第三十七話 消された裁判
翌朝、空は重い灰色の雲に覆われている。
警邏隊本部、地下保護施設には全員が集まっていた。
レイン。
セリス。
ガルク。
ロイ。
ヴァルカ。
そして――元書記官。
昨夜とは違い、男の目に狂気はなかった。
疲れ果てた老人の目だった。
セリスが手帳を開く。
「始めます」
男は静かに頷いた。
しばらく黙り込んでいたが、やがて口を開く。
「まず結論から言おう」
全員が男を見る。
「バルドは無実だった」
部屋が静まり返った。
ガルクが腕を組む。
ロイが顔をしかめる。
レインは黙っていた。
「商人を襲撃した事実はある」
男は続ける。
「だが、その裁判は成立していなかった」
「なぜですか」
セリスが問う。
男は机を見つめる。
十年前を思い出しているようだった。
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「当時、北方では孤児失踪事件が相次いでいた」
話が始まった。
「最初は貧民街だった」
「次に農村」
「そして街道沿いの集落」
子供が消える。
数人ではない。
数十人単位だった。
だが北方では珍しい話ではなかった。
飢餓。
病。
魔物。
誰も深く調べなかった。
「だが一人だけ食い下がった男がいた」
ガルクが呟く。
「バルドか」
「ああ」
男は頷く。
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当時のバルドは冒険者だった。
北方でも名の知れた探索者。
無茶をする。
喧嘩もする。
だが仲間を見捨てない男だった。
孤児失踪の噂を聞いたバルドは独自に調べ始めた。
冒険者仲間と共に。
そして証拠を見つけた。
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「北辰交易商会だ」
その名前にロイが眉をひそめる。
男は続けた。
「表向きは孤児保護だった」
「親を失った子供を引き取る」
「働き口を与える」
「住む場所を与える」
どこにでもある慈善事業、書類上はそうなっていた。
だが実態は違った。
「売っていた」
短い言葉だった。
「地方へ」
「鉱山へ」
「農園へ」
「傭兵団へ」
「娼館へ」
「貴族へ」
沈黙。
ヴァルカが舌打ちした。
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「証拠もあった」
男は言う。
「帳簿」
「証言」
「保護された孤児」
「全て揃っていた」
セリスの目が細くなる。
「有罪に出来た」
「ああ」
男は頷く。
「本来ならば」
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しかし。
事件はそこで終わらなかった。
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ある日。
バルドは人身売買の最中の北辰交易商会の商人を押さえた。
街道沿いだった。
商人は笑っていたという。
証拠を突き付けられても。
孤児の証言を並べられても。
笑っていた。
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『どうせ何も出来ん』
そう言った。
『上が守る』
そう言った。
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ガルクが小さく息を吐いた。
「そりゃ切るな」
ロイも頷く。
「俺でも切る」
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バルドは激怒した。
そして、商人の左手首を斬り落とした。
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部屋が静まり返る。
誰も何も言わない。
レインは北方で見た背中を思い出していた。
あの男らしい。
そう思った。
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「だが」
男は続ける。
「それでも裁判は負けないはずだった」
セリスが顔を上げる。
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証拠は揃っていた。
孤児もいた。
帳簿もあった。
証言もあった。
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ところが。
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「消えた」
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男の声が震える。
「全部だ」
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帳簿が消えた。
証言が消えた。
孤児が消えた。
記録が消えた。
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「私は裁判所の書記官だった」
男は言う。
「だから見た」
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判決前日、役人達が来た。
裁判官と話した。
そして。
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全てが変わった。
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「翌日には別の事件になっていた」
男は笑った。
乾いた笑いだった。
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「孤児失踪事件ではなく」
「商人襲撃事件になっていた」
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レインの拳が僅かに握られる。
「誰がやった」
男は答えなかった。
代わりに呟く。
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「エルドラム商会」
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その名が落ちる。
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セリスのペンが止まる。
ロイが顔を上げる。
ガルクも眉をひそめた。
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「その名前だけが残った」
男は言う。
「だが記録には無い」
「裁判記録にも無い」
「行政記録にも無い」
「幽霊か」
ロイが呟く。
「私もそう思った」
男は答える。
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だから調べた。
若かった。
正義感もあった。
自分だけは真実を知っていると思った。
そして。
「気付いた」
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男は俯く。
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「北方だけじゃなかった」
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部屋の空気が変わる。
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「東部にもあった」
「南部にもあった」
「同じような失踪事件」
セリスが顔を上げる。
「複数地方……」
「そうだ」
男は頷いた。
「誰かが人と金を流していた」
「目的は」
レインが問う。
男は首を振った。
「分からない」
「だが一つだけ分かった」
老人の目がレインを見た。
「中央政府を嫌う者達がいた」
沈黙。
「貴族だ」
ガルクが眉をひそめる。
ロイが顔をしかめる。
ヴァルカは黙ったままだった。
セリスだけが呟く。
「分権派……」
男は答えない。
だが否定もしなかった。
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長い沈黙が落ちた。
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レインは窓の外を見る。
灰色の空。
十年前の事件は。
ただの人身売買ではなかった。
もっと大きい。
もっと根深い。
そんな予感がした。
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その頃、ラーゴスのどこか。
暖炉の火が静かに揺れていた。
男が一人。
椅子に座っている。
左袖は空だった。
扉が開く。
「報告です」
部下が頭を下げる。
「昨夜の襲撃部隊ですが」
「誰も戻ってきておりません」
沈黙。
暖炉の薪が爆ぜる。
男は動かなかった。
「そうか」
低い声。
怒りも無い。
失望も無い。
ただ確認しただけだった。
「書記官は」
「不明です」
男は目を閉じる。
「なら生きていると思え」
部下が頷いた。
男は暖炉を見つめる。
しばらくして、小さく呟いた。
「バルド……」
その声だけは。
初めて感情を帯びていた。
暖炉の火が揺れていた。




