第七話 野営の飯
春。
候補生たちは王都郊外で野戦訓練へ投入された。
五日間。
野営、行軍、模擬戦。
出発前、教官が告げた。
「五日分の携行食を渡す。調理道具は各自で手配しろ。現地調達も可とする」
貴族候補生たちは顔を見合わせた。
「調理? 従卒はいないのか」
「現地調達とは?」
「狩りでもしろということか?」
ざわめきが広がる。
レインは黙って携行袋を開けた。
乾燥肉。
硬パン。
干し豆。
北方なら“まともな方”の食事だった。
隣でダンが袋を覗き込み、肩を竦めた。
「乾燥肉と豆か。まあ何とかなるな」
「料理できるのか」
「鍛冶屋は火の扱いが得意だ」とダンは言った。「あと、親父の飯が不味かったから自分で覚えた」
——
一日目の行軍は、想像以上に貴族班を削った。
重すぎる荷物。
無駄な装備。
歩幅の合わない隊列。
二時間歩いただけで、息を切らす者が出始める。
「休憩まだか……」
「水が足りない……」
愚痴が漏れる。
一方、レインたちの班は違った。
「荷物の積み方担ぎ方は工夫しろ」
「水は今のうちに半分飲め」
「靴の中の石を出しておけ。後で地獄を見る」
自然に指示が飛ぶ。
ダンが少し笑った。
「お前、完全に慣れてるな」
「見てきたから」
北方では、行軍中に倒れた兵士は置いていかれる。
それだけの話だった。
——
夜営地へ到着すると、多くの候補生たちは平らな場所へ一斉に集まり始めた。
だがレインは周囲を見回していた。
風向き。
地面の湿り。
水場との距離。
そして朝霧が溜まりそうな低地。
「そこじゃなくて、あっちです」
レインが言うと、班員の一人が首を傾げた。
「こっちの方が平らだぞ?」
「あそこは夜に冷気が溜まる。朝、地面が湿る」
ダンが空を見上げた。
「……分かるのか」
「なんとなく」
結局、レイン班は少し高い位置へ陣を張った。
翌朝。
低地に陣を敷いた貴族班では、湿気と冷えでほとんど眠れなかった者が続出していた。
顔色が悪い。
靴も濡れている。
教官たちは何も言わなかった。
ただ記録していた。
——
二日目の夕方。
ダンが火を起こし始めた。
石を組み、風除けを作り、薪を割る。
動きに迷いがない。
「何作るんだ」
「豆と乾燥肉の煮込み。あと野草」
ダンは近くの草を指差した。
「これ、苦いけど身体が温まる」
レインは少し驚いた。
「詳しいな」
「鍛冶屋って色んな行商人来るんだよ。飯の話は得だ」
鍋が煮え始める。
乾燥肉が戻り、香りが広がった。
その匂いに引き寄せられるように、一人の候補生が近づいてきた。
貴族だった。
だが様子が妙だった。
制服は泥で汚れ、目の下には隈がある。
しかも、大量の荷物を抱えていた。
「……あの」
小さな声だった。
「もし良ければ、少しだけ食事を分けてもらえませんか」
ダンが鍋から顔を上げる。
「貴族だろ、お前」
「……はい」
「なんでそんな状態なんだ」
男は少し視線を落とした。
「荷物持ちをしていたので」
「荷物持ち?」
「上位貴族の方々の……」
そこで言葉を濁した。
ダンは呆れた顔をした。
「貴族社会めんどくせぇな」
レインは鍋を見て、それから男を見た。
「座ってください」
男は目を丸くした。
「いいんですか」
「鍋はまだあります」
男はゆっくり座った。
「……エルト・ファーレンです。男爵家の三男で」
「ダン。鍛冶屋の息子」
「レイン。北方出身」
エルトは鍋を一口飲み、驚いたように目を開いた。
「……温かい」
「煮込みだからな」
「いえ、そうじゃなくて……」
エルトは少し黙った。
多分、“誰かと食べる飯”が久しぶりだったのだろうと、レインは思った。
——
その日以降、エルトは時折レインたちのところへ来るようになった。
レインたちもエルトのことを気にかけるようになった。
三日目。
行軍中、レインはエルトの歩き方がおかしいことに気づいた。
「靴擦れか」
「少しだけ……」
「座ってくれ」
「でも隊列が」
「今処置をしないと、明日歩けなくなるぞ」
レインは布を裂き、応急処置をした。
エルトは黙ってそれを見ていた。
「……レインさんは、どうしてそんなことまで知ってるんですか」
「必要だったから」
「北方では、皆こうなんですか」
レインは少し考えた。
「こうしないと死ぬ、が近い」
エルトは言葉を失った。
しばらく沈黙が続いた。
「第七駐屯地って、そんなに酷かったんですか」
「壁が崩れかけてて、補給が遅れて、夜警兵が倒れていた」
「それを“普通”みたいに言いますね」
「王国中、似たような場所は多いと思うがな」
エルトは俯いた。
王都育ちの彼にとって、その話は多分、教本より重かった。
——
五日後。
野戦訓練が終わった時、貴族課程では脱落者が続出していた。
水の消費配分を誤った者。
食料を早々に食べ切った者。
疲労で動けなくなった者。
途中で運ばれていく候補生もいた。
一方、レイン班は全員が歩いて戻ってきた。
教官の一人が名簿を見ながら言った。
「……北方第七駐屯地出身か」
「はい」
教官は小さく頷いた。
「なるほどな」
それだけだった。
現場を知る者の動きだったからだ。
——
訓練終了後。
候補生たちは荷物を降ろし、その場へ座り込んでいた。
ダンが大きく息を吐く。
「やっと終わった……。五日歩きっぱなしは鍛冶屋でもきついぞ」
「途中で豆を焦がしかけた時は終わったと思ったな」
レインが言うと、ダンが睨む。
「あれは火力調整の問題だ」
「鍋を見ながら寝てたからだろ」
「二徹目だったんだよ!」
その時。
「……お疲れ様です」
後ろから声がした。
振り返ると、エルトが立っていた。
以前より少しだけ表情が柔らかい。
「どうした」
「その……」
エルトは少し迷ったあと、小さく頭を下げた。
「本訓練間、ありがとうございました」
ダンが目を丸くした。
「律儀だな、お前」
「助けてもらったので」
「別に助けたつもりはない」
レインが言うと、エルトは少し笑った。
「それでもです」
少し沈黙があった。
それからダンが立ち上がる。
「よし。帰ったら飯だ」
「また食べるんですか」
「五日まともな飯じゃなかったんだぞ。肉だ肉」
ダンはエルトを見る。
「お前も来るか?」
エルトは一瞬驚いた顔をした。
「……いいんですか」
「鍋囲んだ仲だろ」
ダンは当然みたいに言った。
エルトは少しだけ迷って、それから静かに頷いた。
「では、お言葉に甘えます」
夕暮れの訓練場を、三人で歩き出す。
王都の春風は、北方よりずっと暖かかった。




