第三十八話 見え始めたもの
翌朝、ラーゴスの空は曇っていた。
昨夜の雨は止んでいたが、空気は重い。
警邏隊本部執務室にはレイン、セリス、ガルク、ロイ、ヴァルカ、そして保護した元書記官が集まっていた。
机の中央には一枚の地図。その横には帳簿の写しや裁判記録、書記官の証言をまとめた書類が積まれている。
セリスが一枚ずつ資料を並べた。
「一度、情報を整理します」
全員が頷く。
セリスは羽ペンを取り、白紙へ文字を書き始めた。
十年前
孤児失踪事件
↓
北辰交易商会
↓
北方互助会
↓
エルドラム商会
「現時点で判明しているのはここまでです」
ガルクが腕を組む。
「つまり北辰交易商会は表向きの窓口だったってことだな」
「はい」
セリスは頷く。
「孤児を保護し、働き口を与える。書類上は慈善事業です。…ですが実態は人身売買でした。」
ロイが顔をしかめた。
「北方互助会も同じか。表向きは孤児の保護施設。実際には孤児の収容場所。」
静かな声だった。
部屋の空気が重くなる。
レインが地図を見つめた。
「……だが、まだ足りない。」
全員が顔を上げる。
「敵の目的が見えない。」
人身売買だけなら、ここまで大掛かりな隠蔽は必要ない。
裁判記録を改竄し、証拠を消し、証人まで消す理由がない。
そこまでして守るものは何か。
沈黙が流れたその時だった。
「あぁ、一つ……思い出しました。」
元書記官が口を開いた。
全員の視線が集まる。
「裁判の前日です。」
老人はゆっくり目を閉じた。
「私は証拠書類を確認していました。」
帳簿。
孤児の証言。
商人の取引記録。
すべて揃っていた。
「その時、一人の男が裁判所へ来たのです。」
「誰ですか。」
セリスが尋ねる。
「名前は知りません。」
男は首を振る。
「ですが、不思議なことを覚えています。」
部屋が静まり返る。
「その男は――」
老人は自分の左腕を見た。
「左手首から先がありませんでした。」
誰も言葉を発しなかった。
レインとセリスの視線が重なる。
ガルクが低く呟いた。
「十年前からいたのか……」
老人は静かに頷く。
「当時は事故か戦傷だと思っていました。ですが昨夜、皆さんが左手首のない男の話をした時、ようやく繋がったのです。同じ人物かもしれない、と。」
長い沈黙が流れる。
パンっと、セリスが手帳を閉じた。
「これで一つ仮説を立てます。」
全員が彼女を見る。
「エルドラム商会は実在する商会ではありません。」
ガルクが眉をひそめた。
「どういう意味だ。」
「商会なら必ず痕跡が残ります。」
税。流通。契約。土地。倉庫。
「しかし、何一つ存在しない。」
セリスは地図へ×を記した。
「つまり『エルドラム商会』とは商会の名前ではない。」
羽ペンが止まる。
「組織の呼称です。」
ロイが息を呑む。
「裏組織……か。」
「おそらく。」
セリスは静かに答えた。
「そして北辰交易商会や北方互助会は、その組織が地域ごとに用意した表向きの窓口だったのでしょう。」
部屋に静かな衝撃が走る。
ヴァルカが壁にもたれたまま口を開いた。
「昨日の襲撃も気になってる。」
「何だ。」
レインが聞く。
「あいつら。盗賊じゃねぇ。」
全員がヴァルカを見る。
「あんな動きする盗賊はいない。無駄も隙も無かった。逃げる奴もいなかった。」
ダガーナイフを弄びながら続ける。
「目的は一つ。書記官を殺すことだけ。」
レインは昨夜の戦闘を思い返した。
確かにそうだった。
自分たちを倒そうとはしなかった。
ただ一直線に書記官だけを狙っていた。
「訓練されていた。」
ヴァルカは断言した。
「組織的だ。」
その一言が部屋をさらに静かにした。
沈黙を破るように扉が軽く叩かれる。
「軍人さん。」
リーネだった。
「入るよ。」
煙草は吸っていない。
いつもの軽い笑みも少しだけ薄かった。
「嫌な噂を聞いた。」
「何だ。」
レインが尋ねる。
「最近、北方互助会へ出入りする客が変わった。…商人じゃない。」
リーネは小さく肩をすくめる。
「貴族様ばっかり。」
セリスの目が細くなる。
「爵位は。」
「そこまでは分からない。でも身なりは間違いなく貴族。こんな辺鄙な場所で葉巻を吸うなんて貴族様ぐらいだよ。」
書記官が小さく呟いた。
「……分権派。」
誰も否定しなかった。
地方で人と金を集める。
中央政府の力を削ぐ。
十年前から続く計画。
それが少しずつ輪郭を持ち始めていた。
レインはゆっくり立ち上がる。
「敵は十年前に消えたわけではない。」
全員を見渡す。
「今も動いている。」
その時だった。
廊下から慌ただしい足音が響く。
若い隊員が勢いよく扉を開いた。
「少尉殿!」
息を切らしている。
「どうした。」
「南区で大規模火災です!」
レインが眉をひそめる。
「場所は。」
隊員は叫ぶように答えた。
「北方互助会の倉庫の方向です!」
一瞬の静寂。
そして全員が立ち上がった。
レインは外套を掴む。
「証拠隠滅だ。」
誰も異論を唱えなかった。
次の瞬間、一斉に執務室を飛び出していた。




