は人に自分のことを知られるのを嫌っているな」

「……それが何?」

「二人っきりなら、よく話せるだろう?」

「……ハハ!!そんなくだらないことのために!?こんな危険を冒してるの!?信じられるかよ」

「信じなくていい」


これは本当だ。アリスは嘘をついていない。

目を真っ直ぐと見れば、彼も憎悪に満ちた視線を返す。


「何故私をそう狙うのか、私を嫌っているのかはわからない。だが、それを明らかにしてみせる」

「主人公気取りだねえ。そういうとこじゃない?」

「お前は主人公ではなさそうだな。その姿は悪役じゃないか」

「優しい僕なんて今はいらない。そうでしょう?目撃者であるお前もどのみち死ぬんだし」

「殺させない」


彼がナイフを構え直したのを見て、アリスは走り出す。

花畑の方へ出て、道なりに沿って彼から逃げる。白うさぎが花を踏んで追ってくるのが見えたが、それっきり振り返ることはやめた。

石でできた階段を駆け上がり、完全に花畑を抜ける。雲が自分たちを見下ろしている。まだ病み上がりの身体が、腹部が痛い。

案外、命を賭けて本気で逃げれば人間はここまでやれるのだ。リミッターが外れている自覚がある。追いつかれれば、死ぬ。その確信がある。


そしてそれは、白うさぎへ決定的な殺人の罪を負わせることになる。


血が今にも出るんじゃないかと思うほど痛いのに、走り続けることができた。

噴水広場へ辿り着き、中心に向かって地面を蹴り上げる。

噴水の縁を飛び越えて、水の噴き出る部分を通り抜けて向こう側へ走る。

そして、噴水の蛇口がある部分へ手を伸ばす。蛇口を思い切り捻り、噴水内の水を吐き出させた。

追いついてきた白うさぎが追って噴水の中へ足を踏み入れ、アリスが噴水の中で立ち止まったのを見ればすぐさまナイフを振り上げる。

脳内シミュレーションの賜物か、アリスは振り下ろされたナイフを機敏に避け、身体をごろんと転がした。

刃の先端が縁に当たり固い音を鳴らす。


噴水内の水が溢れ出し続け、水に取られた足も次第に軽やかに動かせるようになりつつあった。

白うさぎがアリスの方へ向くと再びナイフを振るう。学ばずでたらめに振りかざすだけの刃先は、避けるのが簡単そうに見えて力強く、回避が間に合わないと悟ったアリスは咄嗟に全力の拳を彼のナイフを握る右腕へ打ち当てる。衝撃により力が分散された刃先は、アリスの肩を軽く切っただけに収まる。

だけ、とは比較的マシな傷になったというだけである。脳内物質の影響か痛みはすぐにはやって来ない。

ナイフを持った腕をアリスは両腕で掴み、彼と睨み合う。


「離せェ!!大人しくしろッ!!」

「大人しくするのはお前だ!!!」

「死ね、死ね、死ねッ!!!」

「死んでたまるかあ!!!」

「殺してやる!!死ねェ兎野!!!!」


アリスは渾身の膝蹴りを白うさぎの腹部に入れるが、彼は何度でもナイフを振るう。

このままでは劣勢なのはアリスの方だ。

隙を作るためには。本当はナイフを手放せられたら一番いいが、自分の力には期待ができない。

『そういうアリスのクレイジーアイデアは嫌いじゃないよ』

チェシャ猫に言われた言葉が浮かぶ。ならば、いっそそのクレイジーさに身を任せてみようか。

白うさぎがかざそうとする右腕に、否、ナイフを持つ手を目掛けて頭突きをする。

「ハァ!??」

ナイフに向かって来られるとは思っていなかったのか、彼が少し動揺したのが見えた。当たり前だ、一歩間違えば顔に傷がつく。それで済むかもわからない。

その隙を見て白うさぎの身体を倒す。バランスが崩れ、彼がわずかに残った噴水内の水へばしゃりと音を立てさせた。

白うさぎが姿勢を整えるその一瞬を見計らって、アリスは手を掲げた。

頼む。どうにかなってくれ。

願えば、欲しいものは現れる。手のひらにトランプが現れ、それが瞬く間に瓶へと変わる。


「なっ……」

「いい加減に……しろ!!!夢矢満月ィ!!」


瓶を縁にぶつけ叩き割る。中の液体が溢れ、噴水内にギリギリ残った水へ溶けていく。

効力はすぐに現れた。

身体が縮んでいく。視界の全てが大きく見え、狭い噴水内が広い闘技場のように見えた。噴水の中も縮んで形を歪ませていく。

そしてそれはすぐ近くにいた白うさぎも同じだった。アリスと同じように身体が小さくなり、状況に動揺した様子だった。

だがしかしすぐにナイフを握り直す。

「何の真似だテメエ!!!!!!」

白うさぎが叫びながら刃を向ける。それにアリスは挑発的に笑った。

「私には元の大きさに戻るクッキーがあるんだよ!!!」

「踏み潰す気!?!?」

「そうだと言ったらどうだ!!!!」

彼が懐中時計を取り出し、指先で鳴らす。

「こっちにはこれがあんだよ!!!!」

カチリ。秒針が時を刻む音が反響し、歪む。


途端。

世界は想定内に巻き戻る。

だが、白うさぎにとって想定内でないことがあった。

「ッは……!??」

がぼ。口から泡が溢れる。溺れる。

巻き戻った。だが、その懐中時計の効力はアリスと白うさぎ自身には反映されない。つまり、身体も元に戻らない。

直前、噴水内の水を全て放流していたアリスだったが──勿論、それも元にもどってしまえば、水も元の状態に戻る。

縮んだ身体では噴水内の浅い水も、十分な湖になる。

予測できていなかった白うさぎは息を吸えておらず、体勢も整えられていなかった。息を止めても最初に出てしまった空気が苦しみへ繋がった。

アリスは予想できていたこと、むしろそうなれと願っていたことだったが、それでも呼吸が苦しい。

腕が水中を掻く。何も掴めるものがない。

白うさぎが一際大きな泡を吐き出す。


……まずい。

アリスは白うさぎの腕を掴み、その身体を繋ぎ止める。

苦しい。だがまだやらないといけないことがある。終わりじゃない。

アリスは大きくなるためのクッキーを割って、片方を口にする。そして残りを彼の口へ無理に押し込んだ。

従って次第に、二人の身体が元のサイズに戻っていく。

白うさぎが激しく咳込み、体内に入った水を吐き出した。どうやら生きているようだった。


「終わりだ」

アリスは、願った。

そして、手にした。

スタンガンを。


「……はぁ……!?」

「一歩でも動いてみろ。これを……水面につけてやる」

「そんなことしたらお前も共倒れだけど?」

「わかってる。だから、私は、お前と対等に立ちたいんだ」

「本気でやれるわけ……」

「やる」

「はあ?」

「やる」

じっと目を睨む。

一度感電させられたことを忘れてはいないのだ。


「……ハハ」

「負けを認めたか?」


「……」

「わかったら大人しく……」


白うさぎの瞳が、再び燃えるような怒りを灯したものへ変わり睨み返される。

「やれるもんならやってみろよ!!!!!」

「コイツ馬鹿なのか!???!?」

スタンガンを水面へ当てる。

あっちは馬鹿だが、アリスも馬鹿だった。舐められたら終わりだと両者が思っていたせいだ。

ぽちゃん。その音と共に、激しい電流が駆け抜ける。

意識が暗転する。


ハッと意識を戻したのはアリスの方だった。

噴水の中に倒れていたアリスの身体はすっかり冷え込んでいたが、それより目の前へ気を取られる。

「……白うさぎ!!」

白うさぎは未だ意識を戻していないようだった。


呼吸を、脈を確認する。

どうやら生きているようだった。


アリスは安心に息を吐く。


目を瞑っている彼の睫毛は長く、黙っていれば心の底から美人だと思える。先程まで殺意を向けてきた人物とは思えない、不安げな表情で眠り続けていた。

……ふと、気がつく。


ポケットに、しまわれているもの。

懐中時計も気になる。だがそれ以上に、気を取られるもの。

水を弾く、真っ赤な封筒。

「……これ」

よく見れば不思議な模様が彫られている、特殊な紙でできていた。シーリングスタンプで封をされていたであろうそれは、中にメッセージカードが入っていた。

彼の動機を確かめるために見なければいけない。

それなのに、嫌な予感がした。


そこに書いてあったのは。


『この世界では、最後に残った二人が生きて戻れる』


言葉が詰まる。

嘘だと思いたい。何かの悪戯だと。

なのに、それを読んだ瞬間、それが本物であると確信させられた。理由もわからないまま、それが真実だと思わされた。

「……、はぁ……?」


もしここに書かれていることが本当だとしたら。

二人しか生きられない。

白うさぎはこの封筒を見つけ、混乱しながらも……ひと足先に見つけた自分だからこそ。自分だけが知っているからこそ、誰よりも早く周りを消そうとした。

自分が生き残る確率を上げるため?

他者を犠牲にしようとしたのかもしれない。


「おい!起きろ!」

白うさぎに声をかけ、頬に軽く触れる。

それに反応したのか瞼がぴくりと動く。

すぐに彼が持っていたナイフを奪い、突きつけるような形を取る。

だが彼の様子は先程のような激昂ではなく、虚ろなものだった。

「……お前、まだいたのかよぉ……」

「いるに決まってるだろ。まだ話は終わってない」

「……もう、やる気ないから。これ以上何もしないってば……それどけて……」

「そうだな、私もできれば対等に話をしたい」

ナイフを下ろすが、それでも尚抵抗の意思はなかった。


「悪い。先に謝っておく。……封筒を見させてもらった」

「……ハハ、そう、だよねえ!そりゃそう……」

「コレ、図書室で見つけたのか」

「そう。驚いちゃったよ、借りた本を返しに行ったらさ……そこに挟まってるんだもん……なにかなって思ったら、こんなこと書かれててさぁ」

「それでお前は、生き残る為に誰も彼も殺してしまおうと……」

白うさぎは虚ろな目をアリスに向け、問いかける。


「お前、本当に何も知らないワケ?」

「……は」

「お前じゃないの?」

「何の話だ」


白うさぎは上半身を起き上がらせる。反射で構えたアリスだったが、彼は自身の頭を押さえつけるばかりだった。

「……もうひとり、いる」

「何が」

「もう一人いるんだよッ!!!!!」

突然、大きな声で叫ぶ。怒り、焦り、苦悩を滲ませた声色はただの怒鳴り声ではなく、彼はさらに自身の綺麗な髪の毛を掴み上げた。


「俺より先にッ……誰かがこれを読んでる!!俺は2番目だ!!」

「……はあ!?」

「俺が見た時にはすでに開けられてたんだよ!!だから俺じゃない!もう一人、誰かがいるんだ……誰かが、俺たちを殺そうとしてんだよ……っ!」

「待て、殺そうとしてるって決まったわけじゃ……」

「じゃあどうすんだよ!いつまで偽善者やってるワケ!?誰かが、誰が、絶対殺そうとしてきてるんだ。そうに決まってる!!」


「なら、やられる前にやらなくちゃいけないだろッ!!!」


白うさぎがその場に崩れ地面を見つめる。その手はがくがくと震えているが、寒さによるものではなかった。


そうか。

アリスはやっと、彼の内側に触れた気がした。

彼は何も自分が生き残るためだけにこんなことをしていたわけではない。

自分が殺されるかもしれない恐怖に怯えていたんだ。

それでアリスを狙ってきた理由は未だ不明だ。だが、わかった。この人は恐怖心が原動力になる人なのだろう。そうでなければ、ここまでやる理由がない。


心の防御反応が、加害に転換される。そういう人なのだ。


「お前じゃないなら!誰なんだよ!!じゃあ誰を殺せばいいんだよ、そこまで言うなら教えてくれよ。ハート、アイツも殺さないと、危険だ、アイツは、俺のこと嫌いだから殺してくるに違いないッ……」

「……落ち着いてくれ。深呼吸を」

「できるわけないだろ、ふざけるな」

「白うさぎ。誰も殺さなくて大丈夫だ。誰も、お前のこと狙ってきたりなんかしない。……私がどうにかする」

「はあ……?」

「私が探す!他にいるんだとしたら、私がそいつと話つけてくる!」


震える手を固く握り、反応で彼の顔を上げさせる。視線を合わせて、掴む力を何度も強めた。

時計の秒針は既に夜を指していた。空は紫がかった黒へ変わり、星は見えず、月の光だけが二人を照らす。只々白うさぎはその気迫に囚われ、目を逸らせずにいた。

「私が、協力……してやる!!……ああわかった、私を利用していい!!だから」


「だから」


「そんな顔をするな」


ずっと鍵をかけて扉を閉めていた白うさぎ。その向こう側で、彼は孤独だったのだろう。弟にさえ頼れている様子などない。

誰も近づけようとしない、目を合わせようともしない彼に憎悪を向けられてやっと視線があった。

今さっきまでアリスだって本気で、彼を黙らせようとしていた。無力化しようとしていた。

だがしかし、同時に手を差し伸べたくもなってしまった。

彼が誰のことも傷つけずにいられるならそれがいいだろう。一度はアリスのことを切り付け、何度も殺そうとしてきた白うさぎだったとしても、まだ止まれるんじゃないか。そんな気がしてならなかった。

そうさせたかった。


彼を、やり直させたかった。


アリスからの言葉を受けた白うさぎは数秒、唖然とした。だがすぐに自身の顔に触れ、眉間に皺をよせる。

「そんな顔って、何。俺が変な顔してたって?」

「いいよもう喧嘩腰になるな、はいはいお前は美人だよ」

「は?うるさいな」


「協力つったって別にお前に頼る気ないから。……でも」

「でも?」

「封筒のこと、黙っとけよ。絶対」


白うさぎはアリスを睨みつけたまま立ち上がり、静かに立ち去ろうとする。

「わかった、絶対に言わない。だからお前も、誰のことも殺すな」

「……」

「約束」

「しない。約束まではできない」

律儀に約束を守ろうという気はあるようだった。


「じゃあ、しなくていい。約束じゃないなら……私からのお願いだ」

「そんなの、聞いてやる価値もないな」

白うさぎは月の浮かぶ夜の下、どこかに向かって歩いていく。それを追う気にもなれず、アリスはその場にまた座り込んだ。

脇腹や肩が今更痛くなる。

冷えた夜風が体温を下げ続けている。ずっと、頭の中があつくて、自分は平熱だと錯覚していた。くしゃみが出て、思わず自分の身体をさする。

アリスはふらふらと立ち上がり、城に一人で帰る。


城にはまだ灯りがぽつぽつとついていて、何人かが起きているのがわかる。

この光を、絶やしてはいけない。

誰のことも死なせてはいけない。

白うさぎの言っていた通り、もう一人……封筒の中身を見た人物がいたとしたら、見つけ出して話を聞かなくてはいけない。

どうしてか使命感に駆られる。これが正義心なのか、皆を想う気持ちなのかは定かではないが両方かもしれない。

アリスが城へ入り、2階の廊下へと足を進めればもう一人の人物の気配を感じた。


三月うさぎだ。

服は既に寝巻きに着替えていた。声をかけようかと思ったアリスだったが、よく耳を澄ませれば彼は誰かと会話しているようだった。


「そうだね、少し待っててよ部屋から枕持ってくるからさ」

「……うん、オレ、離れるの怖いけど、すぐ戻ってくるから……」


がちゃり、と薄く開けていた扉を閉める。

そこは……帽子屋の自室だった。


「三月?」

アリスの声に驚いたのかうさぎの耳が急激に立ち上がり、急いで振り向かれた。


「アリス……」

いつもより随分と静かな声は、周囲に気を遣っているだけかもしれないが……普段の弾けるような明るさを控えさせ彼の違う一面を際立たせていた。

その表情はどこか憂いを帯びており、パニックに陥っている様子でもなく、ただ、兄のように夜の似合う人がそこにいるばかりだった。


「……どうしたんだ」

「アリス……オレ、こわいよ」

「何か、あったのか?」

「ううん、ただ……考えてるうちに怖くなったんだ、ずっと……ずうっとこの世界にいることになったら、どうしようって」


三月うさぎはアリスに歩み寄る。


「オレの……現実での身体とかどうなっちゃうのかなって。おかしいよね、今更死んじゃうのが怖い、って思うなんてさ」

「三月……」

「アリスはさ、オレのこときらい?」

「そんなわけないだろう」

その言葉を聞いて彼は、ゆっくりとアリスの手をとって眉を下げた。

「じゃあさ、オレのこと……連れ出してよ」

「……え?」

「オレ、おかしいでしょ。普通の人じゃないんだ、心が病気でね……現実にも、居場所なんてどこにもないんだ。オレが帰ったって、誰も喜んでなんてくれない」


でもね、と言葉を続ける。


「アリスは……そんなオレにも優しくしてくれた。優しいだけじゃない、強い人。オレに向き合ってくれて、……うれしかったんだ。キミが、見捨てないでくれて」

握る手を、指先を絡めるように軽く触れ合いさせる。

「だからそんなアリスとだったら……オレ、現実にも向き合えるかもしれなくて。帰りたいって、思えたんだよ?ねえ、アリス」

溶けるような耳触りのいい声。溶けて、そのまま一つになろうとするような、兄とは全く違う似ても似つかない瞳。


「おねがい、アリス。帰る方法がわかったときは……オレの事、手伝って?」


封筒のことは話さないでほしい。白うさぎの願いが過ぎる。

帰る方法はもうわかっている。だが、それを言うのは白うさぎの意思に反する。それにアリス自身の倫理観が、正義が揺らいでしまう。

それなのに。

おねがい、と言う弱々しい声が、判断を鈍らせる。

思考が掻き乱される。もし、ここで彼にこのことを言ったなら、何か変わるだろうか。白うさぎも、弟である彼になら……言ってもいいのではないだろうか。

何より。

これまで、帰りたいと一言も言ってこなかった三月うさぎが、そう言ってくれた。刹那的に生きる彼が未来のことを考えてくれた。


「三月」


方法がある。

そう言おうとした時に、脳内によぎったのは。

ひとりぼっちの白うさぎだった。


この言葉は、裏切りに値する。

再び白うさぎを──独りにする可能性が、捨てきれない。


「……ごめん」

アリスは三月うさぎの手を離し、後退りをして距離を取った。

「……えっ」

「悪い、約束……できない。手伝えるか、わからない。私がお前にしてあげられることが……ないかもしれないんだ。……もちろん、できることはしてあげたい、でも」

「つまりダメってこと?」

アリスが頷いたのを見て、三月うさぎは先程までの不安げな表情が嘘だったかのように真顔になる。

「なーんだ何もしてくれないんだ。じゃ、いいや」


三月うさぎはアリスの横を通り過ぎ、平然と、何もなかったかのように自室へと帰っていった。


「……なんだったんだ」

静かでいて、嵐が過ぎた後のようだった。

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