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三月うさぎ√第2話「困ったうさぎ」

放課後、栄は目立たない私服に着替え中学校の前にいた。

中学校というのは、自分の通うものではない。アリスから聞いた近くにある町の別の中学校だ。


「三月うさぎのことを調べて欲しい」


アリスがそういったものの、どう調べればいいのか。

通っていた中学校と夢矢佳斗という本名だけが手がかりだった。


「どう調べたらいいの……!?」

無計画に出向いてしまったばかりに、途方に暮れる。栄はやる気に満ち溢れていたが、探偵ではなかった。それこそ本物の探偵を雇って調べてもらうこともできたが、時間がかかるのは目に見えているためそれは最終手段だった。

近くのベンチに落ちていた葉っぱを手で払い、腰掛け、スマートフォンを取り出す。

試しにSNSで名前を検索してみる。とはいえ、本名でヒットするだろうか。望みは薄い。

普段使うことのないSNSまでダウンロードし、登録してみる。栄は連絡に使うコミュニケーションツールくらいしか使わないタイプだったため、不慣れな操作を続ける。


一つ目、ヒットしない。

二つ目……ヒットしない。

だが、三つ目のアプリでとあるアカウントがヒットした。


「本名で登録してる……」


アイコンも三月うさぎによく似た男子だった。

明るい茶髪に、可愛げのある表情。顔立ちも平均と比べ、男性アイドルに疎い栄でも芸能人を想像させるようだった。老若男女に好かれやすそうな容姿、というのが総合的な感想だ。

制服の下にはパーカーを着ているが、制服は目の前の中学と同一のものであることから、インターネットを通じて身元がバレることを考えている様子はなかった。


更新履歴は約2年前……中学卒業ぐらいだろう。その頃で止まっている。

それ以前の発言はどれも今ドキの元気な男の子のものだ。上がっている写真は野良猫とのツーショットや、有名カフェチェーン店の新作など、当たり障りのない写真。

「わ、これ可愛い……」

どれも写りに気をつけている加工もされた写真で、調査を忘れて遡りそうになった。


発言に気をつけて見てみれば、よくやり取りしているアカウントがあった。同じ中学に通っているのか、学校内での話などをしている。

本人から出る情報はこれ以上無さそうなことからも、そのアカウントへの調査へ移行する。

最近は更新がないが、いたって普通に日常生活のことを呟いているようだった。だが少し愚痴が多く、通ってる学校の治安について文句を連ねていたりするのが見え、栄は思わずスクロールし視界から消した。


また、こちらにも多くやり取りしてるアカウントがあるのを見つける。

「けど三月さんには関係ない……かな……」

Keitoと書いて毛糸の絵文字を使ったアカウント名。

「……」

この世にはアカウントを何故か二つ持っていたりする人がいるらしい、と栄は記憶していた。自分の友達にも確かにいるからだ。

Keitoのアカウントを覗いてみる。アイコンはぼけているがラムネのようなもので、友人だけが見られる設定というわけでもなく栄も見ることができた。

内容は、単刀直入に言えば愚痴ばかりだった。

自虐と愚痴、日常の不幸を書き綴っている。


『担当医師、やけになってる?薬めちゃくちゃ出してくれた 草』

『近くのドラッグストアだと全然買えないし遠出する。ハシゴ』

『自分も親があんなじゃなきゃ今頃普通に学校通えてたのに』

栄は少し後ろめたさを感じつつ、目の前の手がかりを放っておくわけにもいかずそれらの呟きを記録した。

『俺怪しいことに巻き込まれてる?でももういっか、どうでも』

『俺に居場所なんてないんだし』

そんな言葉が最後だった。それから更新が止まっている。

念の為写真も見てみようと指を滑らした瞬間、栄は驚いてスマホを落としてしまう。

映るのは自傷した後の腕、大量の薬……栄はどうもこの手の話が苦手だ。芝に落ちたスマホを拾い上げ、すぐにアプリを閉じる。


「こ、これ以上は無理かも……」


心の中でアリスへごめんなさいと謝りながら、スマートフォンをしまう。

「大丈夫ですか?」

具合が悪そうに見えたのか、栄は声をかけられる。男子中学生だ。

「あっ……!大丈夫です!ごめんなさい!」

「それならいいんですけど……さっきから何してたんですか?」

いつから見られていたのだろう。羞恥より、この挙動不審な姿を疑われたかという不安の方が勝る。

「ええと……この中学校の卒業生でちょっと……詳しく知りたい人がいて……夢矢佳斗さんっていうんですけど……」

「夢矢佳斗?」

男子生徒はああ、と心当たりがあるように顎へ手を当てた。

「その人なら兄貴の友達ですよ」

「え!?」

「その人に何か用が?」

栄は思わず立ち上がり男子生徒の顔を見る。しかしパッとしない、見覚えのない顔だった。

「兄貴の口からよく出てきます。心配だとかなんとか……」

「ど、どういうひとかわかりますか?」

「放っておけない人だってよく聞くし、病気……なのかな?病人を扱うような態度を兄貴がよくしてます。可哀想だって」

「可哀想……」

先程見たアカウントを思い出す。確かに、可哀想だ。

「今は不登校らしくて、兄貴が看病するための薬とか持って行ったりしてる。頻繁に話に出てくるくらい仲良いみたいなんですけど……」

「なんか、家庭環境ヤバかったらしくて。警察周辺で保護されたこともあるとか、強烈なエピソード聞かされるんで会ったことないけど諸々覚えてます」

「そ、そうなんですか……最近はどうしてる、とか」

「それが」


彼は少し躊躇うように言う。

きっと今は昏睡状態、もしくは死んでいるはずだ。そのことを話されると栄は覚悟した。

しかし、彼は続ける。


「わからないんです」

「えっ?」

「ここまで話したので、逆にこちらからも聞きたいことがあるんですけど、いいですか」

「は、はい」


「兄貴の行方、知りませんか」


「え……」

「夢矢さんのこと調べてるって言うなら、むしろ兄貴のこと知っててもおかしくないかなって」

「待って、行方ってどういうこと……ですか!?」

「行方不明なんです」


目の前の人物が、聞き込み先の一般人、モブ、そんな言葉から徐々に輪郭を変えていく。

「佐々樹悠真。2ヶ月前から、突然姿を消しました」

彼はスマートフォンを取り出し、写真を見せてくる。

長い黒髪で目元は隠れているが、出ている部分の皮膚は荒れてそばかすがある。パッとしない容姿で記憶には残りづらい。

しかし、栄は一人心当たりがあった。

帽子屋。彼と雰囲気が良く似ている。不思議の国で殆ど絡みもなければ姿を遠目に見たことがある程度だ。だが、不思議の国で見かけたものと大した差もなく、目元という重要なパーツが見えないにも関わらず同一人物の線を追うことができた。


「……知らないなら、すみません」

「……こ、こちらこそ、お役に立てなくてごめんなさい。で、でも……あの!連絡先交換しませんか!?私、このこと調べてて、わかったことがあったら教えたくて……!」

「では、お願いします」

連絡先を交換する。栄の心拍数は人知れず高まっていた。

「それとこのあたり、何かと物騒なので暗くなる前に帰った方がいいですよ」

「あ、あはは……!そうですよね!教えてくれてありがとうございました!では……!」

栄は空回りするような笑いを浮かべながら荷物を持ち、即座に立ち上がった。首を傾げる彼へお辞儀をしながら、栄はアリスへ報告すべきことを忘れないよう脳内でメモを書き綴り、素早く挨拶を済ますとその場から立ち去る。

無計画に学校の前に居座るのも、これ以上は通報されかねない。

今得た情報をアリスへ渡さなければ、ただそんな使命感を胸に栄は少し冷える夕方の町を抜けて行った。


────────

▼アリス視点


握っていた手が離れ、隣の三月うさぎは尻餅をつき、身体を大きく後ろへ退けた。

瞼を最大限に大きく開き、眉の形はすでに歪み切っている。涎がでるどころか喉の奥へ飲み込んで、口が酷く乾いたように感じた。

「あ、あっ……!あああ!!」

途切れ途切れの叫び声は目の前の惨状へ向けられている。


何が起きた。

そうだ。


目の前で人が死んでいるんだ。


アリスは呆然と立ちすくんでいた。

何故ならその前にぶらりと吊り下げられた見知った顔があるから。マフラーで括り付けられた首が絞まり、ピクリとも動かない。

チェシャ猫はアリスが来たと言うのに挨拶や煽るような一言もない。


「チェシャ猫、な、なんで、おい!!」

思考がやっと追いついて、咄嗟に彼をおろさないといけないと思った。届く距離にいた彼の下半身を掴み持ち上げようとする。

その重みが、彼のしていることが冗談などではないという証になっていた。

このままいっそ、頓珍漢なブラックジョークのように首が落ちて元の位置に戻ったりだなんてしてくれたらよかったのに、首は繋がったままでギチリと苦しげな音を立てるばかりだった。


「誰か、誰か!!」

三月うさぎが叫び人を呼ぶが誰も来ない。

「おい!手伝え!」

「わ、かった!」

彼もパニックに陥っていたが、指示を受けてやっと動けた。チェシャ猫の身体を持ち上げ、その内にアリスがハサミでマフラーを切り落とす。重力に従ってそのまま三月うさぎへ身体を預けるチェシャ猫だったが、その身体は既に冷えている。

「な、な……これ、なに……え?夢……なにこれ……」

三月うさぎは遺体を床へ寝かせると余った両腕で頭を抱え込んだ。

「夢、夢だよね、アリス?これ……だっ、だって、この世界でこんなこと起きるはずないんじゃ……?だって幸せな不思議の国で……」

「落ち着け、落ち着いて、大丈夫」

錯乱する彼を宥めるように背中をさする。

確かに、何故こんなことになったのかまるでわからない。心臓は張り裂けそうなほど鳴っている。だが自分までこれ以上動揺を見せれば三月うさぎがどのようになってしまうか想像は容易かった。

「とにかく、他の人を呼ばないと……私、呼んでくる」

「待って!行かないで!オレも行くから!」

縋るように勢い任せに服を掴む。少しの痛みと驚きにアリスは顔を顰めたが、合意するように頷く。


急いで門を開け、外へ飛び出す。誰かいないかと大声をかけながら走れば、ハートの女王がいた。

「あ、アリス……」

「女王!!緊急事態だ!みんなを呼んでくれ!人が!チェシャ猫が!死んでる!!」

それを聞いた彼は大声に少し驚くような様子も見せつつ、すぐに頷いた。

「わ、わかりました……。僕は国中に収集をかけられるから、やってみます」

そう言うと彼は手を伸ばし、その指先に蝶を止まらせた。それはたちまちに身体が分裂し、何匹もの蝶へと変わった。

「城に集まるように伝えてください」

言葉を聞いた蝶はパタパタと飛んでゆくと、それぞれの元へ向かっていく。

「あとはみんなが来るのを待ちましょう」

「随分と落ち着いているんだな……」

「あ、はい……実は……」

こういう時こそパニックを起こすのはハートの女王だと思っていたが、評価を改めた方がよさそうだった。


しばらくして、城へ複数人が集まっていた。

倒れたチェシャ猫の前にはひとり、ふたりと、国中の住人が立っている。


「本当に亡くなっていますね……」

そう呟くのはハートの女王。


「……何があったわけ?」

少し口元を抑え、顔をしかめているのは白うさぎ。


「ええと……状況がわからないんスけど……」

困ったように周りの顔を見て、三月うさぎの背中をさすっているのは帽子屋。


「まさか、こんなことが……」

信じられないものを見るように顔色を悪くしているのは芋虫だ。


「わからない。私と三月うさぎが見つけた時には首を吊っていた」

「じゃあ自殺ってこと?」

白うさぎの問いかけに頷けば、周りは互いの顔を見てそれぞれに何かを考えていた。


「あの……部屋の端に、紙が落ちてました」

そう言って紙切れを持つのはハートの女王だ。さっき見た時には気が付かなかった。

彼は手元を下げ、紙の内容をみんなに見えるようにした。

その内容を見てアリスはまた少し目を丸くする。


『この世界から出る方法がわかった』


それだけだった。

だけどその大きな進展、その先の言葉は無く、その方法自体はわからないままに残されてしまった。

誰もが疑問を持っていたが、誰もが黙っていた。

彼は何に気がついたのか。気がついたから死んだのか?不安は疑惑に変わる。


「三月さんはこれ、どう思います?」

「えっ?ええ……」

唐突にハートの女王から問いかけられる。考えながら喋っているせいで言葉に詰まった。

「わ、わからない……ごめん、ずっとオレ、頭ごちゃごちゃしてて……だって、死体……死体が。ショックで全然考えられない……」

「……しんどい時にこんなこと聞いちゃってすみません。みなさんはどう思います?」

ハートの女王が周りを見る。それぞれが考え込むように正解を探していた。


そんな時、チュウと小さな鳴き声が聞こえた。

振り返れば床にネズミがいた。ネズミは声を発する。

「こんにちは〜眠りネズミだよ〜。収集があったからネズミを派遣してしゃべらせてもらってるけど……」

「死んじゃったんだね〜」

相変わらずぼんやりとした話し方で、ネズミは遺体へ寄る。小さな前脚はチェシャ猫の口元へ添えられた。

「ごめん誰か彼の口を開けてくれる〜?」

「わ、わかりました。なら、僕やります……」

ハートの女王が遺体の口を開けさせる。口内へ侵入したネズミは汚れることも気にせず調べているようだった。

「中毒症状が出ているけど、薬でも飲んだのかな?それに首を吊るにしてはやけに本能的な反応がない。普通もっと首に掻き傷が残ったりするものだよ〜」

「……つまり?」

「薬を飲んで意識がふわふわ〜っとした状態で死んだのかも?」


その言葉で、一斉に視線が1人の人物へ注がれる。アリスもそちらを振り返ってしまった。

「え、お、オレ?ちが……」

視線を浴びた三月うさぎは自身を指さして動揺するように身体をふらつかせていた。


「そっスよね!三月は関係ない!」

と帽子屋が咄嗟に庇うが、眠りネズミは話を続けた。

「あくまで薬に関しては可能性のはなしだよ〜ぼくは現場を見たわけでもないし〜」

「ねえ、一応聞くんだけど……これ本当に自殺なの?他殺なんじゃないの」

次はそう静かに切り出す白うさぎに視線が移る。

「わかんないよ〜。警戒したいならそれもいいんじゃないかな〜」

「そう……」

空気が張り詰めていく。アリスは居ても立っても居られず口を割り込ませた。

「あの……私から説明するとだな。朝、私と三月は一緒にいたんだ。それから城へ来たら門や窓が全て閉まっていて……無理に侵入したらこうなっていたんだ。だから」

「三月うさぎは関係してないってこと?でも薬を持っているのは彼だけ……」

白うさぎの声にかぶさるように甲高い大声が上げられた。

咄嗟に耳を抑えそちらを見る。声の主である三月うさぎは顔色を青くし、酷く汗をかき、ポケットから溢れるような錠剤をこぼしながら手の内に抱えた薬を飲み込む。そしてまた声を荒げる。


「な……なんでオレのこと見るの……?!オレ何も関係してないよ……!!ただでさえオレは、チェシャ猫のあんな姿を見て……本当にずっと、頭から離れないのに……!!」

「待て!落ち着いて話を……」

「みんなオレのこと嫌いなの!?もういいよみんなで話し合って!!オレもうこの場にいたくないから!!」


三月うさぎはバラバラと薬を床へ落としながら素早く走り去ってしまう。誰よりも足が速いものだから捕まえることもできず、静止する声も届かなかった。


「逃げた!!逃げたよあいつ!!」


思わず帽子屋も声を上げる。ため息をつく兄の姿もオロオロとしているハートの女王を宥める芋虫の姿も、混沌に陥りつつあった。

「私追いかけてくる!!」

アリスは咄嗟に飛び出す。今度は誰に止められることもなく、走ってゆく。

どこに向かったのかわからない……かと思えば、道中にヘンゼルとグレーテルのごとく薬が散らばっているものだからご丁寧にわかりやすかった。素直に薬が落ちている方へ走っていけば、噴水のある広場へ辿り着く。

噴水の周りは相変わらず無数の花が咲きのどかで心落ち着く場所だった。が、異変がある。


噴水に三月うさぎが飛び込んでいる。

「うわああ!?」

アリスが思わずその身体を引き上げた。


「あ、アリス。アリス。どうしよう、オレ疑われちゃってる……ねえ、どうしよう……」

三月うさぎは負けじとアリスの身体を強く引く。そのせいで重心が崩れ、アリスは噴水の中へ身体を沈めてしまった。水飛沫が上がり、上から降り続けてくる水が顔にかかってうまく喋れない。

「だからすぐに戻れ!大人しくしていれば疑惑も晴れるはずだから!」

「でもでもでもさ薬、なんで薬飲んでんの!?あ……でも、そうだ、思い出した、そう!いま思い出した!!」

「何をだ!?」

「チェシャ猫、オレに薬ちょうだいって言ってきた!薬がいいってわかってくれるの嬉しくて渡したんだ!だからそれを飲んだんだ!」

「なんでそれを先に言わなかった!?本気で忘れてたのか!?」

「忘れてた!どうしよう!!」

互いに軽くパニック状態だった。彼の言っていることがどうも信じ難いのもアリスの方だった。記憶が曖昧になることや後から思い出すことは、記憶喪失であるアリスから強くは言えないことである。

「なら早く言おう!それを伝えるぞ!ああもう私が言ってくるから!!」

「待って!!」

噴水から身体を引き上げようとするアリスの身体を伸ばされた手が掴み、再び水の中へ落とす。ばしゃんと一際大きな飛沫があがった。

水の音が近くてうるさいのに、それを気にも留めないような大きな声がもっと近くで聞こえる。


「アリス、オレと協力して!」

「……協力?」

「オレと友達のままでいて、お願い、アリスはオレのことわかってくれるよね?協力して、オレが悪くないって言って!」

「わかった、わかったから落ち着け!」

三月うさぎはアリスの両手を握る。アリスはというと、噴水の囲いに頭が押しつけられる形になり首が少し痛い。

三月うさぎの髪から滴る水滴がアリスにぼたぼたと落ちていく。

「アリス、オレもっとアリスと仲良くなりたいんだよ。オレ、アリスとは分かり合える気がするんだ!」

「それはどうして……」

「アリスはオレのこと嫌いじゃない!そうでしょ!?わかるんだ!だからもっと友達になれる!親友とか、きっとそうなれる!」

手が強く、痛いほどに握られる。彼は微かに震えていた。

その瞳は揺らめきつつもアリスを捉えている。

疑われ、孤独を感じつつある彼は助けを求めるようにアリスに縋り付いていた。


「ねえお願い。オレはアリスのこと大事なんだ」

張り上げられていた声は、噴水の音に掻き消されるほどのか細く弱々しいものへ姿を変えていく。否、誰もが視線を向けるような元気で無邪気な三月うさぎ、というのは彼の努力で身につけた仮面のようであり、今、アリスはその仮面の下の瞳と目を合わせたような気持ちだった。


「だからアリスだけはオレのこと大事なままでいて……?」

「三月……」


確かに、三月うさぎの言葉はどこまでも跳び回る忙しない小動物のようで、捕えるのは難しい気がした。

けれどアリスは、一度は彼を信じてみようと思った。

「わかった。協力する。友達でいよう」

そう答えれば彼は分かりやすく表情を明るくした。

「アリス!ありがとう!!ありがとう!」

「だから一旦噴水から出よう!!」

「ゴメン!!」

手を離されたアリスは起き上がり噴水から身体を引き摺り出す。髪から服まで全てが濡れきってしまって重く感じる。このまま城へ戻れば何事かと思われるだろう。

三月うさぎも同じくびしょびしょに全身が濡れていたが、服の裾を絞っているときに何かに気づいた。

「やばい!薬めっちゃ溶けてる!」

「それはそうだろう」

ポケットをつまむ。中にドロドロに溶けた薬がある。

だが薬箱は水が入らずに済んだようで、それを自信満々に取り出した。

「はいアリス!アリスもあげる!手ぇだして!」

「は、はあ……」

言われた通りに両手を差し出せば手のひらの上に、まるでキャンディーでも転がすように薬がいくつか取り出された。

「コレ!プレゼント!アリスも飲むといいよ!」

「あのな、薬はな……私にはいらない。私は病人ではないし……」

「ううん!必要だよ!絶対飲んだ方がいいんだ!」

何を言っても聞かなそうだ。そう思わせたのはあまりにも真っ直ぐで澄んだ瞳のせいだ。

「ああ、もう、わかったよ。受け取っておく。ありがとう」


彼は無邪気に笑って、目を細めた。

「うん。うん!アリスはオレの友達だから!」


2人で城へ戻れば、既にみんなは解散した後だった。

残っていたハートの女王はこちらを見て眉間に皺を寄せ驚いた顔をした。

「え!?おかえりなさ……なんでそんなびしょ濡れなんですか!?」

「色々あった。水遊びだ」

「そ、それならいい……のでしょうか……?」

何か言いたげではあるが踏み込むことをやめたハートの女王は浴場の方を指しておどおどとした。

「でも寒くなっちゃいますし……あの、一旦お風呂……」

「ああ、ありがとう」

そこで三月うさぎとも別れ、ハートの女王とも別れる。といったところで声をかける。

「そういえば、チェシャ猫は三月うさぎから薬を直接もらったらしい。改めて三月のことは弁明させてくれ」

「そうなんだ……」

ハートの女王は静かにそれを聞いて、頷いた。

そしてアリスはシャワーを浴び服を着替え、広間の方へやってきた。


「アリスちゃん!」

明るい声をかけられる。その主は栄だった。そろそろ夜だというのに、この時間に来たのか。現実では何時なのだろう。

「栄……」

「あれ、どうかしたの……?少し疲れてない……?」

その様子を見る限り、まだ事件のことは聞いていないようだった。

「それが、……」

栄にこれ以上心配をかけていいのだろうか。きっと死者が出たと言えば彼女は果てしない心労を感じるだろう。言うにしてももっと言葉を選び、落ち着いて話した方がいいのではないだろうか。

そこまで考えて、アリスは一度この話をしないことにした。

「いや、大丈夫だ。それよりそっちでは何かあったか?」

「あ!こっちはね……三月うさぎさんについて少し調べられたよ!わかったのは……うーんと、プライベートなことかもしれないんだけど……」

彼女は少し戸惑いつつも口にした。

「三月うさぎさん、家庭環境は悪かったみたいで……警察に保護されたこととかもあったみたい……SNSのアカウントも見たんだけど、すごく荒れてて」

「……ごめんね、あんまりよく見れなかったんだけど、その……自傷、とか。そういうことしてたみたい」

「アイツが自傷……か」

「うん。それと、高校に上がってからは学校に行ってない。何でかまではわからなかったけど……」

「そうか……」

「うん。あと、最後に確認できたのは薬の飲み過ぎ……?そこから痕跡がない……」

「……それで今に至るのか」

「多分、そういう……薬飲んで、ここにきたんじゃ」

言いづらそうに栄は俯いた。

「なんだか、聞いててすごく……可哀想だった。どうにかなるといいんだけど……」

「どうにかって、元の世界にもどれるように?」

「え?うん……」


元の世界に戻る方法。

その言葉がよぎる。頭の中を回る。チェシャ猫から直接言われたかのように言葉が反芻する。

「そうだな、元に戻してやりたい。本人は望んでいないようだったが、それも説得すれば変わるかもしれないし」

「うん!アリスちゃんなら大丈夫だよ!」

栄は欠伸をし、眠たげにする。

「あれ?……もう、眠くなってきちゃった」

「随分と早いな」

「なん、でだろ……まだ、話してないこと……」

彼女はあっという間に意識を失った。アリスはいつも通り彼女を運び、夜を迎える。

あとは夜ご飯を食べて眠るだけだ。

しかしどうも落ち着かない。事件のことが胸に渦巻いている。

三月うさぎの顔が浮かぶ。

彼についてもっと知ることができたなら、もっと信じられるだろうか。


「家庭環境……」

家庭環境、といえば。三月うさぎに聞くのは勿論だが、同じ家に住む白うさぎに聞くのもどうだろうか。

親に問題があったのなら、同時に白うさぎもそういうことになる。


青い月が浮かび、靄のような雲に覆われている。

夜の散歩がてらアリスは道を歩く。城の外はやけに静かで、事件が起きてからずっと鳥や動物の声もしないように感じた。

ついさっきのように感じる、三月うさぎとの噴水でのやり取り。

それを思い出しながら、広場までやってくると噴水に腰掛けている人物がいた。

白うさぎだ。

疲れ切って項垂れているようにも見えた。しかしアリスの気配を感じればすぐに姿勢を整え、微笑みかけた。

「こんばんは」

月の光が綺麗な瞳を際立たせる。

太陽が三月うさぎに似合うとしたら、白うさぎは月の似合う人物だと感じさせた。双子でもこうも違うものか。

「ああ、こんばんは。少し話いいか」

「どうぞ」

「三月うさぎのことを深く知ろうとしているのは認知していると思うが、家庭環境について詳しく聞くことはできるか」

「……あー、栄ちゃん使って調べに行ったんだ」

彼は薄く笑う。

「同情した?」

「……まあ」

「するよね。普通」

含みのある言い方に少しアリスが引っかかれば、それに答えるように彼は話を続けた。

「彼に同情なんてしないほうがいいよ。僕たち兄弟から距離を離してもらうためにあえて調べてもらったんだ」

「……?どういうことだ」

「可哀想って思ったでしょう。思えば思うほど、彼とは関係を離した方がいい根拠になるよ」


「同情するように仕向けてるのは全て彼自身だから」

「……は?」


思わず動揺を口にすれば、罠にかかった獲物を見るように彼は笑った。

「ね。びっくりしちゃうよね。帽子屋くんなんてまんまと引っかかっているけれど、アリスまでそうならないようにちゃんと教えてあげないと」

「……説明してくれ」

「家庭環境が悪いって聞いた?それは大したことじゃないものを三月うさぎが大袈裟に話を盛って通報したんだよ。そうするとどうなると思う?大人達は僕たちを保護する。僕より彼の被害報告を信じてね」

「勿論そのしばらく後に帰ることはできたよ?でも虐待親の目で見られ続けたお母さんはそれで心を病んだし、家の周りには噂が広がった。僕の学校での友達からの目も変わった」

「得をしたのは彼だけ」

「彼はただ、自分が可哀想であることに固執してるんだよ」

「……な、なんで……」

「さあね?わからないよメンヘラの考えは。双子でも理解できないね」

三月うさぎはアリスに向き直るようにして、問いかけた。

「アリスはあいつの言うこと信じるの?」

「それは」

「虚言癖だよあいつは」

否定できる材料はなかった。むしろ、あのような振る舞いをする人間を信じる方が肩入れしすぎている。客観的にそう思わざるを得ない。

「自分に都合がいいように、話をどこまでも曲げる。無自覚にそうやっちゃうのが怖いところ。常に被害者でいられるように必死で、倫理的に間違ったことでも平気でする」

「待て、待て、言い過ぎだ」

「事実だよ!」

白うさぎは思わず声をあげかけるが、すぐにごめんと小さく謝った。

「とにかく、僕は……あいつのこと信じきれないよ。今回の事件もそう、彼が殺したんじゃないの」

「そこまで疑っているのか」

「普通なら殺す理由ないよ。でもあいつならやるかもしれない。あいつの理由はいつだって読めない」

「でも私は彼を信じたいんだ」

「盲目だね。僕には彼が嘘を言っているようにしか見えない。仮に君たちが手を組んだりしても僕は手伝えないよ」

見透かしたかのような態度にアリスは言葉を詰まらせる。白うさぎが協力してくれたなら頼りになると思っていたが、上手くはいかないようだった。

「どうせ薬のお裾分けもされてるでしょ?」

「!?なんでそれを……」

「あは、やっぱり」

行動が読めないと言っているが、やはりわかっているんじゃないのか。そう言う前に彼は饒舌に喋り続けた。

「彼が薬を渡すのは仲間になって欲しい証拠だよ。飲んだらもう戻れないね。薬なんて自分と同等に落ちぶれて欲しい相手にしか渡さないんだ」

「なんで、お前は弟をそこまで言うんだ?」

ずっと黙っていた。だけど疑問と、止めたい気持ちが溢れ出た。そう問い掛ければ彼は眉をピクリと動かす。

「逆に聞くけど、言わないと思う?」

「……家族だろ」

「家族を大事なものだと思ってる人?わかった、キミって介護とかしたことないでしょ。あ、ごめんされる側だった?」

「そういう話をしてるんじゃ」

「そういう話をしてるんだよ?」

何か言おうとすればすぐに言葉が返ってくる。

「自分に都合がいいことしか言わない。大したことない人生をドラマチックに着飾っている。うちは大変な家庭でもなかったのにあいつの証言で崩壊した!その被害は僕が被った!知らない人が口出ししないでほしいね!」

「なあ、悪かった!悪かったからお前も落ち着け!」

「信じれば信じるほどきっと裏切られる!落ち着くべきはアリスのほうだよ!」

白うさぎの肩を掴む。

「今のはお前なりの忠告なんだろうけど、でも私は見たものを信じる……あいつを信じられるかどうかはこれから決める」

「キミって……」

白うさぎは再びアリスへ言葉を投げかけようとした。

その時、突然白うさぎが膝からその場に崩れ落ちた。


「……え?」

「は?」

白うさぎとアリスの、2人分の困惑が交差する。

チカチカと、何度も瞬きをする白うさぎは腕だけで上半身をどうにか支えていたがすぐに伏せてしまった。

「お、おい!どうしたんだ!?白うさぎ!」

アリスは咄嗟に屈んで白うさぎの身体を支える。その顔を見てまた眉間に皺を寄せた。

焦点が定まっていない。瞳がぼやけ、彼の意識が朦朧としているようだった。

誰かに診てもらわないと。誰かを呼んでこないと。

そう思った瞬間、破裂音のようなものと共に脇腹に痛みを感じた。

痛い。それと同時に、思考が回らなくなる。頭の動きが鈍くなっていき、このまま止まってしまうのではないかと思うほどなのに目の前の危険に対処することができない。

苦しい。

白うさぎを支えているつもりが、自身もまた彼へもたれかかるように身体を崩してしまう。

全身の筋肉に力が入らない。眠たい。

2人して地に倒れていると、やけに明るい声がした。

「二人とも!おーい、こっちだよ!」

三月うさぎだ。

彼はこの状況を見てもやけに明るくテンションが高いままに走り寄ってくる。

その手には拳銃を持っていた。




「あっ大丈夫だよ、これはただの麻酔銃だからね。見た目は普通の銃みたいだけど!」

「な、なん……お前……何やってんだ……三月うさぎ……」

必死に意識を繋ぎ止めて喋る。何か言わなければ、このまま黙っていればすぐにでも眠ってしまいそうだった。

三月うさぎの後ろには帽子屋がいて、バットを手にしている。それもまた助けてくれるような態度ではなかった。

「上手く行った?ッスね、なんか具合悪そうスけど……」

「上手く行ったよ!大丈夫!でも確かに二人とも苦しそう」

もしや本当に三月うさぎがあの子を殺したのか?

だとすれば自分たちは彼に殺されかけているのではないか。同じことを考えているのか、白うさぎは身体を必死に起こそうとしているが、身体の重みにまるで敵わなかった。

「アリスはオレの友達のまま、協力してくれるっていった!ずっと一緒、仲間なんだ仲間!フレンズ!兄さんも一緒!兄さんはオレの味方で、アリスもオレの味方!大事な大事な人!」

「じゃあなんで!」

「被害者にしてあげる!」


信じられないその台詞を平気で言いあげて、彼は歩み寄り、アリスの元へ屈んだ。

「オレが二人を可哀想な被害者にするんだよー!これでオレたち殺人鬼とかー?に襲われましたって言えばもう疑われない!オレたちみんな可哀想なんだ!」

「は?」

「オレ、アリスや兄さんのこと大好き!だからちゃんと、オレと同じになって欲しい!」

三月うさぎは片手でアリスの頬を掴み上げ、口内に親指を押し込む。身体に力が入らず、噛むことさえできない。

彼はポケットから薬を取り出し、アリスの口元へと近づけた。

「これ!オレと同じ薬、あげる。そうしたら全員幸せになれるんだ!」

「やめ……」

口内に無理やり薬を入れられる。吐き出すこともできず、そのまま押し込まれ反射で飲み込んでしまう。すぐにでも咳き込みたいのに、身体が言うことを聞かない。

彼の後ろで帽子屋は三月うさぎに対し同様に薬を飲まされていた。

意識が、混濁する。

その遠ざかる感覚が、心地良くもあった。

だめだ。

そう思えど歯止めが効かず、アリスは意識を失った。

意識を失う寸前に見たのは、横たわる白うさぎの瞳だった。

こちらへ、ほらねとでも問いかけるような眼差し。


「あいつを信じられるかどうかはこれから決める」

そう言ったはずなのに、どうしてそんなことをしてしまうんだ。彼は。


彼はどうして笑っているんだ。

彼のことを知りたいという感情は、本来ここで切り捨てるべきだった。


だけど、一瞬垣間見えた三月うさぎの本質が、助けを求める幼い子供のような感情が胸に焼き付いて離れない。

置いて行こうとしても、背の布を引っ張られるような感覚。

関わることが危険だとわかっているのに、どうしても助けてしまいたくなる。


まだ、彼を手離す事はできない。

触れ始めたばかりだ。三月うさぎのことも、この事件のことも。

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