三月うさぎ√最終話「落下」
アリスは城の中を走る。見て回る。誰かいないか。
誰か、ではない。
ハートの女王。彼がどこかにいないか。
疑うべきだった。無意識に彼はそんなことしないだろうとどこかで思っていた。だが一度違和感に気づけば、彼なら細工ができることに自身から反論が浮かばない。
アリスは探偵ではない。推理など得意ではない。だから直接聞き出すしか方法がない。
そのために、ハートの女王を見つけなければならなかった。
階段を駆け上がる。
最上階のバルコニーに、その姿があった。
その手元に止まる鳩は手紙を口に咥えていた。
「ハート!!」
思わず自分でも驚くような大声が出る。
怒鳴りたかったわけじゃない。彼を驚かせたいわけでもない。ただ、必死さが声に出てしまった。
肩を大きくビクりとさせ、彼が振り返った。
「あ、アリス!?なんでここに……」
「お前を探してた!!おい、お前、なんのつもりだ!?」
「……あ、わかっちゃったんだ……」
ハートの女王は目を伏せ顔を見てはくれない。
「今、アリスに手紙を届けてもらうところだったんですけど……アリス自身が来てくれたなら話さなくちゃですね……」
「いますぐに話せ!何を考えてる!?」
ハートの女王は自身の片腕をぎゅっと抱え恐る恐る口を開いた。
「……僕、知ってたんです。今回のこと」
そうだと思ってここまで来た。
しかし実際にその口から聞くと、前提条件が覆り、オセロで一気にマスをひっくり返されたような気持ちになる。
「チェシャ猫さんが言ってたんですよ。この国から帰る条件」
ハートの女王は自身の服を掴み続け、服に皺が生まれる。
「この世界では、最後に残った二人が生きて戻れるんだって」
「は……?」
「チェシャ猫さんが言ってたんですよ?アリスを帰したいから協力してくれって」
「最初はてっきり皆殺しにでもするのかと怯えました。でも、自殺を元の世界に戻るトリガーだと誤認させて自ら死んでもらう計画だったんですよ」
「チェシャ猫さんからはじめて、僕が仕掛けを作って、同じく協力者である眠りネズミさんが追う。信憑性を高めて、みんなに死んでもらう」
「アリスだけは間違って死んでしまわないようどこかで教える必要がありましたけど……時々あなたは思い切りがいいので、やりかねないと心配してましたよ」
計画を話す彼の姿は犯人の供述、と称するには他人事のような態度だった。
チェシャ猫を真犯人だと言うような、あくまで共犯の供述でしかなかった。
「あっでもですよ、でも、アリスが死なないためにちゃんと用意したんです。死ねない理由」
ハートの女王は人差し指を立て、誰かのことを指し示す。
「三月さん」
「……お前……」
「三月さんと仲良くしてたって聞いてますよ。元の世界に帰りたがらないあの人です、アリスが死なない……置いていかない理由としては充分かなと」
「な、なに考えて……」
「ですから、三月さんとの時間も邪魔しませんでしたし、チェシャ猫さんの死体も下手に見つからないよう城全体に施錠をかけたんですよ。身体能力の高い三月さんだけが入れるように、上階のバルコニーだけを開けて」
そうだ、城全体の鍵が閉まった状態でチェシャ猫は見つかった。
そんなことできるのも、城の所有主であるハートの女王なら辻褄があってしまう。
「三月さんが不安定な人なのはそりゃ……知ってましたから……でも不安定になればなるほど、アリスは助けてくれるはずです。二人の仲は深まるでしょう?」
「ですから三月さんが追い込まれるように、皆さん死ぬ時には薬を使ってもらったんです。ちゃんと薬を使ったあとも残して」
「薬があれば疑いの目は彼に行きます。いえ、疑いは浅くてもいい」
「ただ、本人が疑われてると過剰に感じる。それだけでいいんです」
どこまでも他人事のように淡々と語る。
だが、聞けば聞くほど。
実行犯は、ハートの女王だ。
全ての糸を引き、手のひらで踊らせ、チェシャ猫がはじめた者だとしても……続けたのは彼だ。
「何が私を帰すためだ」
「三月うさぎを利用したな……!!」
アリスは咄嗟に足を踏み出し、ハートの女王の服を掴み上げる。
アリスが男に生まれていたら、背が高ければ、間違いなく彼の胸ぐらを掴んでいた。
こちらの怒りや悔しさに動じることなく、ハートの女王は抵抗の意思も示さずアリスを見下ろした。
「すみません。でもこの世界の本当の"生きて帰る条件"を……最後の二人になったら帰れるって話、ちゃんとアリスは最後まで残ってないとダメだったので。1番使えそうだったのが三月さんだったので」
「だからといって!そうされたことで三月がどんなに傷ついたか……!!簡単に癒える傷じゃないんだぞ!?」
「わかってます」
「理解してて、私の為に、ここまでやったって?」
「そうですよ」
「そんなの嬉しくない!!」
ハートの女王に対する考えは、甘かった。
彼が自分のストーカーだということ、自分を好いてること、理解してたはずだった。だが、どこかで不思議と信頼をおいていた。
純粋で、協力的で、こんな場所に来るような境遇でも未来のことを考える勇気を持つ──優しい人だと。
だが、全ては甘かった。
純粋な愛は、時に凶器となる。
彼は目的の為ならば手段を選ばない。人を傷つけることなどしたくなさそうな顔をして、死を伴うやり方だとしても必要ならば実行に移す。
アリスの為ならば、やってしまうのだ。
「……アリスの為だとしても、アリスは喜ばないでしょうね。わかってましたけど、ここまで来ちゃいました。すみません」
彼は服を強く握られたまま力無く話す。
「すみません。本当に、ごめんなさい。全部僕の身勝手さが原因です」
ハートの女王の頼りなさげな姿ばかりが浮かぶのに、アリスの力ではまるで敵わない。身体を引こうとしても、動きはしない。むしろ、彼が後ろへ下がろうとするのにアリスが引っ張られてしまう。
「アリスの為。アリスの為って言ってますけど、ひとつだけ、訂正しますね」
「僕のためです」
「アリスを生かしたいのも、僕の考えです」
「チェシャ猫さんに協力してくれって持ちかけられた時は驚きました。……半分、脅しだったんですから。怖かったんです」
「話に乗ってなきゃきっと僕が第一被害者でした。この人を放っておくよりは、僕が実行犯になった方が安心できるかなと思いましたね……」
「脅され……?!そもそもチェシャ猫がなんでそんなこと、生きて帰る方法を知って……!!」
「詳しくはわかりません。ただ、方法の書かれた赤い封筒をどこかで入手したみたいで。それは僕も見せてもらいました」
シーリングスタンプがされていた赤い封筒。帽子屋からも見せてもらったもの。
おそらく封筒は使い回し、中身のメッセージカードだけをハートの女王がすり替えたのだろう。
「不思議ですよね。……本当に不思議なんです。その中身を……メッセージカードをみたら、ああ、これ本物だって思っちゃって。その方法が嘘だと思えなかったんです」
「そんなこと」
「あったんです!本当に……!!あれは本物でした!だから、このやり方に納得がいってしまったんです!」
その赤い封筒が本物だったと仮定して、チェシャ猫がどこでそれを手に入れたのか。それは今やわかることではない。何故ならチェシャ猫は死んでしまったのだから。
「でも私がお前の言ってるこの計画を知って、これ以上誰かを死なせると?」
二人になるまで。
残りの二人は帰れる。
だとすれば、まだ犠牲者が必要ということになる。
しかしそんなもの、アリスは出したくなかった。誰にも死んでほしくないし、これ以上ハートの女王に罪を重ねさせたくもない。
三月うさぎがこれ以上傷つく前に、この惨劇を終わらせたい。
種明かしがされた今なら、今生きているものたちへ事情を説明することもできる。
しかし、ハートの女王は続けた。
「思いませんよ。アリスは僕の計画を止める。だからね」
ハートの女王はバルコニーの柵に手をかけ、体重を乗せ、アリスの目を見て言った。
「もう最小限に抑えてある」
「……な、にを?」
「今の時点で僕と、アリス。それに三月うさぎしか生きてない」
絶句した。
言葉が出ない、という喉や心理の状態。それはチェシャ猫の死体を見た時にも経験した。
だがそれが、再びやってきた。
理解が、追いつかない。
もう、3人しかいない?
帽子屋は、死んだだろうか。だが白うさぎは?長らく彼の姿を見ていない。いつ、どこで、死んだ。
誰に、殺された。
目眩のあまり、目の前にいるハートの女王の輪郭が歪んでいくような感覚を覚える。
「僕もみんなに死んでほしくはなかったけど、アリスのためにはこうするしかないから……」
「ちょっ、ちょっと待て!お前……ッ私のために全部!?こんなの間違ってる、おかしい」
ハートの女王は泣くこともなく、そのまま柵へさらに体重をかけた。
「うん……ごめんなさい」
「お前」
「あとは三月さんに全部任せるから」
「なんで」
「本当は、アリス……僕のこと嫌いなんでしょう?」
「は」
どうしてそんな話になった。
「チェシャ猫が言ってたんです。告白が失敗したときから、ずっとそうだったんでしょう。それなら、僕があなたと生きる資格はない」
「そんなこと言ってない!!」
もういい、とでも言うような笑みを浮かべて彼は呟いた。
「ありがとう。僕、アリスに出会えてから幸せでした」
「……すみません」
そう一言、彼はアリスを強く突き飛ばした。
男性の身体に弾かれ、胸ぐらを掴まんとしていたアリスも手を離させられる。大理石のバルコニーに体を打ち、痛みが走る。それよりも、目の前の光景に脳の危険信号が熱を持っていた。
「ここからは、どうか、見ないで」
ハートの女王が柵の向こうへ身体を押す。早く、助けないと。彼の手を引かないと。
そう思うのに。
飛び降りようとする姿が、高所が、記憶もない過去の自分と重なる。
何も言えない。喉から声が出ない。
動けない。
ドン。
鈍く重い音が下の方から聞こえた。
音だけではない。重みによる衝撃に、床の一瞬の振動に心臓が痛む。
冷や汗が滲む。
呆然とそれを聞いた後、何秒経ったのか、時間感覚が狂ってしまった。
絡みそうになる足をどうにか動かして、一階へ降りていく。
見ないで。
そう言われたのに、高所から落下した身体に目が行く。
言葉にするにはあまりに悍ましく、見ているほどに力が抜ける。
後ろから足音がする。
足音。
誰かが生きている、その安堵感と共に危機感が芽生えた。
「三月!来るな!」
咄嗟に振り返り片腕を広げたが、間に合わなかった。
三月うさぎは音のした方へ、この惨状へ目を向けてしまった。
彼は青ざめ、意味のわからない呻き声を上げた。
「あ、あ……゛!!」
「三月!」
三月が唇を抑える。
喉や背中が上下し、口から吐瀉物が溢れ出た。
生理的な汗と、涙が止まらない。
吐瀉物の中にまだ溶けきっていない錠剤がいくつも混ざっているのに、この嘔吐はオーバードーズの症状ではなかった。
彼は吐いて、咳き込みながら叫ぶ。
「も……もうやだ……帰る!!オレも帰る!!帰りたい!元の世界にもう戻るから!!死んでやるから!!」
「やめろ!帽子屋の言葉を信じるな!死ぬのはやめろ!」
「信じるな?」
涎や涙でぐちゃぐちゃになった顔で三月うさぎはアリスを見上げた。
「じゃあ、みんなは?みんなはどこにいったの?」
「それは」
「元の世界に戻ってなきゃ本当に死んだってことじゃん!」
三月うさぎは死体を見て、またえずく。
「あ、あ、あ……」
可哀想なほどに、頭を掻きむしる。
「おもいだした」
「……えっ」
「思い出した。思い出した。そうだ」
「オレの家族、飛び降りて死んだんだ」
そうだった。
アリスにやけに親近感を覚えてしまったこと。飛び降り自殺をしたって聞いて他人事になれなくて、仲間だと思いたかったこと。
可哀想なお母さん。
この世で誰よりも不幸な人。
オレたちが生まれるより前にお父さんに捨てられたせいで一人で二人育てることになっちゃった。宗教にハマって大変そうだった。オレたちにも教祖様が言ってくれた名前をつけたんだって。
三人なのにあの人はずっと一人だった。ずっと満たされなくて、可哀想で、いつも不幸を語っていた。
だからそんな私を幸せにしてって、あなたは頭のいい子になりなさいって兄さんにキャパオーバーな勉強をさせてた。
上手くいかないことがあれば甲高い大声で物を投げるんだ。
物事が理解できるようになってからはずっとあの人を可哀想な人だと思ってた。
でもさ、一番可哀想なのってオレだよね?
だって母さんが謝る先って必ず兄さんだけなんだもん。
兄さんと母さんだけの二人の世界って感じでずっと放っておかれたんだもん。
誰かに頼れるほどの傷も何もなかったんだよ。
あの人を守ってあげなくちゃと思えるほど、オレ大人になれきれなかったんだよ。ちゃんとした子供じゃなかったんだよ。
だから傷跡とか無理やり作って、兄さんが片付ける前の部屋の中を写真に撮って、音声も録って、それでも足りなかったからネットでも毒親エピソード沢山調べてメモした。
人の虐待話を自分のものとして語る為に。
自分の可哀想なところ、何倍もひどい話にした。
全部、全部盛って警察に駆け込んだんだよ。
そのせいで母さんもっとおかしくなっちゃうってわかってたのに。
可哀想がられるって幸せなんだよ。
汚い液状のものをわざと飲んで病気になったり、投げたボールにわざと当たったり、そんなことしても全部幸せに繋がる。
誰かに見て欲しかったんだよ。
心配されるのってすごく嬉しくて、そうやって生きてた。
なのに。
なんで死んじゃうかな。
高校に上がる時、母さんはオレたちじゃなくていとこの子供連れて死んじゃった。
飛び降りたんだって。まだ8歳の子を連れて。
そのせいでオレは学校通えなくなったんだよ。通う意味とか見出せなくて。
ちゃんと学校通えるんだって思われたくなくて。
精神科に連れて行かれて、そこで病気だってわかって。薬もらって。
そこからは随分と幸せだったな。
薬を飲めば心配してもらえる。1番の可哀想な証だったから。
転落するだけの人生だったから。
なのに。
なんで思い出しちゃうかな。こんなこと。
なんでアリスは覚えてないの。
母さんの一周忌。友好関係が広くもなかったから自宅で法要した。
その時に、不吉な予感をさせる鴉みたいな黒髪を持った女の子がいた。
母さんにもこんな知り合いいたんだって少し驚いた覚えがある。喪服なのに視線を奪われるような綺麗な顔立ちで、不思議な佇まいがあった。
その時は名前も聞けなかったし、互いに会釈してすれ違う程度ぐらいだった。
でも。
数ヶ月前。君は突然、オレしかいない家に押しかけてきた。
いつもよりやけに減りが早い薬のビンを見て、いつ使ったっけって思い出してた時にチャイムが鳴った。
何かと思って玄関に出れば、彼女は切り出した。
「新しい心理療法に興味はありませんか」
話の流れも何も分からなくて困惑した。カウンセリングとか予約した覚えもないし、母さんのカウンセリングだってもう終わった話だ。
けれど、心理療法を受けたというネタができることに少し惹かれて、話を聞いてみることにした。
思い返せば我ながら警戒心に欠けているけれど、家の中に招かれ正座で座っている彼女へオレンジジュースを注いで出した。
「そんなかしこまらなくていいよ、でも、何の話?」
「あなたのお母様の担当医、そこと同じ系列の心理療法をしています。お母様が亡くなったことや、現在学校へ通えていないこと……そのほか、あなたの悩みのお役に立てないかと」
「そこまで知られてるんだ」
自分のことを知っている人は好きだ。話が早いから。
「お金はどれぐらいかかるの?最近金欠でさ」
「それは、お菓子ひとつ」
タダ、と言われるより不思議なことを言われた。
「……それなら全然大丈夫だけど。お菓子ってなんでもいいの?結構色々あるけど……今食べる?」
頷いた彼女へ、市販のお菓子を出す。
「オレさ、見ての通り寂しい時間を過ごしてるんだ。だから君がきてくれて少し嬉しい!けどさ……少し怪しすぎるよ。これで怖い人がカウンセラーとして出てくるんじゃないの?」
「カウンセラーは私」
「え」
思わずスマホを見ようとした手が止まる。
彼女の外見年齢はまだ子供だ。見たところ、中学生くらいだ。
「冗談がうまいね!」
「本当」
「……本気で?」
冗談など言っていないように静かに頷かれるものだから、少し困ってしまった。
「怪しい、と言いましたが」
彼女はじっと、こちらの目を見て言った。
「怪しいことに興味はないのか、と」
「え……?」
「はっきり言って、この心理療法は普通じゃない。ただ退屈に話に相槌を打たれるだけじゃない」
「この心理療法を受ける者は、皆被害者になる」
「……ちょっと待ってよ、どういうこと?」
「何らかの事件に巻き込まれるってこと」
正気じゃない。
普通なら、この話をされた時点で逃げ出している。否、玄関の時に追い返してるだろう。それを引き入れてしまった、しかしそれでも今なら断ることができる。
それなのに、オレにとっては餌を吊り下げられたようなものだった。
彼女が、疑わしい言葉を口にするたびに心は前のめりになってしまう。
「あなたは、もっと派手な……ニュースに乗るぐらいのことの被害者になりたいと思ってませんか」
「それも、五体満足で」
「可哀想がられたい。だけど自分自身は傷を作りたくもない。傷跡だけが欲しい」
「それを叶えてあげられるんです」
鴉は、オレの隣に座り、頭を包み込むように腕を添えて語りかけてきた。
「上手くいけば、誰もがあなたを心配する」
「夢矢佳斗を愛する人が現れる」
彼女は手のひらへメモと小瓶を乗せた。
「望むなら、心理療法を行う日付にこの薬を一気に半分ほど飲んでください」
「……死んじゃわない?」
「死なせない」
彼女はそれだけを伝えると、立ち上がり、荷物を持って玄関まで向かった。
「待ってよ!」
「ごちそうさまでした」
ばたり、と扉が閉まる。
メモには1ヶ月後の日付が示されていた。
追う気にもなれなかった。これ以上何を話せばいいのかわからない。
ただ、その日を待つだけだった。
1ヶ月後。
1ヶ月、悩み続けていた。
時計の針が約束の時間を指す。
誰も来る気配はない。
小瓶を揺らし、中の薬をガチャガチャと鳴らさせる。
緊張が張り詰め、スマートフォンを弄る。何度も、ネット上へ発言を流す。周囲から心配されるような、不穏な言葉を選んでタップする。
しかし、30分経っても誰も来ないどころかアカウントからも反応がない。
ネットばかり見てる親友。彼からも反応がない。
何故。
今なら夜であって人目もあるはずなのに。焦燥感が募る。
配信用アカウントにログインし、不幸を見たがる人々へ餌を吊り下げる。
いつもなら喋り続ける自分が、黙って配信をつける。無音の配信に戸惑いの声が上がるのを見て、やっと口角が上がる。
もう止まることはできない。見ている人がいるのだから、もし自分に何かあったとしても誰かが通報してくれる。絶対に助かる。
早く誰か異変に気がついて!
配信上に薬を写し、カランという軽い音と共に錠剤を取り出す。半分って言ってた。
足りないかもしれない。
ペットボトルを握り、一気に流し込む。まだ半分も行ってない。更に取り出して、飲む。
ごくり。
喉の奥へ、食道へ、体内へ収めていく。瓶の中身を空っぽにすれば気分が段々とよくなってきた。
このまま、きっとすごく楽しくなる。思わずこの間の話をしてしまうかも、でもそれもいいのかもしれない。怪しい人に話しかけられたってネタにはなるわけで。
それなのに。
視界が眩むのは、眩しさではなく、眼球自体が歪んだような感覚。
「あれ」
胃が焼けるように熱い。頭が痛い。脳の神経が警告を鳴らすようにガンガンと叫んでいて、舌が震える。脈が狂って心臓が不可測に跳ね上がっていた。
助けを求めようとした時、想定を遥かに超える吐き気に中身が逆流した。何度も咳き込んでいるのに気管に詰まったものが剥がれない。
意識が途端に遠のいていく。
あれ。あれ、これ、まずいんじゃ。
気づいた時には遅くて、倒れたままフローリングを引っ掻く。配信のコメントも見ることができない。住所はバレるようにしてるから誰か通報してくれる、誰かが、でも。
誰も心配してくれなかったら、どうしよう?
孤独感に汗が噴き出る。寒い。
声が出ない。わざとらしく叫びたいのに、何も言えない。
助けて。
その一言が言えない。いつも言っていた言葉が。
あの女の子。あの子が来てくれたら、見つけてくれたら。
これはきっと、自殺未遂だって扱ってもらえる。
そうして、意識を無くした。
それが、この国にやってくるまでの物語だった。
────────────────
ぼろぼろと、口から溢れ出ていく。
嗚咽と、罰のように苦しい、粘り気のある胃液が。
身体に負担がかかっていたのか、血が混ざっている。
「アリス」
「なんだ……」
「薬飲もう」
三月うさぎは俯いたまま薬箱を差し出す。
無限に薬が溢れ出る魔法の薬箱。不思議な箱。
「アリスもオレと同じになって。オレのことわかって」
「は……?」
「アリスも幸せになろう。オレと。オレと元の世界に戻ってさ、オレのこと誰よりも幸せにしてよ」
目の前の惨状にアリスの思考が揺らぐ。
チェシャ猫が死んだ。
眠りネズミが死んだ。
芋虫が死んだ。
帽子屋も死んだ?
白うさぎも死んだ?
ハートの女王も?
もう、私達だけ?
叩きつけられたパズルのように、バラバラと割れていく思考回路が笑い声を上げる。
「ああ」
笑うことしかできない。
これまで、三月うさぎが友達と呼んできた人々もきっとこんな気持ちだったのだろう。
三月うさぎに手を差し伸べる人はこんな気持ちだったんだ。
わかってしまう。
彼は可哀想なんだ。
彼は可哀想ぶってるわけじゃなくて、本当に可哀想なんだ。
普通になりきれず、被害者にもなりきれず、憧れを自らの手で叶えようとしている。
可哀想だから、彼の言葉を拒否したくない。彼の願いを叶えてあげたい。少しでも彼のためになりたい。
薬箱の中を飲み込むことで、少しでも彼に寄り添えるならそれでいいじゃないか。
アリスは、薬箱の中の錠剤を飲み込んだ。
間も無く、脳内物質が湧き出てくる。
視界が回る。死体にモザイクがかかるように、何もわからなくなる。鼓膜がパイみたいに重なって音が聞こえなくなる。
ああ、これは、違法薬物だ。
ドーパミンで溢れかえって、常識が外れていく。
涎が過剰に出る。笑いが出る。汗が滲む。
噴水にでも飛び込みたい。
噴水のほうへ二人で手を繋いで歩く。
水。
濡れる。
冷たい。
溺れる。
溺れたり、顔をあげたりするのが、楽しくてたまらない。
三月うさぎは、口角を歪にあげていた。
ああ、可哀想に。
飲み過ぎて、薬に耐性ができてるんだ。
そのせいで狂いきれないんだ。
可哀想。
二人っきりになれたんだ。
このまま終わってしまえ。
人生の果てがここでもいいくらい、アリスは幸福感に満ちていた。
そんな時、何かが振りかざされる。
当たらなかった。けれどそこに何かがいた。
「何やってんの、キミたち」
白うさぎだ。
何故生きている?
「女王サマにさ、死ねば帰れるって聞いたけど、ずっと探し回ってたんだよ、ねえ、何してんのかって聞いてんの」
「兄さ」
「兄さんって呼ぶな、もう」
白うさぎは静かに歩み寄り、噴水の中へ、三月うさぎの元へ腕を伸ばす。
そして胸ぐらを掴み、噴水の外へ彼の上半身だけを放り投げた。
「いっ……!?」
噴水の縁、大理石に身体を強打した三月うさぎが狼狽える。そのすぐ近くにまた歩み寄り、彼の身体へ手を添えた。
そしてまさぐり、ポケットから薬箱を奪う。
「か、返して!」
「ずっと、ずっと探し回ってたんだよ」
「兄さ……」
「探してた。これ。薬」
薬箱の取り出し口を口元に向け、天を向く。
錠剤で溺れそうになる程、それが溢れた。
「なんで薬ないのかなーって、ずっと、探してもないんだよ、前に渡された分しかないから、困ってたんだ。あは!よかった!」
「……えっ、あ、え?どうしたの?兄さん、変だよ?ねえ!」
「変なのはお前だ」
薬箱から錠剤が落ちていく。
まるでキャンディが散らばるようにこぼれて、噴水に溶けていく。
「おかしいのが普通。お前だけ普通なんだ。お前が変なんだ!俺は普通に、おかしくない!」
「兄さん!薬……それっやばいよ!?だめだって!!吐いて!吐いてよ!」
「これまで散々仲間になれだのわかってくれるだの薬を勧めてきたのはそっちだよねぇ!?じゃあおかしくないでしょ考えてみりゃわかるよねえ!」
声のトーンが急激に上下して、怖い。身体に浴びる水の冷たさがやけに増しているようにさえ感じる。
「お前さ、ダメだよ死ぬなんてさ。ダメに決まってんだろ?自殺したら元の世界に帰れるんだってさ」
「だからさ」
「自殺じゃなくて他殺ならどーなるわけって!」
白うさぎは懐から針のような細いナイフを取り出し、三月うさぎへ向ける。三月うさぎの胸ぐらを掴み、今にも突き刺そうとした。
「な、なんで……!?」
「お前死んじゃダメだよ、自分で!もう2度と元の世界に帰って来ちゃダメだよ、そう、お前は生きてちゃいけないんだ。お前はさ、酷いやつだよ。だから俺が殺して生き返れないようにしてあげる!優しい兄でよかったよね!」
「痛い、やめて゛!!嫌だ、元に戻ってよ!兄さん!優しくない!おかしいって!!」
「うるさい、うるさい、うるさい、ずっと!もう俺が一人で、双子とか、兄とか!関係なく生きられるようにしてよ、ねえ!?お前のこと可哀想な被害者にしてあげるからさあ!」
ナイフが三月うさぎの顎の裏へ突き立てられる。
「兄さ」
「えっ」
三月うさぎは目を大きく見開いて、兄の背後を見た。
そして、叫ぶ。
「アリス、待って!!」
瞬間、発砲音がする。
白うさぎの身体は噴水の中へ崩れ、静かに項垂れる。
アリスは三月うさぎの麻酔銃を持って、白うさぎへ向けていた。
「あ……あっ、あ……」
いつのまに落としたんだと、自分の失態に感謝しながら三月うさぎは自分が助かったことと兄の痛みを天秤にかけていた。
「アリス、助けてくれてありが」
「三月うさぎ」
アリスの声が冷たい。
この大理石より。水より。空気より。死体より。何よりも冷たい。
怒っている?
否、彼女は静かに笑っていた。
「私がお前を世界一可哀想にしてやる」
「え?」
「もう一度言う。お前を幸せにすると言ったんだ」
アリスは白うさぎのナイフを奪い、それを、三月うさぎへ握らせた。
そうして手を重ねる。
「もう何も考えなくていい。私の言う通りにやればいい」
「は……?な……どういうこと……」
跪くように、倒れ込んだ白うさぎの前へ三月うさぎを座らせる。
「最愛の人に言われ、最愛の兄を手にかけさせられる自分。それってとっても不幸じゃあないか?」
「大丈夫、怖いよな、怖くてたまらない。その感覚を覚えておくといい」
「全てはお前の幸福の糧となるんだ」
「お、おかしい、それは」
「何故だ?」
「それは加害者であって……被害者じゃ……オレは、別に、人を殺したいわけじゃない、し、兄さん……のこと、おれは」
「私はお前の言うこと、全て聞いてやりたいのにお前は聞いてくれないのか?」
アリスは微笑みかける。
「私はお前を愛しているのに」
震えが止まらない。
寒い。
ぼろぼろと、涙が溢れる。
三月うさぎは泣いていた。涎が口から出て止めることができなかった。鼻水が伝っていく感覚が気持ち悪かった。水が滴り落ちて、顔はもうどうなっているかわからなかった。
薬が効かない。
やけに、思考がハッキリしていて。嫌なことを直視させられる。
嫌だ。
「アリス?」
アリスが、変だ。
「アリス」
何か、おかしい。
彼女の開いた瞳孔がこちらをじっと見ている。
毒を飲まされたように身体中から汗が出る。呼吸が浅くなる。
信じていた兄が、そしてアリスが、別人のように見えた。
「三月。大丈夫。お前は今から私のせいで、可哀想なことをさせられるんだ。私が誰よりも深い傷をつけてやる。今までの浅い傷なんかどうだってよくなるような、1番ひどいことをする」
ナイフを握らされる重ねた手が、一層強く触られる。
「三月うさぎ」
「今ここで、兄を殺せ」
ナイフを握らされた時から理解していた。彼女が何を言いたいのか。
でも、理解したくなかった。
今にも吐きそうになる。生まれた時から一緒だった彼のことを想う。物心ついた時にはそばにいて、常に自分の手を引っ張っていってくれたかっこいい兄。自分にはできないことをいとも簡単にする優秀な人。
誰よりも自分に優しくしてくれた
「ほら」
思考が掻き消される。
アリスの声で、思い出が、塗り潰されていく。脳が考えることを拒否してしまう。
自分に1番優しくしてくれたのは
自分を1番愛しているのは
「白うさぎは、お前のことなんて愛してなかったよ」
何も言えない。
さっきの、見てしまった、聞いてしまった、白うさぎの態度は?
白うさぎの、こちらを睨みつける瞳は?
その理由は。
高校に上がってから殆ど会話を交わしてなかった間に、変わり果ててしまった関係性は。
「お前は、私を愛していないのか?」
「……ぁ」
逆らう気にはなれなかった。
どうしてもアリスの言うことは拒否したくなかった。アリスの言うことを聞きたかった。この人に褒められたかった。
この人に不幸にされたかった。
この人を好きになっていた。
だから嫌われたくない。
目の前の兄より、自分を愛してくれるこの人こそ、自分の大切にするべき人なんじゃないか。
歪んでいく。
いつもの自分なら、笑ってしまうだろう。
でも、三月うさぎは笑うこともできなかった。
ざく。
刃が筋を切る。
怖い。足りないかもしれない。怖い。恐怖心が焦燥に変わり、首元に刺さっていたナイフを引き抜かせ、再び身体に何度も沈み込ませた。
血が、噴水の中に広がって、水が赤色に変わっていく。水飛沫は血飛沫となって、命が途切れた。
冷たい水がやけにぬるく感じて、手のひらと脳内が沸騰するように熱い。
最愛の家族を殺させられた自分が可哀想?
こんな人に捕まってしまった自分が可哀想?
自分が、この人をこうしたのではなくて?
こんなに人が死んでるのに?
今、自分は最も加害者なのではないか。
可哀想と最も遠くて、自業自得で、救いようのない馬鹿だったのではないかと。
そう思うのに。
「ああ、本気でやったのか」
アリスの微笑みを見ていると、自分は、こうさせられた被害者なのだと錯覚してしまう。
「可哀想に」
加害者なんか、そんな罪を被せられた自分が誰よりも可哀想だ。
「お、オレも、アリスのこと愛してるよ。大好き」
アリスの撫でる手のひらにさえ体温を感じることができない。身体中が寒くて、震えが止まらない。
「おつかれさまー!」
そんなやけに明るい声がした。
8歳ぐらいの、小さな子供。うさみみの生えた小さなその子は、アリスたちへ喋りかけた。
「"世界から出る条件"の達成おめでとー!」
「最後の二人になったら生き残れる!そうだよねえ、そうなんだよ。やっと二人になったからね、出られるよ!」
「あれ?大丈夫?聞こえてないかな〜……」
「うーちゃんは幻覚だけど、この二人には見えてるはずなんだけどな」
「死んじゃったいとこのこと思い出しても何も言わないなんてひどいなあ三月うさぎさんは!」
「アリスもこんなになっちゃったし、そろそろ起きる時間だよ」
「改めて、おめでとう!」
──────────────
心電図の音。
手に握ったナースコール。思わず押し込めば、看護師の慌ただしい声が聞こえる。
見上げた天井は一面の白で、点滴が垂れ下がっている。
身体中が痛い。
アリスは無数の管に繋がれ病室のベッドに横たわっていた。
「記憶喪失、ですか」
医師はアリスの言葉を元にカルテへ記録をしていく。
医師曰く、やはり学校で飛び降りてから昏睡状態だったらしい。
大した後遺症もなく、無事で済んだのは幸運という他なかった。
しかし骨折があり、しばらくは退院もできそうにない。
三月うさぎのことが気にかかるが、連絡を取れる手段もなくアリスは途方に暮れながら天井を見つめていた。
そんな日々を過ごしていたところ、看護師から声をかけられる。
「面会の方がいらっしゃっています」
「……名前は」
「夢矢佳斗さんという方です」
「すぐに通してください」
病室の扉が静かに開けられる。
そこにはやつれた青年が立っていた。初めて見る現実の姿だが、三月うさぎだとすぐにわかった。
チューリップの花束を持って彼は会釈をし、室内へ恐る恐る入ってくる。
「三月。来てくれたのか」
「うん。オレも入院してたし調べるのに少しかかっちゃったけど……待たせてごめんね……」
「いいよ、それぐらい」
それより会えたことの方が大事だ。むしろ、アリスの方から行ってやりたいくらいだった。
「退院の目処も立ってる、まだ待たせてしまうことにはなるが退院したら改めて話すこともできるだろう」
「そうなんだ!よかった、すぐにでも退院してほしい!」
「困ってることでもあるのか?」
「いや、困ってることはそりゃ……あるけど……」
彼はおずおずとスマートフォンを取り出し、何か操作をしたかと思えば画面を見せてくる。
そこにはニュースが載っていた。若者のオーバードーズについて取り上げている内容で、その話題のきっかけとなったのは一人の青年による行いだった。
配信中に多量の薬物を摂取したところを通報され緊急搬送された青年。ずっと昏睡状態に陥っていたが、つい最近目覚めたということだ。
アリスは三月うさぎ……否、佳斗の顔を見つめる。
彼のことだと悟るのは容易かった。
「すごく、沢山の人に心配されてたみたい。オレが寝てる間にこんな問題になってた!バズってんだ、オレの全部」
「同情する声も沢山きこえてきて……オレさ、こんなに話題になるの初めてだよ。すごい。でもさ、配信に映った薬が特定できなくて……オレも何の薬飲んだのかわかんなくて、それだけわかりたいんだけど」
「佳斗」
「えっ」
本名を呼ばれて思わず仰け反る。しかし、そんな彼にアリスは手を差し伸べた。
「こっちおいで」
「……!」
佳斗はベッドに座るアリスの元へ近づき、撫でられるために顔を寄せた。
頬へ小さなその手が添えられる。
次の瞬間、叩かれた。
「なっ……」
「この程度で幸せそうな顔をするな」
アリスの瞳孔を開いた瞳にたじろぐ。
嫌な記憶が蘇り、全身が濡れたかのような冷たさを錯覚させた。
「佳斗。兄の遺品はそのままにしておくんだ。私が退院したら一緒に整理してやる」
「あ……あ、う、うん」
時刻は面会の終わりを告げた。
彼はチューリップの花束を置いて、気まずそうに病室から出る。
早く退院してあげないといけない。
そのしばらくが経ち、アリスは佳斗の家へ訪れていた。
マンションの一室。そこにある遺品を二人で整理する。
双子の片割れ、兄の方は昏睡状態だったところからそのまま亡くなったらしい。アリス達にとっては察しがつくことだったとはいえ、佳斗は未だ深いショックを受けているようだった。
「兄さんさ、大人になったらいい会社に入るため……めっちゃ勉強頑張ってたんだよ」
佳斗は勉強机を片付けながら呟く。
努力の証である幾つものノートも、全て無意味になる。
「結局大人にさえなれなくて……ほんと……あんなに頑張ってた意味が……」
「その努力を奪ったのは私たちだ。お前だ」
佳斗も理解している。理解しているからこそ、言葉に出してガムを咀嚼するように味わっていた。
「お前は、あいつの人生を知っている。その上で殺させられたんだ」
「うん」
片付ける佳斗を後ろから抱きしめたアリスは、彼の頭を撫でながら囁いた。
「兄も親友もいなくなった代わりに、私がお前の大切な人になってやる。言っただろう、幸せにすると」
「だから、まだ終わりじゃない」
「まだ幸せになれるぞ、佳斗。私がいる限り、まだ、ずっと、終わりが来ることに怯えられる」
「……ねえ、アリス」
佳斗は、彼女の瞳を見ることも叶わないまま震える口で問いかけた。
「本当に……昔の記憶、ない……んだよね……?いまも……」
「……いや、なんでも、ないよ……」
夢矢佳斗はあの日から本物のトラウマを抱えていた。
水の冷たさ、包丁を握ること、アリスの瞳。
その全てが恐怖の対象だった。
トラウマなど捏造しなくても、今は虚像でもなんでもない不幸を手にすることができた。
怖い。
薬より強烈に溢れる脳内物質が。
彼女が触れるたびに溢れ出す幸福感が。
幸福に近づくための階段を一歩ずつ上に上がってゆく。
辿り着いた先にはきっとアリスがいて。
いずれ、自分を突き落とす。
わかっていた。自分の依存先は薬からアリスへ移ってしまった。そしてきっと、アリスが手を離してきた時が最も不幸になる。
アリス自身もそれを理解していて、いつ利用してくるかわからない。
恐怖に支配され、人権も何も、アリスに握られる。
アリスはアリスで、他の交友関係をシャットアウトした。
栄、といったあの子ともどうなったのかは三月うさぎにはわからない。
ただ、二人っきりの幸せがここにある。
アリスがおかしくなったことも全部自分のせいだ。
今が幸せでも、間違いなく加害者であるどうしようもない佳斗が、天国に行けるわけもないのだ。
佳斗は自傷気味に笑った。
「オレって、可哀想」
アリスインヘブン 三月うさぎ√ END




