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北方徴募兵団 ~使い潰される最前線で数字を見ても英雄にはなれなかった~  作者: 社畜太郎


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第六話 貴族の学校

 王立士官学校。


 王都中央、防衛省区画に隣接して建てられた巨大な白亜の校舎は、レインにとって別世界だった。


 磨き上げられた石床。


 暖炉の熱。


 夜でも灯りの絶えない廊下。


 食堂では温かい肉料理が出る。


 北方徴募兵団では考えられない環境だった。


 だが。


 居心地が良いわけではない。


 むしろ逆だった。


 ——


「……おい、見ろよ」


 入校初日。


 制服支給列で、貴族子弟の一人がレインを見て笑った。


「本当に平民が入れるんだな」


「徴募兵上がりだろ?」


「臭い移るぞ」


 周囲から笑いが起きる。


 レインは無言だった。


 怒る気にもならない。


 北方では、馬鹿にされるより先に死ぬ。


 言葉程度で動じる環境ではなかった。


 視線を向ける。


 栗色の髪。


 背が高く、立ち姿に隙がない。


 選抜試験で木剣を握っていた男だ。


「ハーランド家のセルジュだ」


 近くの候補生が、小声で囁いた。


「王権派貴族の筆頭格。武術も筆記も常に上位。将来は近衛騎兵団入りって話だ」


 セルジュはレインを一瞥すると、興味を失ったように視線を外した。


 それだけだった。


 ——


 同室になったのは、ダンという男だった。


 茶色い短髪。


 少し猫背。


 選抜試験で平民受験者の列に並んでいた顔だ。


「よろしくな」


 ダンは荷物を寝台へ放り投げながら言った。


 鍛冶屋の息子らしい。


 腕が太い。


 握手した手は、レインの倍ほどあった。


「お前、北方出身か。よく生きてたな」


「お前こそ、どこ出身だ」


「王都外れ。親父が鍛冶屋で、俺も手伝いしてた」


 ダンは部屋を見回した。


「勉強、得意か?」


「読み書きと計算は」


「俺、駄目だ」


 ダンは即答した。


「選抜試験も、筆記はぎりぎりだった。体力で押し切った感じ」


 確かに身体つきは申し分ない。


 問題は授業だった。


 ——


 翌日から始まった講義で、それはすぐ露呈した。


 戦術論。


 兵站学。


 地図読解。


 軍事史。


 ダンは最初の一時間で机へ突っ伏した。


「……眠い」


「寝るな」


「だって意味わかんねぇ。兵站って何だ」


「補給だ」


「補給って?」


「飯と矢と馬の餌」


「ああ、それなら分かる」


 ダンは少し考えた。


「じゃあ兵站崩壊って、飯が届かなくなるってことか」


「そうだ」


「それ、普通にやばいな」


「普通にやばい」


「なんで教本は難しく書くんだ」


 レインには答えられなかった。


 だが、北方でも似たようなことは思っていた。


 現場では「飯が来ない」で済む話を、王都では長い言葉へ変える。


 それが士官学校なのかもしれなかった。


 ——


 食堂は広かった。


 そして、貴族と平民で暗黙の棲み分けができていた。


 中央の長テーブルが貴族席。


 窓際の端が平民席。


 誰が決めたわけでもない。


 だが自然と、そうなっていた。


 料理は同じだった。


 温かいスープ。


 柔らかいパン。


 肉の煮込み。


 北方徴募兵団の薄いスープと硬い黒パンとは比べものにならない。


 レインは最初の食事で、三人分は食べた。


「食いすぎだろ」


 ダンが笑う。


「久しぶりに温かいもの食った」


「……そうか」


 ダンは少し黙った。


「北方って、そんな酷いのか」


「慣れると普通になる」


「慣れたくねぇな」


 その言葉に、レインは少しだけ口元を緩めた。


 ——


 講義では、貴族子弟たちの“戦争観”がよく見えた。


 彼らは戦術を盤上遊戯のように語る。


「騎兵で包囲すればいい」


「火力集中で突破可能です」


「損耗率は許容範囲内かと」


 数字だけ。


 兵士の疲労が存在しない。


 補給遅延も存在しない。


 眠れない夜も存在しない。


 第七駐屯地で毎日見てきたものが、ここには一つもなかった。


 ある日の講義で、教官が問いを出した。


「防衛戦において、最初に崩れるものは何だ」


 貴族候補生たちが答える。


「士気です」


「前線兵力です」


「指揮系統の混乱かと」


 教官は頷きながら板書する。


 レインは手を挙げた。


「兵站です」


 教室がわずかに静まった。


「兵站?」と教官が聞く。


「士気が崩れる前に、食糧と睡眠が消えます」


 レインは静かに言った。


「第七駐屯地では、兵士が怒鳴り合う前に、まず食堂の肉が減りました」


 教室がざわつく。


「教本にはそう書いていないが」


「教本を書いた方が、現場を知らなかったのだと思います」


 一瞬、空気が止まった。


 若い貴族候補生が不快そうに眉をひそめる。


 だが教官はしばらく黙った後、


「……続けろ」


 とだけ言った。


 レインは黒板を見ながら話を続ける。


 補給。


 睡眠。


 修理資材。


 夜警配置。


 どれか一つでも崩れれば、防衛線は静かに死んでいく。


 それは教本ではなく、レイン自身が見てきた現実だった。


 話し終えた時。


 セルジュがこちらを見ていた。


 面白そうな目をしていた。


 ——


 セルジュとの二度目の接触は、数日後だった。


 レインが兵站学の教本を読みながら廊下を歩いていると、前方からセルジュが来た。


 セルジュは立ち止まり、レインを見る。


「今年の図上演習の話は知っているか」


「いえ、何も」


「今年は変則らしい」


 セルジュは淡々と言った。


「貴族課程と平民選抜課程を分けて、対抗形式でやる」


 レインは少しだけ眉を動かした。


 士官学校では、貴族子弟と平民出身者は同じ講義を受けている。だが空気は完全に分かれていた。そこへわざわざ“対抗”という形を持ち込む意味は、一つしかない。


「露骨ですね」


「改革派の意向だろうな」


 セルジュは肩を竦めた。


「“平民でも能力がある”と証明したい連中と、“やはり貴族でなければ軍は回らない”と見せたい連中。上は勝手に盛り上がってる」


 レインは黙って聞いていた。


「図上演習は卒業査定に直結する」


 セルジュが続ける。


「特に今年はな。上位評価を取れば中央軍参謀課程への推薦もある。逆に失敗すれば、どれだけ筆記が良くても地方送りだ」


「随分重いんですね」


「士官学校は、実戦で指揮を執れるかを見る場所だ。図上演習は、その成績の三割を占める」


 三割。


 レインは頭の中で重みを計算した。


 武術や座学より、実際の指揮能力を重視しているということだ。


「平民側の代表、お前になるらしいぞ」


 セルジュが言った。


「筆記首席だからな」


「まだ正式発表はされてません」


「もう決まってるようなものだ」


 セルジュは少し笑った。


「貴族側は俺が指揮を取る」


 そこで初めて、レインは相手の目に“競争心”を見た。


 馬鹿にしているわけではない。


 本気で勝ちに来ている目だった。


「楽しみにしている」


 セルジュはそう言い残し、歩き去っていく。


 レインはその背を見送りながら、静かに考えた。


 これはただの学校の演習ではない。


 王都の貴族たちは、“平民士官制度そのもの”を見ている。


 負ければ、「やはり平民では駄目だ」と言われる。


 勝てば、敵を増やす。


 どちらにしても、楽な話ではなかった。


 自分が負ければ、「やはり平民では駄目だ」と言われる。


 勝てば、敵が増える。


 どちらにしても、楽な話ではなかった。

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